マブの王子一彰
日誌を提出して教室に戻ると、まず真っ先に私の席を陣取った黒い学ランの背中が緩やかなリズムで上下しているのが目に入った。前の席の椅子には私と同じく三年使っているというのに私と違って綺麗なままの通学鞄が乗せられている。そういえば、王子って意外と大雑把なくせにこういう時には絶対に鞄を床に置かないんだよな。王子、ちょっと潔癖っぽいから。
眠っているらしい学ランの君を起こすことに今更抵抗なんて感じなかったから、近寄ってポンと背中を叩いた。その瞬間勢いよく起き上がった黒い塊になぜか私の方がびっくりさせられて、思わず声を上げた私を見て王子はまるで大成功、と言うようににこにこと機嫌良さそうに笑って緩慢な動作で頬杖を付いた。
「起きてたんだ」
「まあね。足音で分かった」
「なるほど」
「もうちょっと慎重になった方がいいんじゃないかな。これが暗殺なら失敗してると思うよ」
「いや、別に王子のこと暗殺しようとか思ってないから」
三門大に推薦が決まってランク戦もひと通り落ち着いたからということで、暇を持て余した王子にイチオシの漫画を貸したのは私だった。面白いからと押し付けておきながら何となく王子は漫画よりも海外の小説とか活字の方が似合っている気がして、楽しんでもらえるかな、とちょっと心配していたけど、こうやって影響を受けているところを見るとどうやら私の漫画は王子宅で無事に読み進めてもらえているんだろう。
私の席から退く様子のない王子は、代わりに前の席の椅子から綺麗な鞄を退けてそれを机の横にかけた。
「まあ座りなよ」
「態度デカッ」
「聞かれたことにだけ答えてもらえるかな」
「いきなり裁判?」
ごく真面目に言ったのに、目の前の王子は勝手にツボに入ったのか「いきなりステーキみたい」と言うと机に突っ伏して肩を震わせながら一人静かに笑い始めた。王子は笑う時、基本的に爆笑というよりかは自分の中で笑いを噛み殺すみたいな笑い方をする。大口を開けて笑うのではなく口元を押さえて丸まるタイプで、声を上げるのではなく引きすぎて過呼吸になるタイプだ。
王子は文字通り抱腹絶倒しながら「しょうもない……!」と言ってしばらく震えていたけど、少し経つと急に笑いの波が引いたのかスッと起き上がって私の席で優雅に長い脚を組んだ。
「被告人」
「はい」
「終身刑です」
「なんで?」
王子はガベルをカン、と打つ真似をして誰もいない教室で私をイマジナリー終身刑に処した。王子はやることなすこと全てが突飛だ。いちいちツッコんでられないと大抵の人間が匙を投げても、気付けば全員彼のペースに巻き込まれている。
水上仕込みのリアクションがお気に召したのか、王子は満足そうに目元を緩めると机に両肘をついて身体の前で手を組んだ。
「いやさ、正直君とは結構仲が良いと思ってたんだけど」
「えっうん」
「でも今日僕にはチョコレートくれなかったよね」
「?昨日ボーダーでまとめてあげたくない?」
「当日にもらうのと前日にもらうのとでは心持ちが違うって話」
「めんどくせ〜〜〜!」
にこにこ笑っているし決して不機嫌なわけじゃないけど、王子はまるで鬼の首でも取ったかのように生き生きと催促の左手を出してきた。二月十四日、ここにチョコレート警察王子一彰の爆誕である。というか、実際は別に不満でもなんでもないんだろう。知り合ってからずっと、王子は年中ダル絡みしたいお年頃なのだ。
机の脇に掛けた鞄を膝の上に乗せて一応中身を漁ってみるけど、元々お菓子を持ち歩くタイプでもないのでやっぱり本日のチョコは売り切れだった。
「ごめん、ほんとにない」
「それは?」
「ああ、これは今日休みだった子の分」
「ふうん……ちなみに今からボーダーに行くとして途中にコンビニが何軒あるか知ってる?」
「……私今日ボーダー行かないけど」
「昨日隊室に単語帳忘れたんだよね」
「かまちょか」
.
結局まんまとボーダーにまで同行する約束を取り付けさせられた私と取り付けさせた張本人である王子は、寒い寒いと言いながら吸い込まれるようにコンビニの自動ドアを潜った。チョコレート盗賊の王子はさぞかし色々なチョコ菓子を物色するかと思いきや、コンビニに入るなりホットスナックコーナーを指差して「あれが良い」と言ったっきりお菓子コーナーに足を向けようともしない。こいつ、さてはバレンタインを口実にただピザまんが食べたいだけでは?蔵内くんはなんだかんだ王子に甘いとこがあるから論外として、ホワイトデー直前に樫尾くんと羽矢さんに言い付けてやるからな。
言われるがまま財布を開いた私は、自分用の期間限定生チョコまんとピザまんを一つずつ購入して外で待っている王子の元に向かった。
「何買ったの?」
「生チョコまん」
「半分こしよう」
「我が儘」
我が儘、と言ったけど、正直王子に半分こしようって言われるだろうな〜という考えありきで生チョコまんを選んだ節は大いにあった。王子がピザまんを半分に割って、なかなかチーズが切れないことに自分でウケている。マジで何にでもウケてんな、人生楽しそうだな。
友達だから王子が本当に王子様じゃないことくらい知ってるけど、それでも王子とピザまんの組み合わせは不思議に思えた。
「今日は他の子に何も奢っちゃダメだよ」
「?いいけど何で?」
「わざわざ奢らせた意味がなくなるじゃないか」
「えっ何どういうこと?」
「本命は僕だけにしてねって話」
「本命めちゃくちゃ安いじゃん」
ピザまんと生チョコまんどっちから食べよう、と悩んでる王子に一口ずつ食べなよ、と言ったら、神妙な面持ちでそれはできない、と断固拒否された。王子レベルにもなるとそんなとこにまで信条があるのだろうか。私が少数派なのか、それとも王子が少数派なのか二人だけでは判断できない。
「お返しは何がいい?」
「えっくれるの?本気で?」
「モノによるけどね」
電動のまつ毛ビューラー!と即答したら王子は考えておくよ、と言ってピザまんを食べた。これは絶対に考えないやつである。
「まあいざとなれば羽矢さんに聞くとするよ」
「それが一番確実なのは間違いないね」
「僕一人じゃ選べないとでも?心外だな」
「すぐ怒るじゃん……」
しばらく拗ねたふりをしていた王子は、ピザまんを完食すると次に生チョコまんに手をつけた。王子は美味しい、と満足そうにしているけど、絶対に中の生チョコはあったかい方が美味しいし、かといってピザまんのチーズもあったかい方が美味しいし、やっぱり私みたいに一口ずつ交代で食べるべきだったと思う。そう意義申し立てると、王子は口元に手を当てて上品に生チョコまんを咀嚼した後、ごくりと飲み込んでから口を開いた。
「こういうのは値段とか味じゃなくて誰からもらったかが大切なんだよ」
「コンビニのお兄さんからもらえて嬉しいってこと?」
「……」
「ごめんって。真顔やめて」
「なんなら今日この後作らせてもいいんだけどな」
「いや作らせてもいいんだけど、じゃないから……王子私のこと大好きじゃん」
「そうだよ。知らなかった?」
「知らない知らない」
「結構分かりやすく懐いてるつもりだったんだけどな。残念」
だから来年もちゃんと頂戴ね、と笑った王子が珍しく真面目に言っている様子だったから、合わせて真顔で首を縦に振った。そのあと本部についてから千佳ちゃんと絵馬くんに遭遇して思わず財布を引っ張り出してしまったけど、王子に二の腕をつねられて奢るには至らなかった。