「どうしようどうしようどうしようどうしよう…!!!」
会ってしまった。会って、しまったのだ。我妻善逸に。それもおそらく、禰豆子に会う前の彼に。
だって隣に炭治郎がいないし、彼のことはまだ噂になっていないし。下弦の月を倒したという報告もないし。
「全力で避けるつもりだったのに…!!!」
私は所謂転生者というやつらしく、はっと気付けば最終選別の最後の日だった。
『錆兎、は…?』
目の前の少年が…どことなく未来の水柱に似ている、というかめちゃくちゃそっくりな少年がそんなことを言って。その場の全員がいたたまれなさそうに目を逸らし、視線を地に落として。
そして、私は悟った。間に合わなかったのだ、と。
どうして。なんで。記憶があと一日、いや数時間でもいい。ほんの少し前に、戻って来てくれていたら。そうすれば私はこの命を投げ出してでも、彼を救い出したのに。
ーーーこんなこと、考えてはいけないのかもしれない。育手の顔、兄弟弟子の悲しげな顔が脳裏にちらついた。
でも、自分はこの世界の人間じゃない。なら、この世界で生きている人の命と、この命。その価値は、比べるまでもないのではないか?必死に生きている彼らのために、惜しみなく使うべきなのでは?
絶望する彼の前で、私もまた静かに絶望していた。考えうる限り最悪の、記憶の戻り方だったように思う。
その後は、なんとか未来を変えようと頑張った。カナエさんを救いたかった。煉獄さんのお母様を。時透くんの両親や、お兄さんを。不死川さんの御家族、悲鳴嶼さんのーーー。
結果、救えた人は、一人もいなかった。
厳密に言えば真菰とカナエさんはなんとか一命を取り留めてくれたのだが、二人とも重症で、二度と戦えない身体に。
特に真菰は藤襲山の最終選別で大怪我をしてしまい、鬼殺隊にさえなれなかった。真っ赤に染まった彼女を目の前に、運命には抗えないのだと神様に嘲笑われている気分だった。
『どうして、助けたの』
錆兎の無念を晴らしてないのに。鱗滝さんの涙の清算がまだなのに。そんな副音声が聞こえた気がして、胸が抉られた。
『ごめん』
真菰の頬を、すぅと雫が滑り降りていった。
…選別期間中に勝手に藤襲山に入ったことで、私は階級を二つ落とされた。戊≠ニ刻まれた文字に、何も思わなかった訳ではない。命懸けで戦うなんて現代日本では有り得なかったし、毎度任務の度に泣きそうになっていた。それでも身体は動いてくれたから、それまで生きてきた自身の努力に初めて感謝した。
夜は任務をこなし、昼間は医療や薬学を学ぶ。現代知識でなんとかなる、なんて甘い考えはとうの昔に捨てた。中途半端な知識はむしろ、己の首を絞めた。私は医者でも薬剤師でもなかった。世間一般でリケジョと呼ばれるらしい、化学好きのただのオタクだった。そもそもこの時代で純度100パーセントを作ることが、どれだけ難しいか。化学薬品なんてもってのほか。自分の常識とこの時代の限界を擦り合わせることに数年を費やした。
肺炎や結核が早めの治療や適切な薬で治ることを知っていても、薬の成分を知っていても、それを上手く精製する手段がない。こっそりワクチンの実験を繰り返したから、私の腕は青黒い治療痕で見るに堪えない。SNSで当時ありふれていたような、なんちゃってメンヘラ系女子の出来上がりだ。
蝶屋敷でうっかりしのぶさんに見られてからは、時々傷跡が増えていないか確認されるようにまでなってしまった。心配させて申し訳ない。
『薬について学びたいなら、私たちの屋敷にいればいいわ』
『いつも手伝ってくれてありがとう』
優しく微笑んでくれたカナエさん。可愛くて強い、蝶屋敷の継子さんたち。
手をこまねいているうちに、本当に救いたい人達の命は、みんな私の手から零れ落ちていって。
『どうしてそんなに生き急いでいるんだい。きみの生き方は…』
ーーーまるで、死にたいみたいだよ。
罰せられ階級が下がったとき、お館様は眉尻を下げてそう言った。その声が優しくて、憐憫に充ちていて、どうしてそんな風に感じるのか理由を知っていても、涙腺は言うことを聞いてくれなくて。
『お伝えしたいことが、ございます』
信用されなくても良かった。私が知りうる限り、全てのことを話した。原作の展開が辛すぎて、最後まで見届けることは出来なかったのだけれど…。
子供たちが死んでいくことを告げられ、腹が立たなかったはずがない。眉を寄せる鬼殺隊のトップは、それでも最後まで私の話を聞いてくれた。
『俄には信じ難い話だが…』
『実際にどうなるかは、自分にも分かりません。むしろ私という存在のせいで、更に悪い方向に話が進んでしまうかもしれない』
一度言葉を切って、唇を湿らせる。初めてする話だからか、緊張でずっと心臓が痛かった。辿々しく信憑性に欠ける話を、眉唾物だと掃いて捨てられなかっただけ、僥倖だ。それだけで、私の心は救われた。
『…なので、こんな未来もありうるかもしれないという可能性の一つとして、知って頂けただけで有難いのです。
悔しいことに、医者の真似事も、武を極めることも、私には出来そうにありませんので』
才能がなかった訳じゃない。足りなかっただけだ。努力で埋められるところまでは埋めた。
今後のための対策も、一応は立ててある。煉獄さんにしのぶさんのことは、絶対に救い出す。
そのためなら腕だろうが足だろうが、惜しくはない。
原作が始まれば、事態は加速度的に進んでいくだろう。坂を転がり落ちていくように。それまでの時間が勝負だ。猶予はない。腕を磨き、技を磨く。お世話になった人達に、これ以上悲しい顔をさせてなるものか。
だってみんな、この世界で生きて≠「るんだから。
『…お館様。無礼を承知で申し上げます。階級を下げるだけでなく、私を…除隊処分には、して頂けないでしょうか。無論、これまで頂いたものは全てお返しします。』
『…何を、考えているのかな?』
『虎穴に入らずんば虎子を得ず、と言うでしょう?』
きっと鬼の中で一番足取りが掴みやすいのは、極楽教の教祖様だ。屋敷で炊事洗濯をするような人間は、一定数存在するだろう。遊郭の方も考えたけど、あれは最終的に誰も…亡くならなかった。音柱を失うわけにはいかないだろうが、ギリギリまで粘らせて欲しい。こんな優先順位の付け方、我が事ながら反吐が出る。
『童磨…上弦の弐のいる屋敷に、忍び込みます。カナエさんを殺し、しのぶまでも……いえ。そんなことは絶対に、私がさせません』
青い彼岸花の正体は分からないが、植物というのは使えそうだと思った。もし、種子の形のまま、鬼の体内に留めおくことが出来れば。起爆剤のように、合図ひとつで内から弾け、藤の花の毒を撒き散らすことが出来れば。
『あの鬼はかなりの人数を食っていました。炊事場に忍び込んで種をばらまけば、摂取させることは可能でしょう』
『………』
最低最悪の立案。どっちが鬼だか分からない。要は見捨てると言っているのだ。名も知らぬ一般人の多くを。
お館様は無言で、こちらを見据えている。痛いくらいの視線に、背筋に冷や汗が伝う。多分、これ以上なにかを間違えたら、私はここで死ぬだろう。そんな予感があった。
『この考え方は、鬼殺隊としてはあってはならないことでしょう。私が勝手にしたこととして、判断して頂きたい。…除隊でもお釣りが来るでしょう』
生き急いでいるつもりはなかった。死に場所は決めているから。誰かの前で死ぬつもりはない。全部終わってから、一人で、誰にも背負わせない形で、が理想的だ。
『…勝算はあるのかな?』
驚いた。ふっと小さく息を吐いた彼が、虫も殺さないような顔で笑ったから。恐ろしい人だと、知ってはいたけど…それでも背筋が粟立ち、鳥肌が立つ。それでも私は…いや、私も。にっこりと、不安も恐怖も悟らせずに、笑ってみせたのだ。
『現代メイクの化ける技術と、とある別嬪なお医者様の協力さえあれば』
この時代の白粉は鉛が怖くて塗っていない。紅すらも、普段はつけていない。どこにいてもどうせ戦場になるのだからと、若さにかまけてすっぴんだ。へちまや椿を育てているから、この歳ならそこから取れる油で大抵の事はなんとかなった。でも、家には大量の化粧品がある。
変装芸だけは、前世から自信があったからね。ありがとう、レイヤーだった友人。
そして、珠世さんのことはもう話をつけてあった。浅草を中心にひたすら医者の横の繋がりを辿って、漸く辿り着いたのだ。逃げられかけたけど、ざっと知り得たことの中から有益そうな情報を流せば、話を聞いてくれる姿勢になった。勿論、武装手段は全部家に置いていった。
『鬼舞辻無惨の支配下にいる鬼が絶命する直前に血を採取すると仮定して、その細胞には鬼舞辻の意思は宿っているのでしょうか?』
『それはーーー』
珠世さんはずっと隠れて逃げ続けていたし、採取した血から居場所が割り出されては話にならなかっただろう。解呪など、なんらかの対応策があったはずだと思った。
そしてそれは、使えるとも。
『例えば藤の花の種子に鬼舞辻無惨由来の血を纏わせて、更に人が消化出来ない膜でコーティング…いえ、覆っておくとしましょうか』
人が消化できないものなんて、セルロース…要は紙で良いのだから簡単だ。この時代には和紙がある。多少は消化されてしまうから、分厚めに覆わなければいけないけど。
それを私が食べ物に入れ、人に食わせる。消化出来ないから、人は鬼にならない。タイミングを間違えるとそのまま体外に出てしまうから、童磨がその人を食べる直前の食事に混ぜ物をしないといけない点には注意が必要。
そしてその人間を、童磨が吸収する。綺麗に食べると言っていたから、残すことはないだろう。そこには種子が入っている。
『鬼舞辻無惨の血は、おそらくその鬼の中で生き続けるでしょう?なら別の鬼の血で覆っておけば、消化されないのではないかと思ったのです』
『……、起爆剤、と言いましたが。宛は、あるのですか』
『………聞きます?』
これは彼女にとっては、未知の話だと思う。私は知っていたのだ、遠隔でも自身の血を起爆させることが出来る存在を。
ーーーそう、禰豆子という、存在を。
それまでは別の鬼の血を代用していればいい。体内で一つが爆発してくれれば、連鎖的に反応が起こるから。
童磨が太陽を克服してしまうと困るので、彼女の血を使える期間はかなり短い。累と戦ってから、玉壺たちと戦うまでの間。その間に、炭治郎くんか目の前の女性に話をつけて、血を貰わないといけない。
『ーーーいえ、やめておきましょう。今は時期ではないようなので』
話が早くてとても助かる。
はぁ、と額を抑えてため息をつく珠世さん。困らせてしまってごめんなさいね。
それでも私は、守りたいんだ。何を守っているかなんて、もう分からないけど。
少しでも、皆の命を。鬼が居なくなったその先の世界まで、生きていて欲しいから。
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