マブの王子一彰A


 


 チェーンロックを外してドアを開けると、隙間から三月の風が入り込んできて寒暖差で思わず腕を摩ってしまった。暖かくなったかと思えば雨が降って、雨が降ったかと思えばまた気温が下がる。このところそんな風な天気が続いていたから、新居に引っ越したばかりの私は未だに冬物を片付けられていない。やあ、と片手を上げた目の前の王子も、やっぱり厚手のダッフルコートを身に纏って鼻先をうっすら赤くさせていた。



 卒業までの自由登校期間の間に引っ越しするんだ、と言った時、たこパをしようと言い出したのは王子だった。なんでたこパ?と思ったけど、なんでも王子は「一人暮らしの友達の家でするたこパ」をずっとやってみたかったらしい。案外俗っぽいことが好きなんだな、という気持ちと、それ普通は大学生になってからやるんじゃない?の気持ち。
 王子と私は違う大学に進学するから予定を合わせるのも難しくなるだろうし、あとは一人暮らしが心細いということもあって結局こうして呼んでしまったけど、見れば見るほど王子と安っぽいアパートの親和性のなさに変な違和感を感じてしまう。一瞬だけ同い年の男の子を一人暮らしの部屋に呼ぶのは如何なものか、だなんて考えたけど、私の中の王子は男でも女でもなく性別:王子の枠組みに嵌っていた。それに、こういう風に言うのもなんだけど、王子なら多分大丈夫だろう。

 狭い玄関脇の傘立てに刺さった傘を手で避けるようにしながら、王子は玄関に足を踏み入れた。

「お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
「あとこれ」
「えっそんなのよかったのに……本?何これ?」
「ホラーだよ。新居に出る怪異の話」
「ねえ実は私のことめっちゃ嫌いなの?」

 やけに薄っぺらい袋に入っていたから何かと思ったけど、新居祝いがホラー小説って何なんだ。しかも、めちゃめちゃシチュエーションに合ってるやつ。
 出オチ感が半端なかったけど、せっかくもらったし……と思ってそれを受け取ってから靴を揃えていた王子を待ってリビングに繋がる扉を開けた。正確に言うと、ワンルームだからリビングというよりかは唯一の部屋ということになるだろう。いくらボーダーで給料を貰っていても大学生は何かとお金がかかるものだから、どこかで何かを削っていかないとこの先の資金が尽きてしまう。
 
「これ置いていい?」
「あ、ごめんそこ置いて。匂いつくからコートあっちに掛けてくるね」

 事前にかなり狭いよとは言っていたけど、コートを脱いだ王子はぐるっと部屋を見渡してからいい部屋だね、と言って笑った。王子にこの部屋は似合わないけど、王子はこの部屋のことを悪くは思っていないらしい。でも確かに、似合うかどうかは別として王子は一ヶ月一万円生活とかも楽しんでやりそうなタイプではある。

「キッチン狭いから生地もう作ってるんだよね。タコとかはまだ切ってないからこっちで切ろう」
「ありがとう。手を洗っても?」
「ああ、ごめんこっち。それ跨いできて」

 一つの部屋にベッドもテレビも机周辺の諸々も置いてあるから高三男子にはさぞかし窮屈な部屋に違いない。荷物を跨いだ王子が狭い廊下の暗いシンクで手を洗っている間に、王子が持ってきてくれた荷物の中から加工が必要になりそうなものを選んで取り出していく。タコ、キムチ、チーズ、ソーセージ、餅、ベビースターラーメン……明太子ソースにフルーチェまで買ってたこパを満喫する気満々である。見てたらお腹が空いてきた。
 絶対二人じゃ食べ切れないね、と言ったら、王子は手を拭きながらその時はクラウチを呼ぶよと言った。いくら仲良いからって家主の許可なく勝手に客を呼ぶんじゃない。

「私蔵内くんとそこまで仲良くないんだけど」
「大丈夫大丈夫、クラウチ生徒会長とかやってたし」
「え〜そうなんだ、っぽいね………………それ関係ある?」
「全然ないね」

 本日一度目のツボにハマって口のあたりをもにょもにょさせながら笑う王子はひとまず放置するに限る。手を洗ってパックから取り出したタコをまな板の上に置いた。いや、でも生モノは後の方がいいかもしれない。タコを戻して餅を取り出す。

「四等分くらいでいいよね?」
「日本で一年間に凡そ何人の高齢者が餅を喉に詰まらせて窒息事故を起こすか知ってる?」
「普通に大きすぎって言ってもらっていい?」
「ちなみに確か餅による窒息事故の約四割が一月に起きているらしいよ」

 斜め上からスライダーを投げてきた王子に答えるべく六等分にした餅を一欠片摘んで見せると、王子は少し考えるみたいな仕草をして、何事もなかったかのように案外四等分くらいでもいいかもね、と言った。いや、名案!じゃないんだわ。

「とりあえずそっちでタコかソーセージ切って」
「僕タコの踊り食いしてみたいんだよね。今度行こうよ」
「いいけど会話飛びすぎ」

 餅を切りながらトリオンキューブみたいだな……と思っていると、王子がそれトリオンキューブみたいだね、と話しかけてきた。変なところでシンクロしている。かくいう王子は、と思って手元を見ると、王子の手元には大量のタコ型ソーセージ、通称タコさんウインナーが散らばっていた。ここで強調しておきたいのは、私は「タコかソーセージ」とは言ったけど、「タコをソーセージに」とは言っていないことである。
 タコになりきれずに正体不明のキメラに成り果てているものもチラチラ見えてツッコみたかったけど、ここでツッコんだら負けな気がしてひとまず餅に集中することにした。諏訪さんが一人、諏訪さんが二人。それでも視界の端で増えていくキメラにツッコミをしようか迷い続けること数分、大量のタコさんウインナーとトリオンキューブが完成したので私はたこ焼き器を温めるために明るい部屋に逃げ込むことにした。




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「王子ってほんとに何でもできるんだね……」
「それほどでも」
「人生で一番悔しい」
「幸せな人生だね」

 お皿の上に並ぶ、王子が育てた楕円みたいなたこ焼きと私が育てた爆弾たこ焼き。爆弾になったのはタコさんウインナーが大きすぎるせいもあるけど、それはそうとして王子は関東の人間にしてはめちゃくちゃたこ焼きをひっくり返すのが上手かった。

「これ生駒隊の人とかめっちゃ上手いのかな」
「今度呼んでみる?イコさんは上手そう」
「あ〜、生駒さんは上手いって聞いた気がする」
「仲良いの?」
「ううん、真織ちゃんが言ってた」

 目を丸くしてこっちを見た王子には申し訳ないけど、私の人脈のなさをナメないでほしい。しかも真織ちゃんともすごく仲が良いとかではなくて、前に同じ委員会になった時に少し話しただけの吹けば飛ぶような軽い縁。

「そういえばダイエットしようと思って」
「いきなりだね。どうして?」
「いや、なんか大学入るまでに痩せたくて。第一印象って大事じゃん?」
「今の君にダイエットが必要とは思わないけど、健康的にやる分には問題ないと思うよ。食事を抜いたり同じものしか食べなかったりするのは良くないから」

 王子がまともなことを言ってるのに対する驚き半分、たこ焼きが熱すぎて口を開けないのが半分。無言で王子を見ていると、王子は「羽矢さんが現場前?によく無理なダイエットをしてるんだ」と言ってからたこ焼きを冷まして上品に口元に運んだ。私は口の中の上あたりの皮がベロベロに剥がれているのに、王子は熱そうにしている素振りすら見せない。王子が食べるとたこ焼きすらも上品に見えるから不思議である。お洒落なレストランで、めちゃくちゃ余白のあるお皿に二つだけ乗せられたたこ焼きをナイフとフォークで食べる王子を想像した。

「モテたいの?」
「う〜ん……なんかモテたいってわけじゃないけど彼氏はほしいかも。めっちゃ欲しい!ってわけじゃないけど、できたらいいな〜くらいの」
「ふうん」

 今まで王子とはあんまりこういう話をしたことがなくて、王子は恋愛に興味がなさそうだったからがっついてると思われそうで恥ずかしかった。王子は好奇心旺盛なのに、惚れた腫れたとかそういう方面には全く興味を示さないらしい。かくいう私もめちゃくちゃ彼氏が欲しい!ってわけじゃないのは本当で、でも大学で出会ってゴールイン、みたいな恋愛にはちょっと憧れがあったりもした。自分が誰かと付き合うだなんて、今のところ全然想像できそうもないけど。

「彼氏か彼女ができたら紹介してね」
「なんで?」
「君にふさわしいか審査するから」
「親じゃん」
「僕の屍を越えていけ」
「それ言いたいだけでしょ」

 最近の王子は先日貸した漫画のセリフを引用するのにハマっているらしい。爆弾たこ焼きの中からつまみ出したタコさんウインナーに「今のは流石に死ぬかと思ったな……」とアテレコをつけた王子はまたもや自分で言って自分でウケるというお得意のやつをやっている。ちなみに今のは、怪獣のお腹の中から出てきた人間が言うセリフ。

「誰かと付き合っても僕より仲良くならないでね」

 笑いのループから戻ってきた王子にそう言われて、どういう反応を返せばいいのか分からなくて適当な相槌を打ちながら曖昧に笑った。

「恋愛したらみんなそっち優先になっちゃうけど、それって僕的には結構寂しいし理解不能なんだよね」

 だから君にはそうならないでほしいなって、と笑った王子を見て、王子がそう思う気持ちも、王子が恋愛に関心を持たない理由もなんとなく理解できた気がした。

「何か飲む?」
「うん、お茶を……あ、そうだ」

 ベッドの上に置いた荷物の中から箱を取り出した王子がそれを目の前で開封し始めた。箱を開けて、緩衝材を退ける。プチプチの中から出てきたのは紺色に暗い金色で星座が描かれた夜のマグカップ。

「これ僕のやつだから」
「え……何、マイカップ?持ってきたの?」
「ううん、買ったやつ。家に置いてて」
「えっ何で?!」
「もういっそマイカップ買った方がいいかもってくらい頻繁に遊びにこようっていう所信表明」

 一旦洗ってくる、と言った王子はコップを片手に軽々と荷物を跨いで廊下に出ていった。別にコップ一つくらい場所を取るわけじゃないし、いいんだけど、いいんだけど。

 戻ってきた王子は使っていたコップを退けて、紺のマグカップにお茶を半分くらい注いだ。

「これからも仲良くしてね」
「うん……」
「あはは、そんな神妙な顔しないで」
「なんか私王子に仲良しと思われてて嬉しいなって……あと割ったらごめん」
「割ったら破片の数ごとに千円ね」
「たっか」

 たこ焼きは冷めても美味しかったけどやっぱり二人じゃお腹に入らなくて、結局フルーチェも作らずじまいで終わってしまった。箱に『王子』と書いて棚の奥に収納する。ちょっと考えて、棚から出して写真を撮った。それを隊長だから忙しいだろうに急いで部屋を片付けていってくれた友達に送信する。任務が終わったであろう夜7時ごろ、王子からは通販の購入済みページのスクリーンショットが送られてきた。「次はフルーチェパーティーをしよう」。いや、20個は流石に多すぎるんだわ。