ナタリア編
気がつくと、ナタリアはバチカルにある城の一室に居た。
そこはインゴベルトの私室であり、壁には見慣れた王妃の肖像画がかけられている。
ナタリアは椅子に腰掛けたインゴベルトと立ったまま相対していて、記憶がうまく繋がらずにくらりと眩暈を覚えた。
「ナタリア、聞いているのか」
「あ、は、はい…お父様。ちゃんと聞いておりますわ」
インゴベルトに言われ、反射的に答える。
しかしインゴベルトにはナタリアが聞いていなかったのだと解ったのだろう。
深いため息の後、呆れたようにナタリアに問う。
「では、私はお前に何と言った?」
「え?それは…その…」
当然、聞いていなかったので解る筈もない。
口ごもるナタリアにインゴベルトは呆れを隠さず、ナタリアは父の態度に少しだけ傷ついた。
「では、もう一度言う。お前の王位継承権とルークとの婚約を破棄することが決定した」
「な!何故ですの!?」
「当たり前だろう。お前は王家の血を引かぬ娘だ。そのお前が何故王位継承権を持ったままで居られるというのだ」
「そ、れは…そう、ですわね。ですがルークとの婚約は!」
「ルークには王家の血を引く娘と改めて婚約してもらう。王家の血を引く子供は数が少ないからな」
あっさりと言われ、ナタリアは頭を殴られたようなショックを受けた。
ナタリアは例え血は繋がっておらずとも父娘として認められたのだから、他に影響など出る筈も無いと思っていた。
王位継承権どころかルークとの婚約にまで影響が出るなど、ナタリアにとっては寝耳に水だ。
それをナタリアの顔色から読み取ったインゴベルトは、再度深いため息をついてからナタリアに言う。
「お前にも、新しい婚約者をつける。良い男が見つかればよいが…」
「そんな!嫌です、私はルークと…!」
「我が侭をいえる立場だと思っているのか、ナタリア」
「ですが…ですが私はルークを愛しているのですわ!」
「それがどうした」
「え…?」
「お前がルークを愛していたとして、一体何があると言うのだ?お前が確実に赤い髪と緑の瞳を持つ子供を産めるとでも?」
今までされたことの無い冷たい物言いに、ナタリアは一歩後ずさった。
インゴベルトから今まで与えられていた無償の愛情が今は欠片も存在しない。
冷え切った視線と告げられた事実を信じたくないという思いから、ナタリアは子供のように首を振る。
「解ったな。お前の降嫁は決定事項だ」
「嫌ですわ!それくらいならば私は一生結婚など致しません!」
インゴベルトに断言され、感情のままに叫ぶナタリア。
その叫び声にインゴベルトはついに顔を顰め、片手を上げてドアの脇に立っていた兵を呼ぶ。
「ならば最早お前は私の娘ではない」
「え?そ、それは…どういうことですの?」
「当たり前だ。降嫁もせぬ、王色も持たぬ娘などどうして城に置けるというのだ」
「そんな!ですがお父様は私を娘だと認めてくださったではありませんか!」
「情だけで政治ができるとでも思ったのか?ナタリアよ、お前には相応の教育を施してきたつもりであったが…やはり王家の血を引かぬ娘には無理であったか」
インゴベルトの合図を受けた兵達がナタリアを取り押さえる。
ナタリアは抵抗を見せたものの、素手では素人同然のナタリアが屈強な王宮騎士に敵うはずもなく、あっさりとその場に膝を付けさせられた。
顎を強かに打ち、痛みのせいで目尻に涙が浮かぶ。
インゴベルトはそれに対して何も言うことなく、机の上にあったベルを鳴らした。
ナタリアの縋るような視線も無視され、現れたのはクリムゾンである。
「クリムゾンよ。ナタリアは今、自ら王女であることを放棄した」
「は。では…」
「うむ。罪人として扱ってくれて構わん」
「ざ、罪人!?」
インゴベルトから告げられた言葉にナタリアは顔色を青くしながら呟く。
自分が一体いつ罪を犯したというのか。
理解できないナタリアは必死にインゴベルトを見上げたが、インゴベルトは視線すら寄越さない。
「ご心痛、お察しします」
「構わぬ。後は頼んだ」
「は」
クリムゾンの指示を受け、縛り上げられたナタリアはそのまま牢屋へと連れて行かれた。
ナタリアは何故、どうして、と疑問を口にしたものの、誰も答えてなどくれなかった。
それどころか時折憎しみを込めた視線すら向けられ、訳が解らないまま牢屋に放り込まれる。
ありもしない罪で牢屋に入れられたと、ナタリアは訳の解らないまま牢屋の中で膝を抱えていた。
誰も自分を助けてくれない。
澱んだ空気、汚れた床、湿ってかび臭い寝具。
今まで感じたことも無い全てにナタリアの心は削られていく。
それでもこれは冤罪だと、いつか誰かが助けてくれるとナタリアは己を奮い立たせていた。
己が何かをしてしまったのではないか、そんなことなど欠片も思わずに。
そんな中、ナタリアに面会人が現れた。
「アッシュ!」
「…ナタリア」
緋色の髪を靡かせて現れた青年にナタリアは涙を浮かべて駆け寄った。
柵越しではあるものの、手を触れ合わせ、これで誤解が解けるのだと笑みを浮かべる。
しかしアッシュは悲しげな顔をするだけで、ナタリアを牢から出そうとしない。
「アッシュ、お父様を説得してくださいませ!私を罪人などとおっしゃるのです!私は何もしておりませんわ!」
「…しただろう」
「アッシュまで!一体私が何をしたというのですか!」
アッシュの悲しみなど気付くこともなく、ナタリアは甲高い声を上げる。
アッシュはナタリアのその態度に失望を感じながらも、今ならまだ間に合うかもしれないと過去の幻想に縋るように言葉を紡ぐ。
「19年間、ナタリア殿下の名を騙り続けてきただろう?お前が自分から王女であることを放棄した以上、その罪も問われることになる」
「そ、そんな…そんなのあんまりですわ!」
「だがお前は自分から放棄したんだ。それに、お前は伯父上が行くなと言ったのに勝手にルークに着いてアクゼリュスに行っただろう?」
「それは…ルークだけでは心配だったのです!それに両国が和平を結ぶというのに、王女の私が出なくてどうしますの!」
「別にどうもしない。どうにかするなら陛下はそうおっしゃるだろう。
解らないのか?お前は行くなと言った伯父上の言葉に逆らった、これは王命違反だ。
それに"自分を派遣しない陛下が間違っている"と言ったようなものなんだぞ」
「わ、私は…そんなつもりでは…!」
アッシュに指摘され、ようやく気付いた事実にナタリアは顔を青くする。
しかし今更気付いても遅い。ナタリアの愚行は既に城中の人間が知っているのだから。
アッシュも失望の瞳でナタリアを見ていて、それに気付いたナタリアは縋るようにアッシュの手を握った。
「私も必死だったのです!国の、民のためにと…!」
「それは国のためなら、城のメイドや兵はどうなってもいいということか?」
「え…?」
「お前が勝手に抜け出した事で、お前つきのメイドや警備の者は罰を受けるか、解雇されただろう。
それともお前にとって兵やメイドは民ではないと?」
「違いますわ!そんなつもりではなかったのです!」
「それにお前は公務を放り出してきた。お前の慰問や視察を待っていたキムラスカの民がどれだけ失望したと思っている」
そうやって説明するアッシュの声音は怒りすら滲ませており、ナタリアはそんなつもりではなかったと繰り返す。
王女としての教育を受けていたならば気付いて当たり前の事実にも気付けない。
自分勝手な行動で巻き込まれた民を思いもしないその非道さについにアッシュはナタリアから手を離した。
「昔約束したな、"いつか俺たちがこの国を変えよう"と」
「アッシュ…」
「お前はそれを裏切った。お前は民を犠牲にして身勝手に行動した」
「違うのです、アッシュ、私は民のために…!」
「変わったな…昔のお前とは、もう思えん」
それだけ残しアッシュは背中を向けて去っていく。
ナタリアが叫ぶように名を呼んでも、涙を滲ませて懇願しても、アッシュは足を止めない。
誰も居なくなった牢屋で、柵をつかんだままずるずるとその場に座り込むナタリア。
今自分の身に起きている現実に耐え切れず、耳を塞いでイヤイヤと首を振る。
ナタリアが現実を受け入れなくても、時間はナタリアをおいて過ぎていく。
その後、王家の血を引かぬ王女の姿を見た者は、居ない。
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