それはいつものように僕が書類に追われていた午後のこと。
コンコンとリズミカルにノックの音が響き、誰だと問いかければ幼い声に似合わないハキハキとした返事が返ってきた。
「導師守護役部隊所属、エリーゼ響士であります」
予想外の訪問者に反射的に立ち上がりそうになり、その必要は無いだろうと思い直して入れば、と入室を促す。
失礼しますという硬い声と共にエルが入室してくる。
虚無的な瞳も薄汚れた眼帯も腰に巻かれた黒い上着もいつも通りだったが、今日はピンクの守護役の制服を着ていなかった。
つまり、私服だ。
「あれ?今日休み?」
「はい」
「ってことは仕事で来た訳じゃないんだね?」
なんせ導師様のお気に入りなのだ。他の守護役に比べて休暇も少ないだろう。
わざわざそんな貴重な休暇を潰してまで仕事をしていると思えず念のために確認を取れば、エルはこくりと頷いて肯定を示した。
ならば客扱いだろうと仕事を中断してソファを勧め、仮面を外して紅茶を淹れる。
他の人間ならば追い返すところだが、エルは別だ。
私情が思い切り入っていようとなんだろうと文句は言わせない。
なんたって総長たるグランツ謡将が仕事をほっぽりだしてキムラスカに入り浸りなのだから。文句を言われる筋合いなど無い。
それでも文句を言うというならば僕はきっと喜んで仕事を押し付けてやるだろう。
僕の苦労を思い知れ、と。
「それで?君がわざわざ尋ねて来るなんて余程の用があるんだろ?」
どうしたのさ、と聞けばエルは少しだけ困ったような顔をした。
そんなに言いにくい内容なのだろうかと不安が湧き上がる。
七番目に何かされたとか?
……それは無いな。
「その、そんな大した用ではないのです。むしろお時間を取らせてしまい申し訳ない程でして。本当に些細な用なのです」
「そんな些細な用の為に来たの?君が?」
「来たと言いますか、連れて来られたと言いますか…」
「連れてこられた?」
話が見えてこなくて、紅茶のカップを片手に思わず眉を顰めてしまう。
エルはそんな僕を見てから、少し困ったような表情のままココに来た経緯を話し始めた。
「はい。実はお菓子を作ったのですが、分量を量り違えて大量に余ってしまい処分に困って居た所、第五師団の方にお会いしまして。
事情を聞かれたので素直に話せば、それならばシンク様におすそ分けをしたらどうかと勧められたのです。
シンク様ならばおやつにでもして下さるだろうと思い師団の方に届けてもらうよう頼もうとしたのですが、どうせならば手渡しで渡した方が良いとここまで連れて来られました」
淡々と語られた経緯に僕は思い切り脱力したくなった。
未だに解けないエルのちょっと困った顔の原因も解り、呆れを大量に含んだため息を余すことなく吐き出す。
成る程、確かに物凄く些細な用だ。
「成る程ね。つまり差し入れに来てくれたって事で良い?」
「はい。間違いありません。多忙の中お時間をとらせてしまい申し訳ございません」
「まぁ半分は君の意志じゃないみたいだし、今回は何も言わずに僕も受け取るよ。で、何持って来てくれたの?」
「生チョコです」
生チョコか。確かに、糖分摂取にはぴったりだろう。
背中に巻いていたらしいポーチから両手に乗るくらいの簡素な箱を取り出し、お口に合うと良いのですがと僕へと差し出すエル。
開けてみればココアパウダーがかけられた生チョコがいくつか入っていて、試しに一つ口に含んでみれば甘さとほろ苦さが舌の上で絶妙なハーモニーを繰り広げていた。
うん、うまい。
「甘すぎないし、僕好みの味だね。今日はまだおやつ食べてないし、ありがたく貰うよ」
「助かりました。ありがとうございます」
「君がお礼を言ってどうするのさ」
ぺこりと頭を下げるエルに苦笑しつつ、自然と頬が緩む。
惚れた女にプレゼントを貰って喜ばない男など居ないだろう。
しかも手作りのお菓子でうまいと来た。喜ぶなというほうが無理だ。
そんな風に浮かれていたのがいけなかったのだろうか、僕は自らの迂闊な発言によって機嫌が急降下することになった。
「にしても君がお菓子作りなんて珍しいね。どういう風の吹き回し?」
「それは…まぁ、色々と」
「色々とって?」
「……導師に食べてみたいと、ねだられたので」
言い辛そうに告げられた言葉の後、僕とエルの間に沈黙が落ちる。
つまりこれはあれか。セブンスにあげる余りってことか。
無意識のうちにチョコの入った箱を握りつぶしそうになったが何とか堪える。
その代わりとでも言うように、湧き上がる醜い嫉妬心は抑えられそうになかった。
「つまりこれは余りモノってワケ?」
「そうとも言いますね…」
言葉を濁すことなく同意され、沸々と沸きあがるどす黒い感情。
再度拳を握りそうになり、誤魔化すようにもう一粒チョコを口に含む。
先程は甘さも感じていた筈なのに、何故か今度のチョコはほろ苦いだけだ。
そのほろ苦さを糧に、何とか理性を立て直す。
それでもまぁ完全に気が治まる筈も無く、僕はチョコを一粒手にとってエルへと差し出した。
「…まぁ、いいさ。君も食べなよ」
「いえ、散々味見で食べましたので」
「僕が食べなって言ってるんだけど?」
僕がそういえば、エルは少し間を置いた後頂きますと言って手を伸ばそうとしてきた。
しかしエルが受け取る前に僕は身を乗り出してローテーブルを乗り越える。
紅茶の入ったカップが音を立てた気がしたが、それは無視してエルの唇に生チョコを押し付けた。
エルは抵抗することなく唇を開き、唾液の滴る口内へと生チョコを受け入れる。
僅かに覗いた口内が何故かとても艶かしく見えた気がした。
「甘さとほろ苦さのバランスは僕好みだよ」
「…ありがとうございます」
もぐもぐと生チョコを咀嚼するエルの動きを阻害するように、僕もソファに乗り上げる。
膝立ち状態でエルを見下ろせば、やっぱりちょっと困ったような顔をしていた。
多分、直接渡せばこうなるとエルも解っていたんだろう。だから師団員に渡してくれるよう頼もうとしたに違いない。
もう一粒手に取り、口に運ぶ。
やっぱり最初に感じたときほど甘くなくて、新しい一粒は再度エルの唇に押し付ける。
柔らかな唇が僕の手ずからチョコレートを受け入れる様に笑みが零れた。
唇についたココアパウダーをぬぐってやれば、そっと視線が反らされる。
「余りモノにしては美味しいよね」
「…ありがとうございます。ついでにどいていただければ幸いです」
「ヤだね。こうなるって解って来たんだろ?」
「半ば予想はしておりました」
「なら諦めたら?」
顎をとり、無理矢理唇を重ねてやる。
特に抵抗とするなく受け入れるエルは、こうして僕に口付けられることに何を思うのだろう。
甘ったるいはずの口付けはやっぱりどこかほろ苦くて、舌を差し込んでやればほろ苦さは増した。
「ん、っ…ふ」
「チョコの味がするね」
まだ少し中身が残っている箱を横に置き、後頭部に手を添えて本格的に唇を重ねる。
やはり特に拒絶はされず、僕の服をつかまれるだけ。
舌を絡めて口内をまさぐってやれば、嬌声にも似たくぐもった声が耳に届いた。
こうして無理矢理唇を奪う度に思う。
エルは戦闘では無類の強さを誇るのに、これだけで苦しげに息をする。
もしかして色事の類には弱いのだろうか?
「ぁ……シンク様…っ」
「君はいつも逃げないね」
「……逃げて欲しいですか?」
「さぁ、どうだろうね?」
唇を離せば、いくらでも深読みできそうな言葉。
いっそ逃げてくれれば楽なのに、そうしたら君の意志なんて無視して無理矢理捕まえて僕のものにできるのに。
エルの揺れる瞳は答えなんてくれない。
僕の手が緩んだ隙をついて、エルは立ち上がる。
そして一礼してから何も無かったように部屋を出て行ってしまった。
もしかして僕の迷いすら見透かして、ああして曖昧な態度をとっているのだろうか。
それともエル自体も迷ってるから、あんな揺れる瞳をしているのだろうか。
ソファに身を預け、箱に残っているチョコを再度口に含む。
口付けと一緒で、そのチョコレートもやっぱりほろ苦かった。
君囚IF〜崩れた生チョコ〜
君囚初のIFです。
やっぱりこの二人だとビターになりますね。
シンク視点オンリーというのも書いてて楽しいです。
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