愛に殉ずる聖焔の話(六)


結局あの後、イオンはこれでもかというほどにルークに公人としての心構えを叩き込まれた。
ルークは全て何がどうしてどうなるか、ということを順序だてて説明し、それが何故必要になるかをイオンが納得するまで言葉を重ねた。
イオンも公人として持たなければならない冷酷さに悲しげな表情を浮かべていたが、それでもその必要性を説かれてからは何かを決意したように唇を引き結んでいた。

結局夜になっても守護役が迎えに来なかったためにルークがイオンをタルタロスという戦艦まで送っていったのだが、イオンが言いよどんだことを知っているルークは何故タルタロスに乗っているかを聞く事はなかった。
イオンはルークが詮索しないことに礼を言った後、可能ならばまた会いたいと言って微笑む。

「あー…バチカルのファブレ邸に来てくれれば多分会えると思う。
俺は外出の制限をされてるから会いにはいけないんだけどさ…バチカルに来たときによってくれれば、多分」

「では次にバチカルに訪問する際、先触れを出して許可をいただければ大丈夫…でしょうか?」

「そう、正解。できればバチカルに到着する前に連絡してくれ。
導師をお迎えするって結構大掛かりな準備が必要になるからさ、警備方面とか特に」

「解りました。ルーク、本当にありがとうございました」

「良いって良いって。俺が教えたことなんて付け焼刃にしかならないだろうし」

「そんな事無いですよ!とても参考になりました。本当にありがとうございます。
またお会いできる日を楽しみにしてます」

笑顔で会釈してタルタロスへ乗って行くイオンを見送り、ルークも宿屋へと戻る。
勿論、宿屋の外ではフードを被り髪の色を隠している。

そうして宿屋に戻ったルークに、宿屋の主人がセントビナーから鳩が届いていると言って紙片を渡してきた。
礼を言ってそれを受け取った後、紙を見てみればそこには保護申請を受理しすぐに護衛の将官を派遣すること、同時に犯人の指名手配をする旨が書かれており、キムラスカからも連絡が来ているのでそのままエンゲーブに居てくれるよう念を押されていた。

自分の借りた一室にてそれを読んだルークは笑みを浮かべると、そのままベッドへとダイブする。
ちょっとばかりお行儀が悪いことができるのも、屋敷の外ならではだ。
チーグルの森に行かずにイオンを引き止められたことに内心ほっとしつつ、久方ぶりに会えた友人の笑顔に胸が温かくなる。

「ルビィ…もう少し、後少しだ…」

呟くルークの脳裏には、笑顔で自分を慕ってくる女の顔がある。
今度はルビアとイオンが一緒に居る姿も見れるかもしれないな、なんて。
ルークは幸せな未来を夢想しながら、そのまま夢の世界へと落ちていった。



翌日。
夢の中で妻との逢瀬を楽しんでいたルークは、無礼な来客によって無理矢理眠りから覚まされた。
青い軍服を着て、赤い瞳に眼鏡をかけたマルクト軍人だ。

(折角ルビィといちゃついてたのに…!)

と、ルークが内心憤慨していたのに気付きもせず、マルクト軍人、もといジェイド・カーティスは近くに居たティアに間違いないかと確認を取る。
そしてティアが頷いたのを見てから、ルークの姿をまじまじと見つめた後、正義は我にありと言わんばかりに部下たちに命令した。

「彼を捉えなさい!不正に国境を越えて入国してきた不法入国者です!」

「んだとっ!?」

「おやおや、抵抗してみますか?できるものなら、ですが」

「あ?してやろーか?」

「その場合少しばかり痛い目に合っていただく事になりますが…」

「やれるもんならやってみろよ。ただし、あとで親に泣き付くことになるだろうがな!」

挑発するジェイドに対し、ルークも鼻で笑って返す。
ルークは寝起きだった故にぼさぼさだった髪をばさりと後ろに流し、胸をはりながら翡翠の瞳で自分を取り囲むマルクト兵達をぐるりと見渡した。
赤い髪と緑の瞳に気付いた軍人たちが顔色を悪くさせるが、ジェイドは元気ですねぇと呑気に呟くだけだ。

「…貴様、脳味噌が足りていないのか、はたまた身の程知らずの馬鹿か、どっちだ?」

「おやおや、初対面の人間にそのようなことを言われるほど馬鹿になった覚えはありませんよ」

「馬鹿をやってるから言ってんだろうが。俺を取り囲んでいるこいつ等の顔色を見て何も思わないのか?これほどまでに解りやすく示してやっているのに何故気付かない?」

傲岸不遜な物言いにジェイドの側に控えていたティアがムッと顔を顰めるが、そんな事はルークの知ったことではない。
ジェイドはルークの言葉に何か自分に見落としがあるのかと考えてみたものの特に何かあるとも思えず、彼の言葉ははったりだと判断して眼鏡のブリッジを押し上げるふりをして嘲笑を隠す。

「生憎とお坊ちゃまのハッタリに付き合っていられるほどコチラも暇ではありませんので。連行せよ!」

「……アンタ達も大変だな」

堂々と言い切ったジェイドに隠すことの無い呆れた顔を浮かべた後、ルークは自分を取り囲みガタガタと震えているマルクト兵達にそう同情したのだった。

それからマルクト戦艦タルタロスへと連行されたルークは、下級兵士用の部屋に通されていた。
ルークはこの時点で、ジェイドがルークの正体に勘付いていることを知っている。
その上でこの部屋に通したことに心底呆れながら、自分の周囲で精一杯のもてなしをしようとしてくれている下級兵士たちを安心させるように微笑みを浮かべる。
ルークはコレで開戦をする気は無い。搾り取る気は満々だが。

ジェイドは散々ルークを待たせた後、青い顔をしたイオンを連れて室内へと足を踏み入れた。
イオンの背後にはピンクの衣装を着たアニスが居り、何故か隣にティアを座らせる。
そして大量の第七音素が云々を説明した後、ルークにフルネームを問うてくる。

「ルーク・フォン・ファブレ子爵だ。キムラスカ王族にして第三王位継承者、キムラスカ王国軍元帥にして公爵であるクリムゾン・ヘァツォーク・フォン・ファブレと王妹シュザンヌ・フォン・ファブレが嫡男の公爵子息でもある」

「公爵子息!?素敵〜」

「その後半の説明は必要なの?」

目をハートにするアニスと、呆れたような声を出すティア。
二人を無視してルークはジェイドを睥睨する。
そしてゆっくりと足を組むと、笑みを浮かべて肘掛に肘をついた。

「成る程成る程。結構なご身分をお持ちのようですね」

「まぁな。で、その結構なご身分をお持ちの相手に対してお前は何もしないのかな?」

「跪けとでも言うつもりですか?」

「それが礼儀だろう。たかが左官殿?士官学校で礼儀作法は学ばなかったか?
それをしないということはマルクトでは礼儀作法の授業が無いのか、はたまたお前が頭が悪いのか…あぁ、頭が悪いのか。コレは失礼。マルクトでは馬鹿でも左官になれるとは知らなかったのでな」

「ルーク!大佐に対して失礼でしょう」

ティアの発言を無視し、ルークは目を細めてジェイドを見る。
ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げた後、感情の乗らない瞳でルークを見てからその場に片膝をついた。

「コレで満足ですか?」

「零点。士官学校からやり直せ」

「貴方、大佐になんてことを…!」

この程度で傷つく安っぽいプライドなど存在しない。
聞けばそう口にしていただろうジェイドの態度をルークはばっさりと切り捨てた。
ジェイドが鬱陶しそうに息を吐いたのを見て、ルークは笑みを消してジェイドに言う。

「お前、何か勘違いしてないか?
お前たち軍人が俺たち王侯貴族に膝をつくのは当然のことであり、最低限の礼儀に過ぎない。
お前は今こんにちはと挨拶をして自分はちゃんと挨拶ができて偉いだろうと胸を張る子供と同じことをしているんだ。
俺は満足どころか失望してるぜ?マルクトの左官はろくに礼儀も学ばないのか、ってな」

お前は子供と同じだとルークに言われたジェイドは唇を引き結んでルークを見る。
そして立ち上がったかと思うと、ポケットに手を入れてルークを見下した。

「生憎と子供の我が侭に付き合っている暇は無いのですよ。
それに貴方は国境を不正に越えてきた不法入国者、本来ならば犯罪者に礼儀を取る必要などありませんから」

「ほぉ?マルクト軍人が冤罪で王族を捕らえるとは、余程キムラスカと戦争したいと見える」

「冤罪ですか。事実貴方は不正に、」

「俺は既にケセドニアのキムラスカ領事館、セントビナー、グランコクマに事の経緯を伝えて不正に国境を越えてしまったことを詫びている。
鳩を飛ばしたのがつい先日なためにまだケセドニアとグランコクマからは返答は貰っていないが、セントビナーからは既に返答を貰っている。入国申請の受理と護衛の派遣をな。
その俺を捕らえようとするんだ。冤罪以外の何がある?」

ジェイドを睥睨しながら感情の乗らない声で淡々と告げるルーク。
流石に分が悪いと悟ったのか、ジェイドは口を閉じてルークをじっと見つめた。
先日ルークからの授業を受けたイオンは事の不味さを理解して青い顔でやり取りを傍観しているし、アニスは貴族然としたルークにごくりと生唾を飲み込んでいる。
ティアはなんて傲慢なの、と呟いていたが、傲慢なのは貴様だとルークは突っ込みたくなった。

「さて、事情聴取もろくにすることなく人に冤罪をかけたジェイド・カーティス大佐。
何か言うことは?」

「……真に申し訳ありませんでした」

「それだけか」

頭を下げることなく謝罪を口にするジェイドに対し、ルークは足を組み替えながら言う。
珍しいことにジェイドは驚いたような顔をしてルークを見ていて、心底理解していないジェイドにルークは深々とため息をついた。
諦めたのだと、まともな感性を持った人間ならば気付いたのだろう。
怒らないだけまだルークは心が広い。

「マルクトが馬鹿なのはよーく解った。降ろせ」

「それはできません。貴方には頼みたいことがあるのですよ」

当然のように言ったジェイドに、ルークは今度こそ怒りを見せた。
表情としては僅かに顔を歪めた程度だったが、身に纏う空気が一転したのだ。
人の上に立つ貫禄、とでも言おうか。
言葉にすればそれだけだったが、その場に居た人間は全員後ずさりルークを凝視していた。

「……喜べ、ジェイド・カーティス。
貴様のお陰でマルクトとキムラスカの国交は断絶する」

「な、にを…」

「最後の慈悲を持って貴様に教えてやろう。
私は最初に私の身分を名乗った。つまりそれは公式に身分を明かしたということ。
にも関わらず貴様は私への態度を改めることも、部屋を変えるどころか無礼を詫びることもしなかった。
跪くのも私に言われてからだったな。
この時点でマルクトはキムラスカを見下していると言っているも同意義だ。
キムラスカ王族は敬うに値しない、とな」

怒気を纏いながらも冷笑を浮かべるルーク。
その言葉にジェイドはサッと顔色を変えた。
ようやく理解したようだが、もう遅い。

「次に貴様は私に冤罪をかけたことを謝罪を口にしただけで済ませた。
コレはマルクトがキムラスカを見下しているどころか侮辱しているということ。
この時点で貴様は不敬罪、侮辱罪を犯している。
まぁ王族に対し保護ではなく連行した上、ろくに事情聴取もせずに濡れ衣を着せた訳だがからそれだけではすまないがな。
コレが一般市民ならば良かっただろうが、今回はマルクトのたかが左官が、キムラスカ王族に対して、だ。
コレは立派な開戦理由になる」

隣のティアも開戦理由になると言われてようやくことの不味さを理解したらしい。
僅かにカタカタと震えながらルークを見ている。
ルークとしてはようやく煩いのが黙った、という認識だが。

「理解したかジェイド・カーティス。私が名乗った時点で、貴様の態度はマルクトの総意と見なされる。
それを理解せずに取った貴様の無礼の数々、非常に許し難い。
キムラスカは王侯貴族の権力が非常に強い国だ。そして私は公爵子息にして子爵位を賜っている身、私への侮辱はキムラスカへの侮辱だ。
キムラスカはマルクトに対し遺憾の意を告げ、国交を断絶するだろう。貴様のせいでな!」

最後に嘲笑を浮かべながら断言したルークに、ジェイドは自分のしでかしたことをようやく理解し、間違いなく震えていた。


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