覆水盆に返らず(中編)


「ナタ…いや、何でココに…!?」

本来ならばココに居る筈の無い人物がココに居る。
その事実に驚いて思わず名前を呼びそうになり、流石に不味いかと思って口を噤む。
それでも声はひっくり返ってしまっていて、ナタリアにくすくすと笑われてしまった。

「どうぞココではルビアと」

「あ、そっちで呼べばよかったのか…あ、いや、申し訳…っ!」

「敬語は要りません。不問と致します。私とルークの仲ですもの、それに」

「貴方!一体何者ですの!」

ナタリア…いや、ややこしいし本人の許可も出たのでルビアと呼ぼう。
ルビアの言葉をナタリアが遮り、領事は眉を顰めたもののルビアの視線を受けて口を閉じたまま。
そして予想通りの人物…マルクトからの使者、アスラン・フリングス将軍とダアトからの使者、トリトハイム詠師も微妙な顔を浮かべている。
それだけで彼等が真実を聞いているのだと解った。

ルビアは微笑みを絶やさないまま、それでも開いた扇子で口元を覆いながらナタリアを見る。
ナタリアは望んでやまない赤い髪と緑の瞳を持つルビアを射殺さんばかりに睨んでいるがルビアの翡翠の瞳には何の感情も浮かんでおらず、それだけ彼女が怒っているのが見て取れた。

「私はルビア…と、名乗っております。諸事情により本名を名乗れませんの。どうぞそちらの名でお呼び下さいませ」

「名を聞いているのではありません!何者かと聞いているのです!」

「その質問にお答えする義理はありませんし、貴方にお教えする必要性を感じませんのでお答えしません」

「なっ…私はキムラスカの王女でしてよ!」

「王女として扱わなくて良いのでしょう?貴方自身が宣言なさっていたではありませんか」

「アレは救助に向かう間だけのことです!」

「おかしなことを仰らないでくださいな。王族の言葉は重さは学んだ筈でしょう?貴方は自らの立場を放棄しました。コレは撤回しようも無い事実であり、ならば私たちもそれ相応に扱うまで」

お前は最早王女ではないのだと言われ、屈辱と受け取ったのかナタリアが顔を赤くする。
しかしナタリアが言い返す前に、ルビアがすっと扇子を上げ極上の笑顔で宣言した。

「最も、宣言など無くとも貴方はとっくに王女では無くなっていますから、問題ないのですけど…捕らえなさい」

「は」

ルビアの命令に従い、扉の脇に控えてきたキムラスカ兵がナタリアを拘束した。
弓を奪われ、腕を背中で縛られてその場に転がされる。
ついでに命令されていないティア、アニス、ガイも捕らえられたがルビアも俺も止めるつもりはない。
それを見ていたフリングス少将がルビアに何か耳打ちすると、それに頷いたルビアがジェイドも一緒に捕らえるよう指示を出した。

「皇帝の名代たる私を捕らえるとは…フリングス将軍、何故黙って見ているのです」

「貴方は既に名代ではありませんよ。それどころか軍籍は抹消され、カーティス家からも勘当されているため、今の貴方はただのジェイド・バルフォアという一般人にして罪人。
罪人を捕らえるのに何の不都合があると?」

「……どういうことです」

「理解して無いとは…陛下を裏切っておきながら自覚すらしていないとは思いませんでしたよ。
いや、自覚していないからこそこんな平然としていられるのですね…陛下も何故このような男を名代に指名されたのか」

嘆かわしいといわんばかりにフリングス将軍は頭を抱えた。
隣に居るトリトハイム詠師が同情の視線を向けているが、あちらも罪人を抱えているというのは同じ立場である。

「詠師トリトハイム!何故私たちが捕まらなければいけないのですか!コレはあんまりです!」

「そうですよぉ!アニスちゃん達が何をしたって言うんですか!」

「ティア・グランツとアニス・タトリン。
かの二人は既に騎士団から除名され、教団からも追放されています。教団は以上二名をキムラスカに引渡し、いかように処分しようとも一切関与しないことをココに宣言いたします」

ティアとアニスの言葉を聞き流し、トリトハイムは深々とルビアに頭を下げた。
ルビアはそれが当然という顔をして、迅速な対応に感謝する旨を述べている。

「おいルーク、コレは一体どういうことだ?!何でこんな…俺が一体何をしたって言うんだ!?」

「何って…不敬罪に、職務放棄、それから…身分詐称」

「身分詐称って…ルーク、お前…まさか」

納得できないと眉間に皺を寄せていたのに、俺の言葉を聞いた途端サッとガイの顔色が悪くなる。
それを見て俺ははたと気付いた。

「あれ、もしかしてお前ばれてないとでも思ってたのか?」

だからそう聞けば、ガイはわなわなと震えている。
それでも何とか立ち上がったかと思うと、一瞬にしてその目に憎悪の炎を滾らせて俺の方に突進してきた。
しかしガイが俺の身体に触れることは叶わなかった。
キムラスカ兵が即座にガイの襟首を掴み、そのまま地面に引き転がしたのだ。

「お怪我は…」

「無い。うちの国の兵は優秀だな」

「ありがたきお言葉」

深々と頭を下げたキムラスカ兵はそのままガイの足も縛り、芋虫のように地面に転がす。
ガイは何か呟きながら俺を睨みつけてきたが、そんなの痛くも痒くもない。
猿轡を噛まされ五人が大人しくなった(もしくは大人しくさせられた)のをルビアが睥睨し、手招きされたのでルビアの隣に立つ。
全員収まるべき場所に収まったといった感じだ。

「さて。まずはルーク…このような罪人と時間を共にするのはさぞかし苦痛だったことでしょう。しかし今回の作戦がうまく行えたのも貴方のおかげですわ。
本当にありがとうございます」

軽い会釈と共に微笑むルビアに自然とこちらも笑みを浮かべてしまう。
彼等には散々胃壁をすり減らされたが、どうやらそれだけの価値はあったらしい。
身を包む満足感と充足感、満ち足りた心を感じ頬が熱くなるのを感じた。

ルビアも俺が照れているのが解ったのだろう。
いつもするように俺の頭を撫でてから、そのまま罪人たちを見下ろす。

「あなた方にも礼を言わなければ。あなた方のお陰で無事教団は解体され、マルクトはキムラスカに頭が上がらない状態へと落ちた訳ですから」

ルビアが扇子で口元を隠した途端、形の良い唇からくすりと笑い声が漏れた。
その言葉にフリングス将軍が悔しそうに歯噛みし、トリトハイム詠師は無念だというようにうなだれる。
どういうことだと喚きたい罪人たちは何やら口元を動かしていたが、猿轡をしているのでそれも叶わない。

「せめてもの情けです。全て教えてあげましょう」

そんな罪人たちを見下ろしながら扇子を手で弄び、完璧な微笑みを浮かべたルビア。
それが情けではなく憂さ晴らしだと解ったのは、この部屋の中で何人居るだろう?

「まずはジェイド・カーティス…いえ、ジェイド・バルフォア殿。貴方は和平の使者に任命されながらルークを不法入国で連行し、更には和平の取次ぎをしなければ軟禁すると脅迫したとか。
天才の頭では理解できないようなので解りやすく言って差し上げますと、コレは不当逮捕であり脅迫罪及び不敬罪にあたります。

更に貴方は軍人でありながら貴族であり王族であるルークを守ることなく戦場に立たせ、外の世界を知らぬルークを侮辱したとか。
これはマルクトはキムラスカを下に見ていると公言したも同然ですわ。

コレが何も知らぬ軍人が行った事であるならばその軍人の首を跳ねればことは収まりました。
しかし貴方は皇帝の名代…知らぬ存ぜぬでは通りません。
解りますか?貴方がルークを馬鹿にし続けたせいで、マルクトはキムラスカに頭を下げざるを得ない状況に陥っているのですよ」

ジェイドはその言葉を聞き、確認するようにフリングス将軍を見る。
フリングス将軍は貴方のせいで、と小さく呟いただけで後はひたすらにジェイドを睨みつけていて、それはルビアの言葉の肯定を示していた。

「そしてティア・グランツ。貴方がルークをファブレ邸を襲撃し、家人及び使用人に危害を加え、挙句の果てにルークを誘拐し様々な不敬を働いたこと。
これらは全てルークがバチカルに帰還する以前より、本人の報告によりキムラスカは全て知っていました。

そしてアニス・タトリン。貴方も同様ですわ。
ルークに対する不敬罪の数々…報告を聞いた時、私は生まれて初めて絶句するという感覚を知りました。
ルークに媚を売っていたようですが…教養も後ろ盾も無く、若いだけが取り得の貴方などルークが相手にするわけがないでしょう?
最も、導師を蔑ろにする導師守護役など誰も相手にしないでしょうが。

解りますか?貴方達は自らが犯した罪のせいで、そうして拘束されているのです。
キムラスカは蒼き血を引く誇り高きランバルディアが治める国。
その血を引くルークを侮辱した罪、ランバルディアの名を名乗るものならば決して許しはしないでしょう。
あなた方の犯した罪がどれだけ重いか、理解できまして?」

嘲笑交じりの言葉に、ティアとアニスが何か呻き、ナタリアは顔を青ざめさせている。
ナタリアはランバルディアを名乗りながら俺が侮辱されるのを黙ってみていたのだ。
遠まわしにお前はランバルディアを名乗る資格はないと言われているようなものだと、流石のナタリアも気付いたらしい。

「さて、貴方方の犯罪は全てルークの報告によりキムラスカは全て把握していました。
故にルークがバチカルに帰還する頃には、既にマルクトに使者を送っておりましたの」

そう言ってルビアはフリングス将軍を見る。
ルビアの意図を察したフリングス将軍は一つ頷くと、ジェイドを睨みつけながら怒りの滲む声で説明を引き継いだ。

「キムラスカ送られてきた使者は、貴方のしでかした行いを全て知っておりました。
エンゲーブより証人を同行させていたため、こちらが疑う余地すらない、信じられない貴方の愚考を全て教えてくれましたよ。
ピオニー陛下は頭を抱えておられました…聡明なあの方が!
幼馴染であり、懐刀と呼ばれた貴方のせいでね!!

…戦争を回避するために送られた使者が戦争になる事態を持ち込むなど誰が思いましょう。
故にピオニー陛下はキムラスカの出した条件を飲むしか無かったのです!!」

怒りを吐露するように声を荒げたフリングス将軍だったが、すぐに理性を取り戻し俺とルビアに大声を出したことを謝罪した。
俺もルビアも構わないと言いジェイドを見たが、理解できないのかはたまた理解したくないのか、フリングス将軍から視線をそらしたまま動きもしない。

こんな男が何故大佐になれたのか不思議でたまらなかった。
ピオニー陛下は身内に甘いというから、それのせいなのだろうか?

「さて、マルクトの協力を取り付けたわが国はキムラスカ・マルクト連合を結成。ダアトに進軍しました」

ジェイドを見下ろすのに飽きたのか、再びルビアが言葉を引き継いだ。
しかしその物騒な言葉にティアとアニスが目を見開き、真偽を確かめるようにトリトハイムを見る。
トリトハイムは二人の視線をため息と共に受け止め、億劫そうに口を開いて説明を始めた。

「全て遅かったのだ。キムラスカは全てを知っていた。
その上で我等は見逃されていた…いや、泳がされていたと言った方が正しいか。
しかしお前達が逆鱗に触れたせいで、それも終わりになったがな。

教団は既に全面降伏を告げ、パダミヤ大陸は現在キムラスカ・マルクト連合軍の監視下にある。
大詠師モースも主席総長であるヴァンも既にキムラスカにて捕らえられている。
私は全ての後始末を付けるためにココに居るのだ」

「理解しまして?貴方達のせいで、ダアトは滅ぶのですわ」

自分達のせいで、ダアトが滅ぶ。
楽しげに語られたルビアの言葉にティアとアニスはがたがたと震え、何か言い訳するように首をふっていた。

罪は理解できなくとも、罰は理解できるらしい。
その不思議な脳味噌に感心しつつ、ふと思い出した事実にフリングス将軍を見る。

「そういえば、このガルディオスを名乗る男に関してピオニー陛下は何か仰っていたか?」

「は。ピオニー陛下は"ガルディオスの血は既に絶えている。例えガルディオスの名を名乗る者が現れたとしても、マルクトはそれをガルディオスの者とは認めない。故にその者がどうなろうとも、マルクトは一切関知しない"とおっしゃられていました」

「当然ですわね。ホド戦争から15年…戦乱の世を血を吐く思いで生き延びた領民を見捨てる伯爵子息など、認められる筈もありませんわ」

当然と言ったルビアの言葉に、ガイが目を見開くのが見えた。
多分、考えても居なかったのだろう。本来ならば自分が保護すべきだった己の領民。
頭の片隅にすら無かったのかと思うと、同じ貴族として吐き気がする。

しかしまぁコレでマルクトの言質も取ったのだ。
処刑した後でとやかく言われる心配もあるまいと安心して最後の一人を見下ろす。
すなわち、金髪のナタリア殿下を。

「さて…何故自分が囚われているか、貴方は理解しているのかしら?」

ナタリアはふるふると首を振った。
その事実にルビアは呆れたようにため息をつき、不快そうに顔を歪めた。

「貴方は陛下に行ってはならないと言われながら城を出奔しました。すなわち王命違反です。解りますか?
そして王命違反は死刑に値します」

子供に言い聞かせるように教えるルビアだが、決して優しいわけではない。
ゆっくりと丁寧に言い聞かせ、絶望を植えつけているのだ。
優しすぎる声音に恐怖を感じたのか、ナタリアは静かに震え始めた。

「甘やかしてくださる陛下ならば許して下さると思いましたか?
しかし残念ながら貴方は甘やかされていたわけではありません。

貴方は表向きの存在であるがゆえに、ぞんざいに扱われていただけ。
最初こそ同情から教育を施されていましたが、貴方がそれに胡坐をかき努力を怠ったため、呆れられ見捨てられて好きなようにさせろと放置されていたに過ぎません」

ルビアの言っている意味が理解できないのか、ナタリアは瞳に涙を溜めながらも俺を見上げる。
見られたとしても、別に俺は何かしてやるつもりは無い。
そもそもルビアの怒りが一番深いのはナタリアが原因なのだ。

王命違反、後に城からの出奔。
王族の名を汚し、王族の誇りを汚した存在。
それだけでルビアの中では万死に値するのだから。

「貴方が出奔したせいで、貴方に付けられていた警備兵とメイド達は全員解雇されました。
貴方は民のために努力していたそうですが、貴方にとって兵士やメイドは民ではないということかしら?

そのように首をふって…違うとおっしゃりたいのかしら?
しかし貴方は事実出奔していますし…仰っていることとやっていることがかみ合っておりませんわよ?

まぁ、王家の血を引かぬ偽姫の言い分など、聞く気もありませんが」

呆れたように呟いた、何気ない一言。
しかしナタリアには結構なダメージを与えたらしく、その瞳を大きく見開いてルビアにはいずり寄っている。
ルビアはそれを見下ろしながら俺の隣へと移動してきた。
……えーと、近寄られるのがイヤってことか?それ。

「理解してくださいまして?
貴方は王家の血を引かぬ偽者のナタリア・ルツ・キムラスカ=ランバルディアなのです。
産まれて間もない頃、乳母の手によってすりかえられた庶民の娘、それが貴方の正体ですわ。

しかし貴方がナタリアを名乗らされたこと、すりかえられたことは貴方に罪があるわけではない。
そう思って王家も貴方に教育を施し、ゆくゆくは下級貴族に嫁がせるか、有能であるならば王家に仕えさせても良いかと陛下も考えていらしたの。

ですが貴方は王女という地位に胡坐をかき、王女に相応しくない態度を取り続けました。
陛下が貴方を叱らなかったのは甘やかしているからではなく、最早どうでもいいからです。

その上で今回の出奔騒ぎを起こしたのですから…見捨てられて当然でしょう」

ナタリアはぼろぼろと涙を流し、首をふって否定しようとする。
しかしルビアは情けをかけない。無言でナタリアを見下ろし、さっと扇子を上げて合図を出した。
領事が部屋を出て行ったかと思えば、複数のキムラスカ兵が室内へと入ってくる。
ルビアによる断罪が終わったため、牢屋に突っ込むのだろう。
兵によって引きずられていく罪人たちに、ルビアは完璧な微笑と共に最後の言葉をかけた。


「死刑になるまで多少の時間があります。せいぜい己の罪を悔い改めなさいな」




前へ | 次へ
ALICE+