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『ようこそ、みょうじ なまえさん。そして今日から君はこの世界の“ ヒロイン ”だ。宜しくね』

部屋で漫画を読んでいたら、いつの間にか寝落ちていた。夢の中で出会ったのは、先程まで主人公達を苦しめまくっていた悪役の親玉。オール・フォー・ワン、その人だった。

『ここに来る前、神野での話を楽しみながら読んでいただろう? 未曾有の大事件と言われ、数多の人間が亡くなったあの出来事を。その顛末を。
嗚呼なんということだ、心は立派なヴィランじゃないか!』

思考を巡らせるまでもなく、軽く肩を叩かれ朗らかに宣告された言葉。フィクションなんだから、楽しんで読むのは当然じゃんか。手に汗握る戦いで緊張したけれど、うっかり泣きそうになったりもしたけれど、所詮物語は物語。壁を隔てた世界の話を、“ 面白い ”と思ってしまったのは事実だった。

『そんな君に、素敵な役回りをプレゼントしよう。ワン・フォー・オールの後継者が大事にしている二人。腐れ縁の幼馴染と、手がボロボロになるくらい本気で戦い救い出した友人。
将来脅威になるであろうあれらを、骨抜きにして欲しいんだよ。その為にこちら側へ引きずり込んだんだ』

私に与えられた役割と個性はーーーヒーローを誑かす『ヒロイン』。
こっちで死んだらちゃんと向こうの世界に戻れるから、なんて無責任な言葉と共に、私の視界はぐるりと周り。目を覚ませば、ヒロアカの世界ーーーしかも神野の事件直後の、敵連合の本拠地のど真ん中ーーーにいたのだった。

なんだか目線が低いぞと思えば身体が高一の頃まで逆行していたり、むしゃくしゃしていた死柄木弔に初っ端から殺されそうになったり、当初はそれはもう色々な出来事があったのだが、閑話休題。
オールマイトの最後の一撃で気絶し、拘束され個性が使えなくなるまでの僅かな時間で私を引っ張ってきたらしい『先生』の言葉のままに、私は敵連合の一人として歓迎(?)されたのだった。





「なまえちゃ*ん、ちうちうしてもいいよね?」
「逆に何で良いと思ったの???」

トガヒミコ。漫画を読んでいたときから可愛い子だなぁと思っていたけど、実物もやっぱり可愛かった。お強請りされたらうっかり『いいよ』と言いたくなる程度には。

「なまえさんは今日も引きこもりですか…偶には体を動かすことも考えた方が」
「黒霧さん、私みたいな貧弱がこの世界で外に出たら五分と経たずお陀仏ですよ。行ってきますが遺言になるのは私、嫌です」
「って言ってこないだは無事に帰ってきてませんでした?」
「トガちゃん、しーっ!!」

唇で挟み込んだストローをひらひらと上下に動かすトガちゃんに、慌てて待ったをかける。きょとりと目を丸める姿は可愛い。お行儀は悪いけれど。いや、そうじゃなくて。
彼女の言う通り、確かに一度外に出た時は…一応、帰って来れた。帰っては来れたけど、道のりは地獄だった。もうあんな思いはしたくない。私は毎日のんべんだらりと快適な敵(ヴィラン)生活を謳歌したいんだ。嗚呼、今日も黒霧さんの淹れてくれたオレンジジュースが美味しい。
ぐでんとカウンターに伸びた私の頬っぺたに、トガちゃんが指を伸ばす。つんつん、つんつん。なんだ、構って欲しいのか。それとも手慰みか。どちらにせよ仕草が可愛い。トガちゃんはやっぱり可愛い。

「おい、なまえ。食料の買い出し行ってこい」

……私は『敵』としては半人前だ。戦闘力も無いし、逃げ足だって遅い。時折皆の『お仕事』に囮役として着いていくことはあるけれど、逆に言えばそれだけ。
いくら物語の中とはいえ、人を殺めることは私には出来なかった。誰かが殺される瞬間は、いつも目と耳を塞いでしまう。
彼らを止めないのかと、何度か自問自答したこともあった。でも、余所者に何が分かるだろう。何が出来るだろう。

彼らの人生、苦悩、葛藤。そのどれもが、私の知らないことだ。

そんな考えに至るのは割と早かった。この世界の価値観や文化、歴史を身を以て経験していない以上、口を出すべきではないのではないかと。ただこの人達に『いってらっしゃい』と『おかえり』を言うくらいしか、私には許されないのではないかと。そう、思ったんだ。

…とは言っても養ってもらっている以上、ボスである死柄木くんの言うことは逆らえない訳で。

「いってきまーす……」
「なまえちゃん! 死ぬ前にちうちうさせてください!」

縁起でもない発言をぶちかましてきたトガちゃんのほっぺにいってきますのちゅーと、ついでにサービス精神でハグもトッピングして思い残すことがないようにだけ努めると、私は外の世界ーーー『戦地』へ、赴いたのだった。
きょとんと目を丸くした幼げな表情でほっぺに手を当て惚けるトガちゃんは、やっぱり可愛かった。



『……あいつ、いつになったら動くんだ』
『なまえさんが珍しく大盤振る舞いでしたから、暫くは固まったままかもしれませんね。…死柄木弔、心配なら尾行してきても良いんですよ?』
『……』



犬も歩けばなんとやら。私が歩くと、落下する看板や滑る階段、更にはチンピラとのエンカウント率がべらぼうに上がるのは一体何故なんだろう。私の前世はわんこだったのだろうか。

「大丈夫?」
「怪我はねぇか?」
「…どんくせぇやつだな」

そして尽く現役ヒーローまたはヒーローの卵によって救われるのだ。ちなみに私は前回はじめてのおつかいをしたときにも、轟くんに転けそうになっていた所を支えてもらった前科がある。おかげさまで今回「あんた、」と声をかけられそうになったので、全力疾走して逃げてきた。そういうのお腹いっぱいです。私は平和に暮らしたい。
要は乙女ゲームの主人公体質になってしまったという訳だ。ハーレムとか有り得ないけど一度経験出来たら楽しそうだよなぁ、なんて馬鹿げた夢をほざいた過去の自分を全力で殴りたい。実際になってみろ。チベスナ顔不可避だ。
トガちゃんみたいな可愛い子ならまだしも、モブ顔がこんな目にあっても絵面が辛いだけだ。むしろ先生はなんでトガちゃんにこの個性を渡さなかったんだろう。…というか先生って奪うだけじゃなくて与えるのも出来るのか?脳無がいるくらいだからなんとかなるのか。
そんなことをつらつらと考えていた、矢先。

「おい、てめェ。ンで脳無やら先生やらを知ってンだ…?」
「……俺も気になるな」
「………げっ」

うっかり重要機密が口からつるりと出ていってしまっていたらしい。これじゃデクくんのブツブツのこと笑えない。その前に命の危機だけど。
轟くんまで居たことには、ちょっとばかり悲しみを覚えた。私の全力疾走は彼にとっては楽々追いつけるものだったらしい。「あれ全力だったのか?」とかその発言は聞き捨てならないぞ。本気で驚いている風なのがまた胸に刺さる。普段あんまり表情変わらないくせになんでそこでそんなに目を丸くしちゃうんだ。その表情筋はもっと大事なところで有効活用してください。

「サツまで一緒に来い」
「あー……それはちょっと…うん、一応困るので。お断りします」
「言える状況か?」

前回のおつかいの教訓。一人で策もなく外へ出るべからず。ということで、今回の私はひと味違う。具体的に言うと人任せなのがとても申し訳ないところだけど。あとで肩を揉んであげよう。
GPS機能搭載、加えてSOSまでボタン一つで送れてしまう発信機。早速使うことになってしまったのがとても残念だ。

「なまえさん、迎えに来ましたよ」
「…ワープ野郎……!」
「ありがと、黒霧さん。さようなら、爆豪勝己くん、轟焦凍くん。二度と会わないことを祈ってるよ」

公道で大っぴらに個性は使えない。氷漬けにされる前にトンズラした私は、帰ったら全身くまなくチェックされた。トガちゃんに。
この歳で裸でべたべた女の子に触られることになるとは思ってもみなかった。こちらに来てはじめての裸の付き合いだ。向こうでも無かったか。

特に発信機やらが着いていることもなかったが、念の為と服は燃やされた。お気に入りだったので悲しい。次は上手くやろうと思う。

ーーーそう、決意を新たにするも虚しく。遠くない未来で私は、ヒーローになった二人に捕まってしまうのだった。あれから何度か『お仕事』に着いて行った時は、顔を合わせても上手く巻いたのに。トガちゃんとかトゥワイスさんとかに助けられながら。

どんな裏取引があったのか、まさかの仲間に売られる形で彼ら二人に引き渡された私は、爆豪くんと轟くんがシェアハウスしているという一軒家に監禁されることとなったのだった。ひどい裏切りである。それでも皆のことは心配だし、本当の意味で裏切られたとは思ってない。
…きっと、私の預かり知らない理由があるんだろうなぁ。それを教えて貰える日が来るのかは、分からないけれど。

「何この部屋…」
「これからてめェが暮らす部屋だ」
「足りないものがあれば言ってくれ。外との連絡手段とかは無理だけどな」

この二人が仲良かったなんて、聞いてない。閉じ込められた部屋は窓もテレビも時計も無いので、時間や周りの状況がさっぱり分からない。それ以外は、思いの外快適なのだった。ベッドとかお風呂とかめちゃくちゃ大きいし、食べ物も美味しいし。
でも、匂いが違う。皆の、あの硝煙やタバコや血の匂いに塗れた懐かしい匂いがしない。清潔な柔軟剤の甘い香りなんて、私には違和感しかない。…寂しい。

「トガちゃん、元気かなぁ…」
「……てめェはほんと、他人の心配ばっかりだな」
「爆豪、あんまり時間ねぇ。早く済ませよう」
「わーってるわ、指図すんな!」

閉じ込められてから、恐らく一週間くらい経った頃だと思う。与えられたペンとメモで、ご飯を食べた回数をこっそり数えていたから。何も無い空間では暇も潰せなくて、二人がいない時は殆ど寝て過ごしていた。さすが現役ヒーローとでも言えばいいのか、脱走できそうな隙は一切見当たらなかった。
その日も私はひたすら時間が過ぎるのを祈り、こんこんと眠っていたーーー訳なのだが。
久々に揃って顔を出した男達は妙にギラギラと獣めいた瞳をしながら、うっそりと色めいた微笑みを見せた。

「ンじゃ、始めるか」

それはいつも見ていたような、捕食者の笑みだった。

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