五条悟に会いたくなる夜
夜中にいきなり目が覚めた。身体が重くて動く気にならず、天井を見ながらぼーっとしていると首につうっと汗が伝う。重い身体に鞭を打って這う這うの体でベッドサイドのスマホに手を伸ばすと、今が夜中の二時半だということがわかった。
「……悟だ」
おーい
帰れた?
ねえ大丈夫?電話していい?
不在着信
不在着信
硝子に聞いた。明日休みでしょ、ゆっくり寝るんだよ
暗闇の中で光るロック画面に表示されたメッセージはほとんど悟で埋め尽くされていて、その内容を読むとぼんやり記憶が呼び戻される。確か昨日は、久々の連休だからと硝子を誘って飲みに行ったのだ。調子に乗ってベロベロに酔っ払った私を家まで送ってくれたであろう硝子に謝罪とお礼のメッセージを飛ばす。ひどく乾いた喉を潤すために、寝室を抜け出して真っ暗なリビングまで足を運んだ。
「会いたいな」
水分を身体に入れると、何となく頭がスッと冷えた感じがする。ふとベランダの向こうで煌めく夜の街の光が目に入って、ここにはいない悟のことを思い出した。
悟、何してるかなあ。というか、任務だって言ってたっけ。最近あんまり会えてないなあ。
一度考え始めると妙に寂しくなってしまって、寝室に戻った私はスマホを手に取り四角いアルバムのアイコンをタップした。
これは去年旅行……というか、悟が無理矢理出張についてきた時のやつ。これは一昨年、多分悟が勝手に撮ったやつ。
こうして見返してみると案外一緒に写真を撮る機会なんて少ないもんだな。夢中で遡っているうちに、いつの間にか画面の中には制服を着たあの頃の私たちが映っていた。私と悟と、硝子と、あとは。
……会いたいな。ダメかな。
そりゃ、任務だって言ってたんだし会えないに決まってるでしょうよ。いや、でも悟なら大抵の任務は半分の時間でこなしてしまえるんじゃなかったっけ。
頭の中で二人の私が葛藤するのを聞きながら、どうしても会いたくなってしまって、あの太い腕の中で眠りたくなってしまって、気づいた時には緑のメッセージアプリのアイコンをタップしていた。
悟
返事が来るだろうか。いや、来ないはずだけど、むしろ来たら問題なんだけど。
五分待ってダメだったら諦めようと見慣れたベッドに寝転ぶと、一分も経たないうちにスマホの光で部屋の中が明るく照らされた。
起きた?どうしたの?
先程まで高校時代の彼の写真を見ていたからか、普段通りのメッセージがなんだかやけに優しく感じる。今日くらいはお酒のせいにして我儘を言ってみても良いだろうか。叶わなくたっていいから、せめて願いを伝えたいと思うことは傲慢だろうか。無機質なはずの文字になんだか途轍もなく暖かさを感じてしまって、ついつい親指が滑ってしまった。なんだか胸が、きゅうきゅうと痛い。
会いたいって言ったら困る?
すごく面倒なことを送ってしまったな。と思うと同時に、画面上には間髪入れずに電話のマークが表示された。緑のマークをタップする。発信者の名は、五条悟。
「もしもし」
「なあに、可愛いこと言ってくれちゃって。行っていいの?」
「え、悟任務なんじゃないの」
「電話切ったら五秒で終わらす。ねえ、行っていい?なんか僕も会いたくなってきたんだけど」
やけに甘ったるい声は、暑さにやられた脳みそが生み出した私にだけ都合の良い幻聴みたいだった。小さな声で会いたいと呟くと、まるで幼い子供に言うみたいに待っててね、と返事が返ってきて、そのまますぐに通話が切られる。昔伏黒くんを育てていた頃の彼があの姉弟に向けていた声のトーンを思い出してしまって、なんだかやけに顔が暑かった。
♢
ねえ、ベランダ開けて
顔の熱が冷めないうちに、またもやスマホがぴかっと光った。ベランダ開けて、とは。文字列の意味を理解した瞬間、内側が空っぽになってしまったみたいに身体が軽くなった。私は額に張り付いた前髪をちょっとだけ手で整えて、そのまま小走りでリビングに向かった。
「ねえ、不意打ちで可愛いこと言うのやめてくれない?うっかり関係ない建物壊しそうになったんだけど」
「なんで任務中にスマホ見てんの」
鍵を開けた瞬間開口一番でそう言った悟が、私にぐっとのし掛かる。風呂を済ませてから任務に向かったのだろうか、それとも汗をかかないのだろうか。男はいつでもいい匂いがして、その匂いは今日も私を安心させた。身体がすっぽり隠れてしまうくらい体格差のある悟が甘えるように肩口に擦り寄ってきて、そのままぎゅっと力を込める。求めていた締め付けに胸がぽかぽかしてきて、彼の背中に両手を回した。
「今日は重いって言わないの?」
「重いっちゃ重いけど、来てくれたから許してあげてるだけ」
「もー、僕もうちょっとしたらまた行かなきゃいけないんだからあんま可愛いこと言うのナシ」
こういうのは休みの日に言ってよね。と拗ねている風を装ってはいても、実際満更でもないのだろう。悟の気持ちが分かるようになったのは年の功なのか、それともそれだけ気を許してくれているからだろうか。ふとを横向くと真っ白な頬が目に入って、思わず口を当ててしまった。
「ねえ今日どうしたの?どこまでサービスしてくれるつもり?こっちにしてよ」
「何となくそういう気分なの。悟あと何分でここ出る?」
「そんなのいいから、早く」
形のいい桜色の唇を指差した彼のリクエストに応えるべく、首に手を回してそのまま距離を縮めていく。舌まで入れたら止まらないだろうなということを見越して、何度も軽いバードキスを繰り返した。しんとした夜、私とこのおおきくて愛おしい生き物だけがひっそり息を繰り返している。彼を呼び出す権利だなんて、売れば何億になるのだろうか。
「次いつ休み?」
「わかんない。悟は?」
「僕も。でも伊地知脅して休み被らせるって今決めたから、行きたいとこ考えといて」
「あんまり虐めちゃダメだよ、伊地知くん頑張ってるんだから」
「こんな生殺し状態で任務に行かされる僕の方が虐められてると思わない?やっぱり今から七海に電話しちゃおうかな」
最後にひとつキスを落としてから、悟はそのまま夜に溶けていった。彼が夜に奪われてしまわないように、光の下を歩けるように。スマホが光って、画面上には暖かな文字が映し出された。それに返事を返して家の中に入ると、不思議と暑さは収まっていた。