出水と転校生
別に時代錯誤なことを言いたいわけじゃないけど、たまに何となく女子のことを怖いなと思うことがある。例えばつい数日前に転校してきたばっかの女の子に誰も声を掛けないでいちいち「誰か声掛けないかな」って周りの出方を窺っているところとか、例えば教室の隅に固まって集団でその子の様子をチラチラ盗み見ているところとか。はたまた喋りかけもしないくせに「大人しそうだね」「身長高いね」って、見た目だけで一人の個人をジャッジしているところとか。
そこまで考えて、一人教室の自席に座っていた俺は「それって別に女子だけじゃなくて俺も一緒じゃね?」ということに考えが思い至って、女子への申し訳なさとか名字さんへの罪悪感だとか、とにかくやるせなさからなんだか無性に頭を抱え込みたくなった。
名字さんが転校してきたのはかれこれ一週間ほど前のことだ。他府県からここに転校してくるのはかなりの確率でそのトリオン量からボーダーにスカウトされた生徒が多い。今俺の前の席に座っている彼女も例に漏れず今季のスカウトで片桐隊に連れられてこの三門市に足を踏み入れたらしく、先週の水曜日に教卓の前に立って「名字名前です」と名乗った彼女に、確かにその瞬間クラスの視線は釘付けだった。
言い訳するつもりじゃないけど、男子と女子では勝手が違うことも分かってほしい。何となく女子が転校してきたら女子が声を掛けるし、男子が転校してきたら男子が声を掛けるみたいな……風潮っての?分かるかな、そういうのがあるじゃん。だから俺も今の生駒隊の面々が来た時は興味本位で隠岐に喋りかけに行ったし、そういうわけで俺は……って、これじゃ言い訳だよな。ハイ。
ボーダーだからなのか、それとも何となく喋りかけにくい雰囲気があるからなのか。多分その両方だろうな、と思いつつ、つまり何が言いたいかというと、俺は転校してきて一週間経っても誰とも仲良くしている様子のない名字さんのことがなんだかちょっと心配なのだ。
♢
「、あ」
「?」
やってしまった。
結局あの後も名字さんに話しかけられなかった俺は悶々としながら授業を受け、また授業を受け、また授業を受けた後に四限目の移動教室である理科室の廊下側の席に腰を下ろしていた。生物の授業の座席は基本的にいつもの教室での席順が基準となっているため、俺の隣は名字さんである。俺にとっては今週初めての生物の授業、そして名字さんにとっては今週どころかこの学校に来て初めての生物の授業。俺より少し後に教室に入ってきた名字さんが生物の教科書一式を机に置いた瞬間、思わず声が漏れ出てしまって俺は慌てて口を押さえた。
「あー、……名字さん。多分それ、えっと、資料集だけど違うやつだと思う」
「……違うやつ?」
「うん。化学・生物のやつじゃなくて、生物だけのがあるんだけど」
「……あったっけ」
「なんかちっさいやつ、わかる?緑の、表紙に鳥みたいなのが載ってる」
「あ、あー!わかる、わかる。……そっか、生物だから要るよね……」
初めは怪訝な顔……とまではいかないけど、ちょっと不思議そうな顔をしていた名字さんは、俺の言わんとしていることを理解したのか「そっか……」と言いながら少し困ったみたいな顔をしたきり黙り込んでしまった。特に話しかけるつもりじゃなかった俺は色々と想定外だなと思ったけど、ひとまず名字さんは思っていたよりもずっと話しやすそうな女の子で、そして実際に話してみると声が綺麗だなと思って単純な俺はなんだか少しドキドキしてしまった。これを槍バカに言おうものなら、多分めちゃくちゃ揶揄われるんだろう。今なら迅さんのサイドエフェクトがなくても手に取るようにわかる。
……と、そんなことより名字さんだ。俺らなんかが教科書やら何やらを忘れた時は他のクラスの友達に借りにいくのが普通なんだけど、転校してきたばかりの名字さんはきっとまだそういうのを気軽に借りれる友達がいないんだと思う。そして、仮にそういう友達がいたとしても今から借りに行って授業に間に合う保証なんてどこにもない。声を掛けた時からそうするつもりだったけど、つまりどういうことかって、ここは隣の席の俺が彼女と資料集を共有するべき場面なのである。出来るだけ威圧感を与えないように、それでいてなるべく優しげな感じに見えるように。
「俺のやつ一緒に見る?今から戻ると大変だろうし」
「えっ、……いいの?」
「うん。今日使うか分からないけど」
「ありがとう、出水くん」
か、可愛い……じゃ、なくて!
今まで特に話してもないのに名前を覚えられてたことに感動したり、花が咲いたような笑顔が自分だけに向けられていることに優越感を覚えたり、とにかく……なんだ。その、つまり、名字さんは可愛いってことで。
童貞かよ、なんて思いながら少しそっけなくいいよ、と返した俺に、友達のいない名字さんはやっぱりとびきり嬉しそうな笑顔を見せたのだった。
♢
結局授業中は地獄みたいな時間だった。いや、天国というか、地獄というか。
先生に言われて資料集を開き、俺がそれを名字さんとのちょうど真ん中に置くと名字さんは小さな声でありがとう、と言ってわざわざこちらに頭を下げた。そこからはもう、名字さんが資料集を覗き込むたびに視界の端で揺れる髪の毛だとか、鼻腔を擽るめちゃくちゃいい匂いだとか、あとはページを捲る度に何度も当たった白くて小さな手だとか。とにかく名字さんの女の子たる部分をまざまざと見せつけられて、俺は自分が危惧していた「転校生の可愛い女の子が気になる」というシチュエーションにまんまと嵌ってしまったのである。
可愛いなあ、付き合ってくんないかなあ。
別に今の時点でめっちゃ好きってわけじゃないけど、転校してきた女の子がまだ自分としか話してないってのはなかなかに男心を擽るモンで、あの烏丸京介だってこういう状況には(多分)弱いんだぞってことだけはここでデカデカと強調しておきたい。じゃないと、マジで童貞みたいになるから。
「出水くん、あの、本当にありがとうね」
そしてそんな名字さんは理科室からの帰り道、今まさに俺の隣を歩いている。そーだよ、俺が誘ったけど、悪いかよ。
でもまあ、正直なところ100%の下心だけで声を掛けたわけじゃないのも事実で。俺は誰にも声を掛けてもらえなくて友達のいなかった名字さんを可哀想だと思っておきながら今の今まで放置していたわけだから、ここで声を掛けることができたのは名字さんが可愛いっていう個人的な感情を抜きにしてもやっぱり正解だったんじゃないかと思っている。そう、俺はずっと、名字さんの友達になりたかったのだ。
「私、まだそんなに仲良い人とかいなくて……自分が声掛けないのが悪いんだけど。だから、出水くんと話せて本当に嬉しかった」
そう、俺はずっと、名字さんの友達に……
「そういえば、出水くんってボーダーなんだよね。私もなんだけど、この間太刀川隊のログ見たの。すっごいかっこよくて、もう出水くんが出てるの十回くらい見てる!」
「お、おー。ありがと……」
かっこいいはダメじゃん………!
誓って童貞じゃないけど年相応に単純である俺は、俺のアステロイドについて語る名字さんのきらきらした瞳を見つめながらとりあえず今は*シ字さんの友達になりたい、と思った。