五条悟と東京で再開




 授業の内容とか休み時間の雰囲気とか、そこらじゅうに受験の空気が漂うようになってからこの学校にいるのが息苦しく感じるようになった。三年になってすぐの頃は一緒に遊んでいたあの子も高校になんて行かないと豪語していたあの子もすっかり机に齧り付くようになって、今までは夕方まで教室に残って勉強していたけど最近はなんとなくそれを避けている。校門を出ると真っ赤な夕陽が目に眩しくて、あと三十分もしたらこの辺りも真っ暗になるんだろうなと思った。マフラーが首元でちくちくする。

「名字」
「五条くん」

 後ろから呼び止められて、振り向く前からその人の名前を呼んだ。タイツとセーターとマフラーで武装した私と違って冬でも毎日学ラン一枚の五条くんはなぜかちっとも寒そうじゃなくて、白い息すら吐かない彼は「後ろに目付いてんの?」と笑って大股でこちらに近付いてくる。

「帰るの?」
「うん。てかいつもそうじゃん」
「まあね。今日習い事は?」
「ないからゆっくりでいーよ」

 五条くんと仲良くなったのにきっかけらしいきっかけはなかった。三年になって初めて同じクラスになって、みんなが教室やら図書館やらで居残りをする中で放課後の居残りを辞めた私と五条くんだけがホームルームの後の廊下を闊歩していた。何度か帰り道で一緒になるうちに自然と話をするようになって、五条くんに対して持っていたとっつきにくそうという印象はしばらくしてから払拭された。五条くんとは決して教室で話したり休日に連れ立って出かけるような仲ではないけど、近付いてきた卒業式の日には一緒に写真を撮れたらいいな、くらいのことは思う。隣に並んだ五条くんを見上げると、五条くんのサングラスの隙間から綺麗な青い目が覗いた。五条くんは特別な理由で学校からもサングラスの着用を許可されているらしかった。

「最近ずっと忙しそうだったのに珍しいね」
「あー、まあな。流石に無理っつってボイコットした」
「五条くんでも無理って思うことあるんだ」
「山ほどあるけど?しょっちゅう思ってる」
「例えば?」
「マラソン大会とかいう教師の自己満最悪イベント」
「それはそう」

 教室の空気が嫌で居残りをしない私とは違って、塾に通っていないのに頭が良い五条くんは習い事のために毎日早く帰っているみたいだった。前に一度習い事って何?と聞いたら、五条くんはしばらくお茶を濁した後に観念したように格闘技みたいな?と教えてくれた。格闘技なら別に恥ずかしがることなんてないと思うけど、五条くんはこのことをあんまり言いふらしてほしくないらしかった。
 
「そういえば寮どうだった?」
「最悪。めっちゃ電波悪いし暗いし遠いし、ローソン行くのに一五分はかかる」

 受験期なのにいつも勉強していない五条くんは、宗教系の高校に推薦で進学が決まっているとかで先日学校と寮の下見に行ってきたと言っていた。五条くんは基本的に学校ではいつも不機嫌そうにしているけど、寮の話を振ってみるといっそう眉を吊り上げて綺麗な顔をこれでもか、というほどに歪めた。それが面白くて笑ったら、気に入らなかったらしい五条くんに頭を軽く叩かれる。前から風が吹いてきて、タイツを履いていても足元が冷えた。

「名字は?」
「ん?」
「高校」
「んー、このままなら大丈夫って言われてるけどどうかな〜って感じ。まあとりあえず◯◯高のままかな」

 親にも友達にも受験の話をするのは嫌だったけど、もう高校が決まってて尚且つそれが東京にある五条くんにそういう話をするのは苦ではなかった。五条くんはこう見えて、興味がなさそうな話でも案外きちんと聞いてくれる。

「東京の高校受けねえの?」
「え、東京?なんで?」
「いや名字が東京いたらいいなと思って」
「五条くんそんなこと思うの?!」

 五条くんと話す時に限らず人と歩く時は基本前を向いたまま話すけど、あまりの衝撃に思わずバッと横を向いてしまう。五条くんはそこまで過剰に反応されると思っていなかったらしく、決まり悪そうにこっち見んな、と言ってポケットから携帯を出した。五条くんとは正直そこまで親しいわけじゃないと思っていたけど、五条くん側は案外気を許してくれているのかもしれない。普段そういうことを言わなさそうな人から仲良し認定されることほど嬉しいものはなくて、私は思わず五条くんの腕をバシバシ叩いた。一瞬不思議な感触がした気がしたけど、隣の五条くんは大袈裟に痛がったフリをしている。

「でもほんと、寂しくなるね」
「まあこっちにも戻ってくると思うけど」
「何、あんまり戻ってきたくなさそう」
「名字がどうとかじゃなくて。んー、俺にも色々あんだよ」
「御年十五の身で……てか携帯見つかるよ」
「大丈夫だって」

 うちの学校は携帯の持ち込みが禁止されているけど、五条くんは毎度帰り道でこうして携帯を触っていることがあった。人気が少ない道だからということもあるけど、今日も結局それはバレていない。不意に五条くんが顔を上げて、サングラスをずらしてずっと遠くの方を睨むみたいな仕草をした。

「ちょっと用事できた」
「ん?そうなの?帰る?」
「うん。じゃあまた明日」
「またね」

いつもの分かれ道よりだいぶ前だというのに、五条くんは足早に逸れた小道に入っていった。あの先は住宅街しかなかったと思うけど、余計な詮索は無用である。だいぶ落ちてきた陽に追われるようにして、私もゆっくり家へと向かった。




「名字」
「あ、五条くん!写真撮ろ!」
「おー」

 受験までの期間はあれだけ長く感じられたというのに、いざ合格発表が済むと卒業式までは一瞬だった。五条くんの胸元には黄色いコサージュが付いていて、なんだかいつもより華やかに見える。友達がみんな部活の集まりに出払ってしまって暇を持て余していた私はいっそ親のところに行こうかと思っていたけど、その前に五条くんと写真を撮りたかったからここで会えたのは好都合だ。

「待ってね、カメラあるの」
「それ焼き増し……いや、俺もう明日行くから無理だな」
「携帯でも撮ろうよ。そんで、もしあれなら焼き増ししたやつ寮に送るけど」

 スカートのポケットに無理やり詰めていた写ルンですを必死に取り出す私を見て、五条くんは逆にどうやって入れたんだよ、と笑っていた。その辺を歩いていた知り合いを捕まえてカメラを渡す。

「うわ待って私目瞑ったかも」
「もっかい撮る?」
「とりあえずこっちでもお願いしていい?」

 フラッシュが眩しくて目を瞑ってしまったかもしれないけど、撮り直すにはフィルムの枚数が勿体無くてプリクラだらけの携帯を渡した。いつも帰り道に話している時は気にならなかったけど、中庭にいる五条くんは明らかに周囲から浮いている。そわそわしている女の子たちが何人かでこちらを伺っていて、その子たちの手には一様にカメラが握られていた。

「五条くんモテモテだね」
「何が?」
「多分これ終わったら撮ってくださいって声掛けられるよ」
「めんど。名字一緒に来てよ」
「えー。でも確かに他のとこでも撮りたいかも」

 携帯で撮ってもらって画像を確認したら、五条くんが声をかけられる前にすぐにそこから退散した。校門前でも同じようなことが起こったけど、その時も同じ要領で写真を撮ってすぐに人混みに紛れ込んだ。結局校内のあらゆるところで写真を撮りまくって、人の少ない技術室の裏のベンチに落ち着いた頃には写ルンですのフィルムはなくなっていた。五条くんが疲れたみたいに息を吐く。

「まっじで疲れた」
「いやほんと私めちゃくちゃ見られてたから。なんでこんな奴がみたいな」
「そんなことねえだろ。今日親は?」
「来てるよ。五条くんは?」
「うちは来てない。もう帰っかな、明日東京だし」
「あ、そっか。朝何時?」
「五時起き。マジで無理」

 今落ち着いたばかりなのに帰るかな、と携帯を触り始めた五条くんを見て、当たり前だけど今日が五条くんに会える最後の日だということを思い出した。五条くんはあれからも何度か東京に来たら、と言ってくれたけど、高校生の身で頻繁に東京に行くことなんてきっとこれからないだろう。社交辞令も混じっていたんだと思う。
 そもそも五条くんみたいな人と仲良くなれたこと自体が奇跡みたいなものだけど、このまま疎遠になってしまうのはなんだかもったいないような気がして、でも多分五条くんと会うことはもう二度とないんだろうなと思った。

「名字」
「ん?」
「……お前、見えねえんだよな」
「え?何が?」
「いや、……何もない」
「え、何?」

 五条くんは探るみたいにこっちを見てそう聞いてきて、質問の意味がわからなかった私が何度もどういうこと?と尋ねると何もない、の一点張りを貫いたまま綺麗な顔で笑った。その時の五条くんの顔が何かを諦めたみたいに泣きそうな感じに見えて、でも瞬きをした次の瞬間にはいつもの五条くんのままだった。その後も一生のお願い!と何度も食い下がった私をどう思ったのか、五条くんは校門の前まで来た時にようやく「見えたらよかったのになと思っただけ」と言った。その一言で余計に謎が深まってしまったけど、五条くんは今度こそこれ以上口を破るつもりがないみたいだった。
 
「じゃあ、後で写真送って」
「うん。五条くん元気でね」
「名字もな。なんかあったら連絡して」
「東京でもちゃんとご飯食べて、不審者に気をつけて!いじめられたらすぐ帰ってきなよ」
「お前は俺の親か」
「いや東京は冷たい街だから……」

 油断するな、何かされたらすぐ殴れと力説する私を笑いながら五条くんはいつもの道を歩いていった。どこで見ていたのか、あとから浮かれたお母さんにあの子誰?としつこく聞かれたから鬱陶しくて全部無視した。落ちた桜の花びらが彩るピンク色の道を歩いて行った五条くんは、結局一度もこちらを振り向かなかった。





「死ぬ……」

 と、ここまでが私の走馬灯である。
いや、ほんと、走馬灯ってほんとにあるんだな。マジで三周くらいしたな。というか、結局あれっきりになったのになんで走馬灯が五条くんのことなんだろうな。

「……」

 会社から帰っている時に横切った公園で目が合った緑のどろどろの塊は明らかに人間じゃなくて、かといってぬいぐるみにも着ぐるみにも見えない。意志を持った生命体のはずなのに生気が感じられなくて、追いかけられて逃げに逃げたけど結局それもここまでなんだろう。必死に逃げているうちに人通りの少ない道を選んでしまって、とうとうここで死ぬのかと思う。オバケとか幽霊とか、そういうのは信じていなかったはずなのに目の前の存在がそれを否定する。手足が震えて、もう立てそうになかった。

「あれ?」
「……」
「なーんか見たことあるな。……うん?」

 もう終わりだ、と思った時、いきなり横から第三者の声がして、恐る恐るそっちを見ると全身黒ずくめの目隠し男がじっとこちらを見つめていた。その人もその人で明らかにヤバいはずなのに、人間ですらない異形を見ているせいかもはや人型であるだけで安心感すら覚えてしまう。緑のどろどろの十数個ある目のうち全てが黒ずくめの男に向けられて、ヤバいと思った瞬間に緑のどろどろはどこかに消え失せていた。

「え……え?」
「うーん……誰だっけな」
「え?」
「……名字?」

 突如どこかに消え失せた緑のどろどろに混乱している間にいつのまにかこちらに近づいてきた男の人は、立てる?と言って手を差し出しながらもう片方の手でアイマスクをずらしてじっとこちらを凝視していた。見たことある気がするな、と思っていると名前を呼ばれて、その瞬間に走馬灯を思い出す。サングラスから覗く綺麗な青の目なんて、生涯一人しか思い当たらない。

「五条くん?!」
「あ、やっぱり?」
「え……何?な……あの……さっきの……」
「めっちゃ混乱してるじゃん、ウケる」
「てか……なにその格好?なに?……なに?東京の流行り?」
「待って、そこなの?やばい、お腹痛い」
「ねえさっきのなんなの?てかほんとに五条くんなの?めっちゃ久しぶり」
「今度はめっちゃ喋るじゃん……」

 思いがけないところで知り合いに会って、しかもその知り合いに窮地を救ってもらったものだから張り詰めた糸が切れて捲し立てるみたいに五条くんを問い詰めてしまった。東京という都会に揉まれて(?)すっかり変わってしまった五条くんは楽しそうに笑いながら何から説明しようかな、と顎に手を当てて考えるポーズをとっている。

「とりあえず……来てもらうのが早いかな」
「何?どこに?」
「そういえば名字はなんで東京にいるの?」
「えっ、いや今東京に住んでて」 
「そっか、じゃあ運が良ければこれから同僚になれるかもね。いや、その場合運が悪いのかもしれないけど」

 東京にようこそ、と笑った五条くんを見て、何もわからない私はどうも、と頷くことしか出来なかった。五条くんはすっかり変わってしまったけど、歩く時に歩幅を合わせてくれるところだけはずっとあの頃と変わらなかった。