愛しくってきみを唄う


同期である七海健人から、虎杖悠仁という名前は以前から聞いていた。いつだって自分にも他人にも厳しい七海が、その子についてはずいぶんと認めたような口振りだったから驚いたのを覚えている。それから私は虎杖くんのだいぶかなりヘビーな運命を知ることとなり、どんな聖人君主かと思えばついこの間まで呪術の呪の字も知らない一介の高校生だったというし、顔を合わせてみれば何の変哲もない純朴な十五歳の男の子だったので、私は初めのうち、彼に関してはただただ驚かされることばかりだった。

「名前さん、ナナミンと同い歳に見えないね」
「それは『歳の割に』若いってこと?」
「うわっヘリクツ」

任務からの帰り道、私は助手席に虎杖くんを乗せて高専所有の車を運転していた。今回の任務は昨晩発生した低級呪霊の駆逐で、対応できる補助監督がいなかったために二級術士である私が彼のサポート的な立場で同行することとなったのである。虎杖くんと一緒に任務をこなすのはこれが数度目で、ここ最近は今みたいにお互い軽口を叩く程度には慣れてきた。と思う。

「俺も、早く免許取りたいなぁ」
「あと二年だね」
「二年かー…」
「そんな遠い目しなくたって、あっという間に過ぎていくんだから。今のうちにしっかり青春しなさい若者」
「ぷっ!五条センセーもだけど、たまにじーちゃんばーちゃんみたいなこと言うね。二人ともまだ二十代でしょ」
「キミたちが孫みたいにかわいーのよ」
「孫て」

そこまで歳離れてねーじゃん、と呆れた顔をする虎杖くんに「気持ちの問題よ」と返しながらゆっくりとハンドルを切る。回転していくフロントガラスの向こうの景色を見つめながら、頭に浮かぶのは同期から聞いた彼のさだめの話と、先ほど私が何気なく口にしてしまった「二年」という、少し先の未来の話だった。
宿儺の指を全て取り込んだら即死刑。そんな単純で無慈悲な、数年後とも数日後とも分からない終わりを定められている彼に、未来の話をするなんて酷だということは分かっていた。ただ虎杖くんのことを孫…までは言い過ぎにしろ、自分の弟のように可愛く思っているのは事実だし、そんな彼にはこの先の人生への夢も希望も持って生きてほしいと、そう願わずにはいられないのだ。我ながら、押しつけがましい願望だとは思うけれど。

「虎杖くんはさ」
「ん?」
「運転免許取る以外に、大人になったらやりたいことないの?」
「…んん〜?」
「たとえば結婚とか」
「ケッ」

コン、と急にカタコトになった彼の方を見れば、隣の男子高生は赤い顔で照れたような困ったような表情を浮かべていたから思わず口元が緩んだ。そんなこと、考えたこともありませんでしたという顔だ。それを微笑ましく思いながら、そういえば私は虎杖くんと同い歳の頃どうだったっけと頭をひねる。あの頃はまだ同期とも打ち解けてなくて悲惨だったなぁ…というか、もう何年前の話になるんだ私の青春時代……。頭の中で指折り数えて虚しくなっていると、隣の彼はいつの間に切り替えたのか、いつもの調子に戻って「名前さんは」と口を開いた。

「名前さんは、結婚とかする予定あんの?」
「私?しばらく無いかなぁ」
「ふーん」
「…ごめん、変なこと聞いちゃったね」
「ううん全然。俺もいつかは結婚とか、コドモとか、いいなって思うし…」

そこで言葉を切った虎杖くんは、窓の外に目を向けて穏やかに笑った。「そっか」なんて、こっちから聞いたくせに気の利いた返しの一つもできない自分が心底嫌になる。彼は私が思っているよりも、彼と同い歳だった頃の私よりもずっと大人だ。そういうところが余計に切なくて、悲しくて、やるせなくて…放っておけないと思う。それは私に限ったことではなく、七海とか、五条さんとか、彼の同期とか先輩とか、虎杖くんの周りにいる人たち皆そうだ。だからきっと大丈夫なのだと、そんなあてのない確信が、彼の未来を想う私の心の中にずっとある。
硬いハンドルを握り直しながら、私は「ねえ」と彼に話しかけた。流れる景色を追っていた二つの瞳が、こちらを向いてパチリと瞬きする。

「何?」
「虎杖くんに彼女ができなかったら、私が付き合ってあげようか」
「…………マジで?」
「まじまじ。……あれ?いやそこは『イヤだよ』って拒否するところだと思うんだけど」
「俺、名前さんと付き合えたらすごい嬉しいんだけど」
「ええ…?」

空気を変えようと思って何気なく言った冗談が、思ってもみない受け取り方をされて私は戸惑った。というかそもそも私と虎杖くんの年齢は十も離れてるのだし、今の冗談も当然「名前さんなんてこっちから願い下げだよ」と渋い顔をされてそれを笑い飛ばす予定だったのだが。
行く先の信号が赤になり、車が停止した。…さっきとはまた違う意味で気まずくなってしまった。反射のように運転席と助手席との間にある煙草の箱へ手を伸ばせば、虎杖くんの手がそれを捕まえてぎゅっと握りしめる。

「うわっ」
「名前さん」
「……ハイ」
「俺と付き合ってよ。絶対幸せにするから」

顔を上げれば、虎杖くんの爛々と光る目がすぐ近くにあってちいさく肩が震えた。握られた方の手がやけに熱い。突然のことに驚いたせいか、はたまた別の理由か……心臓も、焼けるように熱い。
こんな真っ直ぐな瞳を向けられて、こんな直球ストライクゾーンド真ん中の告白をされて、絆されない人っているんだろうか。こちとら高専を卒業してからの数年間、ドライな同期に頭のおかしい先輩に偏屈な同業者に辛辣な言葉を浴びせられ続けてとっくの昔に心が荒んでいるのである。そんな純粋な好意を向けられたら…そして何より、私が願う彼の未来に私自身が必要とされるなら、うっかり泣いちゃうくらい嬉しいじゃないか。

「虎杖くん、私キミよりだいぶ歳上なんだけど」
「知ってるよ。さっき教えてくれたじゃん」
「……いいの?」
「いーの!!!…名前さんこそさっき孫とか言ってたけど、俺でいいの?」
「…ううっ、私、キミのこと幸せにしたくなっちゃったぁ…」
「なっ何それ……てか、名前さん前前!信号青!!」




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