隠岐孝二の策略.feat生駒隊



 放課後、名前は学校からボーダーへと向かういつもの道を歩いていた。道の傍に植えられている木々の葉っぱが段々と色をつけていて、もう秋になるのか、となんとなしに思う。いつもの制服に身を包んだ名前の少し間を空けた右隣、心なしか俯き気味に歩みを進める隠岐孝二の存在だけが名前のいつもをいつもと違ったものにしていて、気まずさを感じた名前は隠岐に気付かれないよう意識してそっと溜め息を吐いた。



 隠岐は名前と同じクラスに所属する水上のボーダーの後輩だった。甘いマスクと柔らかな物腰、極め付けにここらではあまり聞くことのない関西弁のたおやかな響き。ボーダーでモテるというと広報の嵐山や言わずと知れた殿堂入りイケメンの烏丸京介が思い浮かぶけれど、名前は同じ学年でこそないが隠岐だって相当モテるということを実はしっかりと耳に入れていた。隠岐は名前たちの学年の女子の間でも、年下の可愛い男の子としてちょっと話題になっていたのだ。

 隠岐は誰にでも人当たりのいい男だった。にこにこしている彼が機嫌を損ねるところなんて名前は一度も見たことがなくて、いつも真面目に訓練に取り組んでいることだって生駒隊のログを見ていれば全く想像に難くない。だから名前は、そんな欠点らしい欠点なんてないような隠岐が自分の前でだけやたらと居心地悪そうにしていることが出会った時から気がかりだった。

 初めて隠岐と会話らしい会話をしたのは例によって同じクラスで互いにボーダーに所属する水上を介してのことだった。水上と名前は性格が合う。ある日突然なんてことないように「こちら隠岐くん」と有名人である隠岐を紹介してきた水上を恨めしく思いながら(名前には人見知りの気があった)精一杯の笑顔で隠岐に挨拶した名前に返ってきたのは、傍目から見ても引き攣ったと分かる愛想笑い100%を顔に貼り付けた人当たりのいい隠岐の珍しいリアクションだった。あまりにも予想外の反応に後日名前たちを引き合わせた張本人である水上に「私隠岐くんに何かしたかな」とそれとなく聞いてみると、彼からは「気にすんな、荒療治中やから」と意味のわからない言葉が返ってきた。水上は頭が良すぎて過程をすっ飛ばして結果だけを話すようなところがあるから、名前は彼と話す時に度々彼のことが理解できなくなることがあった。



 とにかくそんな付かず離れず、多分ちょっと嫌われてるんだろうな……という微妙な距離感を保ったままだった友人の後輩である隠岐と名前は、なぜか今日に限って一緒にボーダーに向かうことになってしまった。そもそもの話、渡すものがあるとかなんとかで隠岐が水上のことを教室の前で待っていたのが始まりだった。水上が学校に提出するはずの書類が生駒隊の隊室かどこかで隠岐のカバンに紛れ込み、隠岐は期限の迫ったそれをわざわざ三年の教室まで届けに来たという。隠岐からの届け物を手に取るやいなや「ほな俺これ出してくるから二人で先行っといてや」と真顔で名前のことを崖の下に突き落とした水上のことを、多分名前はしばらくの間恨み続けることになるだろう。

いやあ、隠岐くんは嫌なんじゃないですかねえ。まあ私も普通に嫌なんですけどねえ、気まずいし。

 今日この日ばかりはそう言えるだけの胆力が備わっていればよかったものの、残念ながら名前は超が付くほどのヘタレであった。同い年の犬飼なんかは多分、そういうことをサラッと言ってしまうかもしれない。
 とにかくそんな経緯があってお世辞にも仲が良いとは言えない隠岐と並んで歩く名前は高校を出発してから歩き始めて十数分、もはや会話をすることすらも諦めてただただ景色を楽しむフェーズに入ったのであった。

  

にしても、隠岐くん歩くの遅いな。 

 関西人って歩くの早いんじゃなかったっけ、とどこかで仕入れた偏見を頭の中から引っ張り出してきた名前は、ちらりと隣を見遣ってそう思った。先程からゆっくりと歩みを進める隠岐はやっぱりずっと俯き気味で、そりゃあ仲良くないどころか苦手な先輩と歩かなきゃいけないんだからそういう態度にもなるか、と、名前は先輩に気を遣わねばならない彼の立場を考えてちょっとだけ彼のことを哀れに思った。いくら親しいとはいえども、隠岐にとって水上はやっぱり先輩なのだ。彼の顔を立てるという意味でも、多分隠岐は水上の言うことを断ることができなかったのだろう。今朝のニュースで「A型のあなた、今日はラッキーな一日になるかも!」と宣ったアナウンサーにやり場のない怒りを理不尽にぶつけながら、A型の名前とAB型の隠岐はここで初めて赤信号に引っかかってようやく重たい歩みを止めたのだった。

「名前さん」
「ん?」
「すんません、一緒に行ってもろて。なんや、その、楽しないですよね。俺緊張してしもてあんま喋れんから」

 信号待ちをしている時、不意にはにかみながらそう言った隠岐の様子を見て名前は少し面食らってしまって上手く言葉を返すことができなかった。苦手な人間に対してもこうやって気を遣うことができるのだから、多分こういう咄嗟の言葉選びのセンスも隠岐のモテ具合に拍車をかけているのだろう。そんな人たらしの隠岐にすら苦手意識を持たれている自分とは、という問題にはとりあえず目を背けておくとして、きょとんと目を丸くした名前は彼の言葉の意味を飲み込むと努めて柔らかな笑顔を作った。

「いや、私こそごめんね。隠岐くん気まずいよね、水上に言われたら断れないだろうし。なんか、こういう時に話すの苦手で……隠岐くんが嫌とかじゃないから。ほんと、ごめんね」
「いや、それは俺もほんま、名前さんが嫌とかとちゃうんですけど。……その、俺のこと嫌やないんですか?」
「え、なんで!別に隠岐くんに嫌なことされたことないし、全然嫌いとかじゃないよ」
「ほんまですか、……よかった」

 謝罪の応酬の末に黙り込んでしまった隠岐は安心したみたいな笑顔を浮かべたかと思えばまたもや俯き気味になってしまって、少し考えたけれど他に隠岐と話せるような話題を持ち合わせていなかった名前は手持ち無沙汰になってそのままぴったりと口を閉ざしてしまった。俄かに信号が青になる。動き出した通行人に倣って歩き始めた名前に少し遅れて、隠岐はやっぱり少し間を空けてから名前の右の隣に並んだ。









 学校から遠ざかって商店街のある通りを抜けてしまうと、人通りがない分沈黙が肌に突き刺さる。誰もいない通りに出てからというものなんだか気まずさが倍増したような気がして、名前は意味もなく右手で持っていた鞄を左手に持ち替えた。隠岐は変わらず名前の右側を歩いている。

「名前さん」
「ん?何?」
「えーと、今日は個人戦しに行きはるんですか?」
「そうそう。隠岐くんは?」
「俺は狙撃手のと、あとは隊で集まるって言うてるから」
「ああ、そういえば生駒隊明日ランク戦だっけ。水上が言ってたな」
「水上先輩と仲ええんですね」
「うん、同じクラスだからね」 

 初めてまともに隠岐と目が合ったと思った瞬間サっと勢いよく逸らされてしまって、名前の胸はすこし嫌な音を立てる。けれどもその直後、前を向いた隠岐の黒い髪の隙間に見える真っ赤に染まった耳が目に入ってきたものだから、ぱちぱちと目を瞬かせた名前はようやくそれを理解すると都合の良い考えが頭に浮かびそうになって堪らず下の唇を噛んだ。いや、隠岐くんは私のこと苦手でしょう。

「今日、名前さんと話せて嬉しいです。今まであんま話したことなかったし」
「そうだね、なんだかんだでちゃんと話したことなかったかも」
「はい。……ほんまは、ずっと前から話したかったんですけど」 
「えー、ほんとに?そう言ってもらえてありがたいよ」

いや、隠岐くんは私のこと苦手なはず。隠岐くん、私のこと苦手でしょ?違う?

 何やら風向きが変わってきたような気がして、しかも自分の都合のいい風に勘違いをしてしまいそうになるものだから、名前はぎこちない笑顔の隠岐を見ないようにしながら真っ直ぐに伸びるコンクリートの道路を眺めた。
 思えば、初対面の時から隠岐の笑顔は引き攣っていたのだ。それが、嫌いだからとかじゃなくて、例えば緊張していたからだったとしたら?やたらと居心地悪そうにしていたのも全部、もし苦手意識以外の何かから来ていたのだとしたら。
隣を歩く甘いマスクの後輩は、今一体何を考えているのだろうか。

 ある一つの考えが名前の脳内にいきなりぐんと浮上してきて、名前は自意識過剰な自分に一抹の恥ずかしさを覚えてなんだか妙に走り出したくなった。

「名前さん」
「どうしたの?」
「今日、ほんまに名前さんと話せて嬉しいです」
「……あはは、それさっきも聞いたよ。でも私仲良い後輩とかいないから、ほんと、そう言ってもらえてありがたいな」
「ほんまは無理矢理とかちゃうんです」
「え?」
「わざとなんです」

 不意に立ち止まった隠岐の方を振り返ると、真っ白な頬が内側から赤く染まっていて名前は心臓が大きく大きく跳ね上がる音を聞いた。
わざと、とはどういうことだろう。隠岐も水上と同じく、頭が良すぎる故に話が飛躍するタイプなのだろうか。
 探るように隠岐を見つめる名前の視線に負けてなのか、意を決したように名前と目を合わせた隠岐の顔はなんだかひどく名前の胸をざわめかせた。下がり切った眉に、むずむずと動く唇の端。真っ赤に染まった耳と頬が何かを名前に訴えかけて、名前はもうそれを無視することができない。

「名前さんと話したくて、わざと色々やってもらったんです。こうでもせんと、俺いつまで経っても話せんままやから」
「……」
「このまま名前さん大学生になってもうたら、もうまともに話す機会もなくなるやないですか。初めて会った時から、……可愛いなって、ほんまにずっと思ってたんです」

 そう言って羞恥に耐えるように目を合わせて微笑んだ隠岐の放った弾丸が、名前の胸の真ん中を射抜いた音を一体誰が聞いたのだろうか。


見事に隠岐に撃ち抜かれた名前は、その数日前に生駒隊の隊室で「でも名字年下結構好きやと思いますよ。可愛い系」「よっしゃ隠岐、年下の子犬系男子や。可愛い感じでいくで」「ブレザーじゃなくてカーディガンで行きましょう!」というやり取りが行われていたことをついにその後知ることはなかった。