宮治とスタンプカード




 行きつけというほどでもないけど、多分顔は覚えられてる。「いつもありがとうございます」とは言われないけど、注文する前から材料の諸々が用意されている。そういう絶妙な距離感のおにぎり屋さんをかれこれ三か月ほど前に開拓した私は一月初めの今日、年始の業務に忙殺されてへとへとになった体を引きずりながら蜜に吸い寄せられる蜂のように暖かい光を漏らす暖簾をくぐった。

 中に入ると珍しく客は一人しかいなかった。ここの店主のお兄さんは何から何までちょうどいい。地域密着型というのだろうか、この店に来るとお兄さんはいつでもカウンター席に座った近所のお年寄りと何やら楽しく会話をしている。けれどもその気安さが私に向けられたことは今まで一度たりともなくて、私のような出無精の内向人間にとってはそれが無性にありがたかった。

「いらっしゃいませ」

 一番端のカウンター席に着くと同時に目の前に湯呑みに入った温かい緑茶が置かれる。私はここに来るたびにその時々の気分で頼むメニューを変えるけれど、鮭のおにぎりだけは欠かさず頼んでいるからだろう。私にお茶を渡したお兄さんは冷蔵庫から解された鮭を取り出すと、それをこちらから遠ざけるように向こうのまな板の上に置いた。

お兄さんのこういう「多分鮭だけど、まあまだ何頼むかわからんよな」みたいな態度も私にとってはかなり好感が高い。おもむろに鮭!みたいな感じを出されると、絶対に頼まないといけないような気がしてくるし。

 そんなことをつらつら考えながらメニューを見ていると、なんだか右側から強い視線を感じたような気がして私はふ、と面を上げた。

「……」
「どうも、こんばんは〜」
「……どうも」

3Kだ!!!!

 私の座ったカウンター席の延長線上、四席空けたそこに座っていたのは陰の人間が関わってはならないとされる3K(金髪、コミュ強、顔がいい)を全て兼ね揃えためちゃくちゃチャラそうな男だった。なお私は昔から頑なにこの3Kを提唱し続けているけれど、それが共感してもらえたことは今まで全く全然ない。3K、本当に怖いのに。

 私に挨拶してきた3K男の頭の辞書に、多分「遠慮」とか「失礼」とかいう言葉は登録されていないのだろう。3K男はサッと目を逸らした私をチラチラとこっそり(のつもりなんだと思う)伺ってきて、怒りとか恐怖を通り越した私は一周回ってもはや「逆にすごいな」などと思い始めることになった。

「ツム、お前あっち行け」
「え〜、なんでなん」
「もう話聞いたったやろ、奥で食ってええから」
「暖房つけてる?」
「まだ」
「寒いやん、無理」
「ぐだぐだすんなや。マジで営業の邪魔やねん」
「は〜?俺も客やのに。北さんにチクったろ」 

北さんは俺の味方やねん。
そんなことないですー、北さんは俺の味方ですー。

 まるで子供のようなやりとりをする二人を見ていると二人の顔が鏡に映したようにそっくりなことに気付いてしまって、私は3K男のことを棚に上げて彼らのことを不躾にまじまじと眺めてしまった。

「……」
「……あ〜、すんません。うるさかったでしょ」
「いや、あの、大丈夫です。……注文いいですか」
「はい、もちろん」

 私の視線に気付いたのか、それともたまたまだったのか。3K男を奥に押しやってから振り向いたお兄さんとばっちり目が合ってしまって、お兄さんはなぜか驚いたみたいな顔をした。これだけ長くここに通っているのに、不思議とお兄さんの顔をちゃんと見たのは今が初めてみたいな気がする。照れたみたいに口元を隠そうとしたお兄さんはハッと気が付いてその動作を途中で止めると(当たり前だけど、料理中だから顔を手で触るのは良くないんだと思う)、ぐっと顔を引き締めて私のおにぎりを作り始めた。出されてあったまな板の上の鮭はやっぱり使われることになった。







「あれ、お姉さんもう帰りはるんですか?」
「え、は、はい」

 あの後いつものようにおにぎりを食べ、そろそろ帰ろうかとお会計をしていると不意にカウンターの奥の扉から3K男が出てきた。酒を飲んだのかそれとも暖房が効きすぎたのか、顔を赤くした3K男は靴を突っ掛けるようにして履くとふらふらこちらに近づいてくる。お兄さんが「ツム、お前あっち行っとれ」と言うのも聞かずに、3K男こと「ツム」はレジを挟んで向こう側に立つお兄さんと肩を組むと、おもむろに私がレジカウンターに置いた「おにぎり宮」と書かれてある紺色のポイントカードを手に取った。

「お姉さん、これサービスな」
「は?お前ほんまにやめろって」
「ええやん、いつも来てくれてんねやろ」

 「ツム」はレジ台の下から宮と書かれたスタンプを手に取ると、それを勢いよくポンポンポン、と一列全て埋まるまで一気にカードに押していく。お兄さんの静止も聞かずにカードを埋めた「ツム」はやたらと仰々しい動作で丁寧にそれを折りたたむと、「おにぎり宮」の面を表にしてそれを両手でこちらに差し出した。

「お姉さん、いつもありがとお。サービスしといたからもっと来たってな。これ全部貯めたらこいつのライン貰えるから」
「は?!ちょ、おま、ほんま」
「こいつな、ずうっとお姉さんのことかわええなって言うてんねん。今度デートでもしたってや」

じゃあ、また待ってるわ〜。

 そういう風に言って手を振りながら奥に引っ込んでいった「ツム」がいなくなると、後には私と真っ赤な顔をしたお兄さんが取り残された。「ツム」が三段目を埋めたポイントカードは残すところ一列で、あと六回来れば全て埋まるようになっている。

「……その、すんません、ほんま」
「いや、全然。その、大丈夫です……」
「……また来てくれますか」

 真っ赤な顔でこちらを伺うみたいに体を縮こめるお兄さんにキュンとしてしまって、私はやっぱりお兄さんは何から何までちょうどいい人だなと思った。

「あと六回くるから」
「?」
「そしたら、えっと、ライン教えてください……」
「!もちろん。……ええと、待ってます。ほんまに、待ってるから」