紡ぐ音色は誰が為に。

『Shall we dance ?』の先輩審神者とへし切長谷部の話。鶴さにちゃんは出ません。

そのうち二人と二振り(鶴さに+へしさに)でわちゃわちゃさせる話を書きたいです。












「ごめんね」


蹲る俺の頭にそっと載せられた、小さな掌。

向けられた、真っ直ぐな言葉。

たったそれだけで、俺は。

自分がどれほど愚かだったかを、思い知らされたんだ。








「なぁ、薬研。彼女はどうして俺を厭うんだ?何か手伝おうとしても、大丈夫だと突っぱねられる。しかしお前の言うことなら大人しく聞き入れるだろう?」

「ああ………」

主の娘と出会ったのは、この本丸が稼働してから十余年も経った頃のことだったように思う。七つにも満たないその娘は、幼いながらに審神者としての適性を有していた。主の子なのだから、当然といえば当然だ。そして検査結果が出てからそう間を置かず、現世にそのまま無防備に置いておくのは危険だということで、急遽本丸で彼女を養育することが決まった。上座に座る主の隣にちょこんと座したその人間は、幼いながらに理性的な光を瞳に宿した、聡そうな子供だった。


『長谷部、お前と薬研でこの子の面倒を見てやってくれないか。まだまだ親という存在が必要な時期だ。しかし俺も自分の仕事をこなさねばならないから、ずっと傍で付きっ切りという訳にもいかなくてな...……』

『はっ、主命とあらば』

そう、最初は主命だから彼女を見ているに過ぎなかった。実際、今思えば「また下げ渡されるのでは」などと余計なことを考え、ずっと慇懃無礼な態度をとってしまっていたような気さえしている。

俺は主のことを尊敬し、また二君に仕えるつもりも更々なかった。自分が主と仰ぐ人間は、たった一人で良かった。だからこそ、新しくやって来た人間の存在に恐れた。また、俺は切り離されてしまうのではないかと。主に只管仕える姿勢を見せてこれまでの生活に必死にしがみつくことしか、俺には出来なかったのだ。

丁寧に接していたつもりで、実の所は主の子供としてしか、彼女のことを見られていなかった。それを、あの聡い娘が気付かないはずもなく。

「旦那はお嬢のことを見てないからなぁ」

「……どういう意味だ?少なくともお前と同じくらい、彼女の世話をしているつもりだが」

「うーむ、なんというか……もうちょっと素直に、お嬢と向き合ってみたらどうだ?」

曲折した視線に、幼子の心は頑なになった。

そんな彼女の心に、俺はこれっぽっちも気付けなかった。

「何故、何故薬研ばかりに懐くんだ…!」

鬱屈とした心情と、情けなさ。やるせなさ。そんなどろどろしたものばかりを綯い交ぜにした、昏い気持ち。俺が抱え込み溜め込んだそれらは、もう限界まで淀み切っていた。ぎりりと歯噛みすれば、同じく畑当番だった鶴丸に苦笑される。

「そりゃあ、君はおひぃのことを見ていないからなぁ」

薬研にもアドバイス貰ったんだろ?そう小首を傾げて尋ねられるが、やはりその真意は掴めず。「どこが見てないって言うんだ、こんなに悩んでいるのに」と眉間に皺を寄せ鍬をふるえば、分かっちゃいないなと肩を竦められた。

「もっと気楽に接してみろよ、あの子だって馬鹿じゃない。君の気持ちを汲んだ上で、適切な距離感で接してくれるさ

下げ渡されるだのなんだのは、そのあと考えたらどうだい?」

ばっと振り返って見てみれば、肩に担いだ鋤とホースをひょいひょいと台車に放り込んでいる白い背中。見えないのを良いことに思い切り睨めつけてやると、「おお、こわ」なんて茶化しながら、鶴丸はおどけていた。台詞にはどこか笑いが含まれているような気配がした。

…鶴丸も、分かってるのか。彼女との接し方というやつを。

直接世話係を任された訳ではないのに、鶴丸のように彼女と上手くやっていっている刀は何振りもいた。いや、むしろ俺との距離感が異常なくらいだった。周囲に馴染み、溶け込んで。この本丸では彼女がいない日常が、今では非日常になっていた。

「どうして…」

自分の担当区画の仕事を終え去っていった鶴丸に、何も言うことが出来なかった。方や俺の方の区画は、ちっとも進んでいない。耕すべき所が山ほどある。なんたる怠慢だ。

ーーー情けない。こんなでは、主にも顔向け出来やしない。

耐えきれず俯いて蹲っていると、ふと眼前に影が差した。ふわり、柔らかな風とともに目の前の人物が地面に膝をついて、俺に手を伸ばしてくる。

「ごめんね」

まだ幼さの残る紅葉が、そっと俺の頭の上に載せられる。

顔を上げれば、彼女の真摯な言葉そのものを表すような、澄んだ黒曜石が己に向けられていた。

…そのときが、初めてだった。俺が、きちんと彼女を見たのは。彼女自身のことを、認識したのは。

ふわり、花のような微笑みが眼前で綻ぶ。

「やっとこっち見たね、へしにぃ」

己の愚かさを悟りつつ、手を引かれて。立ち上がった時には、すっと胸がすいていた。

彼女が齎してくれた爽快な風が、俺のもやもやを余すところなく吹き飛ばしていってくれた。



その後、彼女が協力を申し出てくれて、一緒に畑を弄ることになった。俺の指示を聴きながらふんふんと頷き、一つ一つ丁寧に種を飢えていく。その所作は慈しみに溢れていて、彼女は命を大事にする人間なのだと、今更ながら気付いた。そういえば、ものを扱う手つきも殊更慎重だった気がする。これまで自分は、本当に何も見ていなかったらしい。

それから幾月。あのとき彼女と一緒に蒔いた野菜の種が芽吹き、実を結んだ。それを使った夕餉を食べた時、普段よりも一等美味しく感じられた。

ちらりと彼女の方を見れば、誇らしげな顔をこちらに向けていて。

やったね

口をはくはくさせながら、言葉を紡ぐ彼女。実際にはただの空気の塊だった訳だが、俺にはそんな優しい声が、耳元で聞こえていた気がした。











それからの接し方は、少しだけ。ほんの少しだけ、柔らかく甘くなったように思う。お互いに歩み寄れば、雪解けはいとも容易く訪れた。

無論、勉強や手習いの類には一切手を抜かない。彼女のためにならないからだ。しかしこの俺がむしろ休憩を促すくらいには、彼女は勤勉だった。根をつめすぎて薬研に二人して怒られたくらいだ。

「へしにぃ教え方上手いし、つい捗っちゃって」

そんな言い訳にもならない言葉を笑顔と一緒に零していると、決まって二人で遊んでこいと、勉強部屋から放り出された。

「うーん…へしにぃ、じゃあまたピアノ、一緒に弾いてくれる?」

彼女が現世で習っていたという、俺達には物珍しい西洋の楽器。初めてやって来たときは気にも留めなかったが、それは予想以上に俺の心を震わせるものだった。

彼女の細い指が触れる度、ぽーんと美しい音が生まれる。繰り返されて、豊かな旋律を紡いで。重なり合って、一つの曲になる。彼女が気紛れにそれを弾くとき、大概の場合俺もその場にいた。彼女が連れてきてくれていた、ともいう。自分から聴かせてくれと言えない俺に、彼女が「聴いてくれない?」と提案してくれるのが常だった。そのうち自分自身でそれを弾くことも多くなった。先生は、無論彼女だ。

「へしにぃ、すごく上手。まるでお店で聴いてるみたい。流石ね」

うっとりと呟くその声音は、柔らかく蕩けていた。それを聞くのが嬉しくて、益々鍵盤を叩くようになった。にこにこと優しく微笑む彼女と、連弾することもあった。二人で演奏する時が、一番楽しかった。

主とは違い、彼女とは対等な関係だった。お互い意見を述べ合い、鼓舞し合う。間違えていると思えば指摘するし、時に喧嘩をすることもあった。そんなとき仲裁に入るのは大抵の場合薬研で、へしにぃ≠ネんて呼ばれていても、彼女にとっては薬研こそ兄のような存在だったように思う。

「私の方がパパのこと好きだもん!!」

「いや、俺の方が主のことを…!」

「お嬢に旦那、いつまでその不毛な言い争い続けるつもりだ……?主もにやついてないで、ちょっとは止めに入ってくれ」

喧嘩しても、すぐに仲直りして。またいつものように、二人でピアノを弾き、語り合う。そんな緩やかで幸せな時間が、ずっと続くと思っていた。

「へしにぃ、私ね。貴方のピアノを聴いてる時間が、一番幸せだったの」

彼女が本丸から出ていく時。俺は、何も言えなかった。そっと離された手の温もり。しばらくの間その感覚が拭いされず、がむしゃらに出陣を繰り返していた。

彼女はきっと、下げ渡されることを恐れていた俺を知っているから、何も告げずに去っていったのだと思う。俺の気持ちはその頃には膨れ上がり、隠すのも難しいほどになっていたから。きっと、察していたに違いない。彼女が俺をどう思っているかは、遠ざかる背中が小さくなり見えなくなってからも、これっぽっちも分からなかったが。

彼女の口に重い錠をかけてしまったのは、俺だ。

そんな俺が、彼女と会いたいと。そう願うことが、果たして許されるのか。

ぐだぐだとどうにもならないことを考え続け、幾年。彼女は全くうちの本丸にも寄り付かなくなり、実質的に縁は殆ど途切れてしまったように思えた。

諦め切って己の心に蓋をした、そんなある日のことだった。

「エンターテイメントを…俺たちの手で、作り上げる…?」

「そうさ!主の悲願だからな。君はピアノを弾いてみればいいんじゃないかい?きっと盛況するだろうさ」

「ピアノを………俺が………」

一人の女性としても、妹のような存在としても。対等に語り合える相手としても、彼女のことを大切に思っていた。そんな人物が俺に残してくれたのは、ピアノの腕と、相手を慈しむ心。それがあれば、今後も主のために。そして彼女のために、己を役立てることが出来ると言うのならば。

「喜んで、受けよう」

進んで、ステージに立ってみようと思った。

ーーーしかし、事態はそう上手くはいかず。

「なんで、なんで彼女は来ないんだ……!」

「そりゃあ、鶴の旦那。あんたみたいに夜の仕事してる昔馴染みに、しれっと挨拶できるほど、お嬢は垢抜けて無いからだろう?」

「だが、昼にも来ないじゃないか!これじゃ意味が……」

彼女は、昼にも夜にも店に訪れようとしなかった。それどころか、客を紹介することすらしなかった。

しかし、主の意見には賛同していたはずだ。なら、この店に紹介するに足る人間がまだいないということか。彼女の手腕は素晴らしいものだから、その可能性は高いかもしれない。いや、そうであると信じたい。だって、そうでなければ。

「来たくない理由が、ある、とか……」

嫌な考えしか、脳裏によぎらないから。

万が一、それが俺だったら。思考回路は悪い方に巡りだして、録な考えを叩き出さない。他に理由があるとしても、嫌な想像しか出来なかった。悪い虫がついて、もう愛想を尽かしたのかもしれない、など。また本当に時々、昼間に彼女が来たという話を耳にしても、俺がいる時に限っては来る気配が欠片も無かった。やはり、避けられているとしか思えなかった。

そんなふうに諦めていた心を、更に押し殺していたある日のこと。

鶴丸と、ある審神者がいい雰囲気なのだと。その審神者はあの子が選んだ審神者なのだと。そんな話を、耳にした。

ーーー彼女が誰かを、選んだ。

事態は坂を転がり落ちるように、動き出していた。彼女と俺が顔を合わせることは依然として有り得なかったが、彼女が店に来る頻度は上がったらしい。また、鶴丸が悶々と悩んでいる所を見ることが増えた。なんでもどれほどアピールしても、響いた手応えを感じた試しが無い、だとか。その時々で赤面はするものの、意識するまでには中々至らないらしい。

……贅沢な悩みだと、思った。彼女と俺の間の関係のこと鑑みれば、お前は幸せ者だと。そう、喉元まで出かかった。しかしそれが引っ込んだのは、彼女との仲が進展しない理由の大きな原因が、己にあると頭では理解していたからだ。

あのとき下げ渡されることを恐れず、彼女に声をかけていたら。何か、変わったのだろうか。

次の機会が、もし俺に与えられたなら。きっと、今度こそ。

「ーーー明後日の夜、お嬢も店に来るってよ。何か言いたいことがあるんなら、さっさと伝えりゃいいんじゃないか?」

「は、」

全てを見透かすような、紫翠の瞳。短刀の背丈から、見上げるような視線でありながら。その強さに怖気づきそうになるくらいには、真剣で切れそうなほどに鋭利だった。

「……すま、」

「おっと。欲しいのは謝罪じゃないぜ、旦那?鶴の旦那にも思っていることだが、俺はうだうだしてる奴らの尻を蹴っ飛ばして、さっさと収まるところに収まって欲しいのさ」

収まる、のだろうか。上手く。彼女の気持ちなんて随分昔からとんと分からなくなってしまっているし、俺も思いに鍵をかけてばかりでいた。そんな、優柔不断で頼りない刀でも。彼女の隣に立つ資格は、あるのだろうか。

「うだうだ考えるな。お嬢と仲良くなる前も、それで上手くいかなかっただろう?長谷部の旦那は、もっと自分に素直になっていいんだよ」

背中なら、押してやる。そう言い口端を釣り上げる薬研に、力強く背中を叩かれた。少々痛むくらいだ。

「覚悟決めろよ、旦那」

鶴丸の方は、もう意を決したらしい。俺だって、負けていられない。臆病者は、もうお終いだ。

「ああ。……もう、大丈夫だ」

まだ、怖さはある。けれど彼女に全てを伝える勇気は、目の前の男から受け取った。

「恩に着る。……俺も、大舞台に出てみようと思う」

主に全てを打ち明け、彼女の元へ行きたいと嘆願して。お前もか、頑張れよ。なんて温かいお言葉を頂いて、漸く俺の覚悟は決まった。

その日、鶴丸の恋が無事成就したその祝いの場で。主と軽口を叩き合う彼女の腕を掴み、久方振りに目を合わせた。

ぱちくりと瞬く光は、以前と何も変わらない。俺を魅了して止まない、知性と優しさを感じさせるものだ。

「……へしにぃ?」

「急に掴んですまない、だが、伝えたいことがあるんだ」

二人でそっと席を辞して、思いの丈をぶつけて。初めて見る彼女の涙に動揺したが、勢いよく抱きしめられては俺の涙腺まで緩む他無かった。

蓋をしたのはお互い様だと。会うと切なくなるから敢えて避けていたのだと。そんな、信じられないくらい嬉しい事実を打ち明けられて。強く抱き締め返せば、「遠回りしちゃったね、へしにぃ」なんて、へにゃりと柔らかく花が綻んだ。



主、元主。俺は今、最高に幸せです。



その後、俺達がどうなったかは。

記すまでもなく、ご理解頂けると思う。









【下げ渡された長谷部と審神者のお話】

Fin.