水上と夏の夜


 

 ふと目を開けると窓越しに外の街灯の光が差し込んで、部屋のぼんやりとした輪郭が暗い中で浮かび上がった。手探りで枕元に置いたスマホを探し当てると、液晶の上には1と12の文字が確認できる。学校がある日の朝は部屋中に溢れる太陽の光でも起きられないくせに、休みの夜のスマホの光ではなんで簡単に目が覚めちゃうんだろう。スマホの光って、人間の目を冴えさせる特別な作用でもあるんだろうか。
 どうにももう一度寝る気になれなくて、汗で張り付いた前髪を適当に拭った。何も考えずに開いたSNSを流し見する。時間がどんどん溶けていく。
 暗い部屋の中で明るい光が眩しかったけど、夏の夜の暑さが私から立ち上がって電気を付けるだけの気力を奪っていた。

『まだ寝てないん』

 しばらくの間溜めていたラインを返したり迷惑メールを受信拒否したりしていると、画面の上側にラインの通知が表示されたからなんとなくそれをそのまま開いた。送り主にはさっき返事を返したばっかりだったから、ちょうど向こうも起きていたんだろう。というか、まだ寝てないって自分もじゃん、と思う。

『水上こそ』
『俺はええねん』

 水上とこうやって連絡を取り合うのは珍しいことで、それはお互いが連絡不精だからという一言に尽きる。今まで必要事項だけしか打ち込まれてこなかったトークルームに意味のない文字列が並ぶのは不思議だったけど、不思議なだけで悪い気はしなかった。

『なんか目冴えちゃった』
『ブルーライトやな』
『あとお腹すいた』
『我慢し』 
『コンビニ行こうかな〜』
『一人で?』
『水上と』
『いや無理やし』

 もちろん本気で水上を呼び出すつもりはないけど、お腹が空いたのは本当だった。夏はどうも食欲が落ちていけない。寮で生活するようになって三年、未だに自炊が好きになれなくて特に食欲のない夏は夏バテで夕飯を抜いてしまうことがよくあった。結局夜中にお腹が空くから、無理矢理にでも何か食べた方がいいんだろうけど。
 そういえば水上と親しくなったのも初めは二人とも寮生活にてんやわんやしていたことがきっかけだったな、と思い出して、なんだか無性に懐かしい気持ちになった。

『ほんまに行くん?』
『ううん。めんどいから我慢する』
『夜食ってないん』
『うん』
『部屋になんもないん?』
『あるけど動きたくない』

 そこまで送信すると、不意に目眩がしてそのまま仰向けに寝転がった。瞼を閉じて真っ暗になったはずなのに、視界がぐるぐるして手足に力が入らない。夜を抜いたからか、それとも汗をかいたのに水を飲んでないから脱水を起こしたのか、そのどっちかだろうなと思った。そのまましばらくじっとしていると、ぐるぐる回るのが減速したコーヒーカップみたいに落ち着いていく。徐々に身体に重力がのしかかってきて、眠くなくても目を開ける気にはなれなかった。体調不良ってほどじゃないけど、何かをするには億劫な感じだ。
 スマホが震える音がして、仕方なく手探りでスマホを探した。

『寝た?』
『おきてる。喉渇いた』
『水飲みや』
『うん。なんか食べるわ』
『コンビニ?』
『うん』

 水を飲まないとこのまま寝れないだろうし、どうせ布団から出るなら空腹も満たしてしまいたくて結局コンビニに行くことにした。最寄りのコンビニまでは寮から五分もかからない。夜中だから誰にも会わないだろうし、水を飲んで落ち着いたらちょっと行ってすぐに帰ろう。スマホが畳の上で震えた。

『五分待っとれ』









 開口一番眠たいんやけど、と文句を垂らした水上を見て、思わず「本物だ……」と呟いてしまった。

「ドッペルゲンガーとか居ませんよお嬢さん」
「居たらどうする?謝ってもらうけどいい?」
「いやおらんから」
「……本気で水上だよね?」
「どんだけ疑うねん」

 すかさずツッコミを入れられて、これが関西人の抗えない性か、と感動する。
 私の頭の中の水上がこういうとき時に付き合ってくれるビジョンが全く思い浮かばなかったから、と主張すると、水上は考えるみたいに顎を摩ってたしかになあ、と呟いた。

「なんで来てくれたの?」
「なんでやろな」
「水上ってこういう時絶対来ないじゃん。夜に出かけるの嫌いだし一回家帰ったら基本外出ないじゃん」
「よおお分かりで。てかお前ほんまに晩ちゃんと食えよ」
「いや今日はなんか疲れててそのまま寝ちゃったんだよね」
「カップ麺とか余分に買おて置いといたらええねん」
「夏場にカップ麺?情緒ないな」
「やかましい」

 スウェットのポケットに手を突っ込んだ水上が隣を歩いているのが不思議で、腕の隙間に自分の腕を突っ込んでみたくなって必死に押し留めた。謎衝動。付き合ってもないのに腕を組むだなんて、普通に距離感バグでしかない。なんなら友達を一人失ってもおかしくない。 

 なんやかんやと話しているとすぐにコンビニに着いて、水上に続いて自動ドアをくぐった。水上の深緑のサンダルがパカパカと鳴る音がする。夏場だからか、コンビニの中は夜中でも冷房が効いてひんやりと涼しかった。ずっとここで働いている店員さんは薄着で風邪を引かないのだろうか。

「何にすんの」
「スープ春雨」
「即決やん。しかもカップ麺と変わらんし」
「全然違うから。あ、アイスも買っとこうかな……いや明日スーパーで買おうかな」
「お前絶対めんどいからってスーパー行かんパターンやろ。買っとき」
「んーーコンビニ高くない?」
「高いけど倒れるよりマシやで」

 水上より私の方が正しいことなんて今まで一度もなかったから、大人しく水上に従うことにした。アイスの冷凍庫の前でしばらく悩む。ここのコンビニは冷凍系の品揃えが豊富だ。
 バニラにチョコがかかった棒アイスを手に取って、隣で待っていた水上にどれにするの、と聞いた。流石にこんな時間に付き合わせて悪いと思うくらいの良心は持ち合わせていたのに、当の水上は要らん、と言ってどこ吹く風を貫いている。水上、本当になんで来てくれたんだろう。

「ありがとうございました〜」

 スープ春雨とアイスとスポーツドリンクを買って、あとレジ横のチーズポテトが美味しそうで思わずそれも追加した。五分足らずに三円支払うのも馬鹿らしくてレジ袋をケチったからすっかり両手が塞がっている。コンビニの外に出ると熱気が押し寄せてきて、水上が暑、と呟いた。

「やっぱりアイス買う?」
「戻るのダルいしええわ」
「真後ろじゃん」
「戻ってアイス選んで会計して、ってやるやろ」
「出た、効率厨。じゃあ自販機で買おうよ」

 夜に人と会うことなんてそうあるわけじゃないから、なんとなく楽しくなってこのまま解散したくないなと思った。水上にお礼をしたいというよりはもうちょっと話していたいという気持ちで提案する。さっきはコンビニでアイスを買うのも渋ったのに、自販機なんてコンビニよりもよっぽどコスパが悪いに違いない。水上は目線だけでこっちを見て、じゃあ俺サイダーにするわ、と言った。



 

 寮の近くの駐車場の横に設置している自販機でサイダーを一本買って、私にはスポーツドリンクがあったからそのまま飲みながらぐるっと回って帰ろうということになった。本当は団地の公園で一緒に飲みたかったけど、この辺は警察署が近いから二人で歩いていると補導されてもおかしくない。水上は寄り道とかそういう非効率で意味のないことが嫌いだと思っていたけど、回って帰ろうと言ったらおー、と言ってそれ以上何か言うわけでもなかった。

「貸して」

 少し歩いたとはいえ寝起きだったから、手に力が入らなくてペットボトルの蓋が開けられなかった。年々握力が弱くなっている気がする。今測って十とかだったらどうしようと思う。

「ありがと」
「力弱いな〜」
「いや今寝起きだから。本気出したら水上骨折するから」
「それは強すぎ」

 水上は他の男子と比べて特別体格がいいわけじゃないけど、私よりも骨張った手はいとも簡単にペットボトルの蓋を開けてしまった。

「ねえなんで来てくれたの?」
「それさっきも聞いたやん」
「だって水上こういう時来ないじゃん。クローンじゃないよね?」
「陰謀論とか信じてんちゃうやろな」

 水上とはそこそこ……結構仲良しな自信があるけど、それはそれとして水上がここにいることが未だに信じられなかった。非効率なことが誰より嫌いで、常に最短ルートを模索して最小限の努力で最大限の成果を手に入れる人間。私にとって水上敏志はそういう人間だったから、少ししつこくてもやっぱりそこに別の意味を見出さずにはいられない。水上が缶を傾けてサイダーを流し込むと凹凸のある喉が上下に動いた。

「また付き合ってくれる?」
「夜は無理。てかお前夜に一人で出歩こうとすんなよ」
「えっそれで来てくれたの?」
「……」
「本気で?」
「当たらずといえども遠からずってとこちゃいますか」
「え〜めっちゃ優しいじゃん」

 駐車場を一周するくらいじゃ大した時間稼ぎにもならなくて、歩幅を狭めて歩いたけど水上は何も言わなかった。自分に都合の良い言葉が聞きたくて色々言ってみたけど、水上が敬語になる時は照れている時だから、こんなの貰いすぎでお釣りが来るんじゃないだろうか。
 水上は暑、と呟いて、Tシャツの胸元の辺りを摘むとパタパタと動かして中に風を送っていた。

「こんなの付き合ってくれるの水上くらいだよ」
「やろうな。俺ほど優しい奴もまあおらんで」
「Kとどっちが?」
「K……そんなん間違いなく俺やろ」

 授業で夏目漱石の『こころ』を読んだばっかりだったからそう言ったけど、水上はちょっと考えただけですぐにKに思い当たったみたいだった。角を曲がると寮の入り口が見えてくる。男子寮と女子寮はそもそもの入り口が違うからこのまま解散しないといけない。ペットボトルの中身はまだ半分も減っていなかったけど、出る前よりも暑さが和らいだ気がした。

「ありがとう」
「おー」
「また呼ぶね」
「呼ぶな呼ぶな。歯磨いてさっさと寝ろ」
「昼だったらいい?」
「暑いから無理」
「朝は?」
「起きられへんから無理」
「やっぱり夜か……」
「いや夜はいけるみたいな感じ出すのやめてもろて」

 おやすみ、と言って水上の二の腕の辺りをポンと叩いたら、水上はちょっと目を丸くした後に濡れた犬みたいな顔でおやすみ、と呟いた。何、その複雑そうな顔。

「マジでもう寝ろよ」
「うん」
「寝られへんかったらラインしてええから」
「……水上!」
「うるさいうるさい。はい一名様ご案内します〜」

 水上の手が背中に添えられてそのまま女子寮の方に押し出される。夏場で薄着だったから汗をかいていたらどうしようと思って、それから水上の手のひらが暑くて変にドキドキした。こんなんじゃ目が冴えて寝れそうにないと思ったのに、ご飯を食べると不思議と眠くなってそのまま布団で目を閉じた。