泥に沈むことを選んだのはボクでした(V)


「……は? 殺せって、ルビアを?」
「そうだ」

 あの辺境の小屋で数週間かけてみっちりしこまれた後、ダアトに戻ったボクは騎士団に入りもっと別のことを教えられた。
 あそこでは教えるのにも無理があるにゃーとへらへらしていたが、そもそもルビアは第五師団師団長だ。
 いくらヴァンの協力があったとはいえ長期間自分の師団を放置するわけにもいかなかったのだろう。

 一般生活の仕方、対多数戦における戦い方、軍の指揮について、書類のさばき方、魔物の分布や習性など。
 仕事の傍ら本と実戦を交えながら、ボクは軍人になるために必要なあらゆる知識と経験を叩き込まれた。

 そうしてルビアに師事し始めて数ヶ月。もともとの才能もあったのだろう。
 更に譜術に関しても教わり、ルビアに一撃を入れるどころか模擬戦をできるようになり、共に魔物狩りだっていけるようにもなった。
 シンクちゃん才能あるにゃーなんて笑う彼女に未だに一本も取れていないが、そこらへんの一般兵よりはずっとずっと強くなったと思う。
 そんな時だ、ヴァンにルビアを殺すよう指示されたのは。

「本来あの女は私の言うことを聞くような女ではない。計画に賛同しているわけでもないからな。それでもお前を弟子としてねじ込めたのは一つ借りを作っていたからだ」
「あの女と生活を共にしたお前ならわかるだろう? あの女の持つ力は惜しいが、いかんせん制御が利かなさすぎる。何を考えているか解らない人間を側に置くわけにはいかない。わかるだろう? 計画を無事遂行するためにも、あの女は邪魔なのだ」
「勿論今のお前でもあの女に敵わないことは重々承知している。これを使え。無味無臭の毒薬だ。力では敵わずとも、数週間寝食を共にした弟子相手ならばあの女も多少の気は緩むだろう。毒を仕込む隙はできる筈だ」
「まだ秘奥義を教わっていないな? 二週間時間を作ってある。口実としては十分だろう。あの場所ならば邪魔者も入るまい。行って来い。そして――無事あの女を殺せた暁には、お前を計画の賛同者として迎えよう」

 ことん、と小さな音を立ててデスクに置かれたのは、透明な液体の入った変哲もないただのガラスの小瓶。
 それを震える手で何とか受け取れたのは、多分ルビアの元で感情的になるな、常に冷静でいろと鍛えられていたからだろう。
 スプラッシュを使って物理的に頭を冷やされていたのが役に立つ日が来るとは思わなかった。

 それから小瓶を受け取って、またあの二人で過ごした小屋に戻るまでの間については、あまり記憶にない。
 ただ怪しまれないようにとか、まだ秘奥義を習得していないからとか、色々言い訳をしながら毒を仕込む機会を何とか後回しにしようとしていた自分がいた。

 それから十日ほど二人で過ごしただろうか。
 やはりボクはルビアから一本とることはできないまま、しかしヴァンの言うとおりルビアはボクに対して隙を見せるようになっていた。
 ボクに料理を任せ温泉に浸かりにいったその夜、今しかない、と思った。

 ことこと煮込んだシチューを木皿に移す。あとはルビアの皿の中に一滴だけ小瓶の中身を入れればいい。それだけで彼女は死に至る。
 計画を遂行するには彼女は邪魔だ。賛同しない、どう動くかわからない強い力の持ち主など不穏分子でしかないのだから。
 小瓶に伸びる手が震えているのが解った。怯えてる? ボクが? なぜ? ボクが毒を飲むわけではないのに? どうして?

 フラッシュバックした。

 投げられた。殴られた。蹴られた。踏み潰された。何度も死ぬかと思った。
 時折投げられるグミで何とか命を繋いだ。お陰でボクの舌はアップルグミの味を林檎味じゃなく血の味で覚えてしまっている。

 ご飯を食べさせられた。お風呂に入れられた。無理矢理寝かされた。初めてマッサージをされた時は気持ちよかった。
 お風呂上りにじっくりと筋肉をほぐされて、そのまま寝てしまったボクをベッドへと運んでくれた。あれはきっと一生の不覚という奴なのだろう。

 セクハラされた。心配された。頭を撫でられた。褒めてもらえた。
 そうだ。普通に暮らす、ということを初めて教えてくれたのも、なんだかんだ言ってルビアだった。
 褒められて悪い気はしなくて、けれど素直に嬉しいと言えないボクをルビアはからかうものだから結局ボクは終始怒鳴っていた気がする。

 そんな、彼女を、殺すのか。

 小瓶に伸びた手が躊躇する。手を何度も開いては閉じてを繰り返す。
 もし、もし彼女を殺さなかったらどうなるのだろう。

 きっと、ボクが殺される。計画を知るボクを、ヴァンは逃しはしないだろう。
 賛同者として認められなかった以上、ボクは計画を知る部外者、もとい失敗作でしかないのだから。

 それならいっそ、二人で逃げてしまえばいいんじゃないだろうか。
 ルビアは強い。追っ手は差し向けられるだろうが、二人ならきっと逃げ切れる。
 ここみたいな山奥にある小屋で、二人で暮らせばいい。それなら、それならきっと。

 そこまで考えて、どろりとしたものが胸の奥に湧き上がった。
 …………ボクの復讐はどうなる?

 預言という目に見えない敵を、復讐相手を、ボクは忘れることができるのか。
 ルビアと共に逃げたとしよう。逃げたとしたら、ボクは復讐することは叶わないだろう。
 あの熱を、痛みを、絶望を、ボクは忘れない。ルビアに与えられたものよりも倍では足りない痛みは、預言というもののせいでボクの身にふりかかった。

 死は恐ろしい。痛みは避けるべきだ。ボクはルビアにそれを教わった。そしてそれに対抗する手段を、ボクはルビアに学んだのだ。
 この小瓶に手を伸ばせば、ボクは更なる対抗手段を手に入れることができるし、預言という痛みを与えてくれた相手を消すことができる。

 もうすぐルビアも戻ってくる。迷っている暇はもうない。胸に湧き上がる憎悪と、名前の知らない感情がぶつかっている。
 ごくりと音を立てて生唾を飲み込む。

 そして、ボクは――


 ――小瓶を、手に取った。


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