呪専五条とよこしまなこころ




日に晒され続けたアスファルトに篭った熱が、足元から体温を体感で二度上げた。日陰を歩きたいのにそれが叶わないのは、ひとえに木にしがみついていつ落ちてくるかわからない蝉のせいである。寝不足で回らない頭を無理矢理にもたげながら、名前は、砂漠にぽつんと存在するオアシスの水の如き空色の塊を熱の籠り切った口内に迎え入れた。



今年の夏は猛暑だった。真っ黒な制服のスカートを着ることも憚られるくらいの夏の暑さに、汗かきの名前はすっかり参ってしまっていた。高専寮に備え付けられている自室のクーラーは、電気屋の店先で売り出されている最新機種からは程遠い型の古いものだ。部屋に篭ってぬるい風を浴び続けるよりかは、着替えの面倒さと引き換えに外に出て日陰で水浴びをした方がマシなくらいである。

そんなわけで、暑さに辟易としてしまった生徒たちが高専下の坂を下ったところにあるコンビニでアイスを買い込むのは、もはや毎年の恒例行事で風鈴やスイカに並ぶ夏の風物詩にも等しかったし、名前と五条がそれぞれの手に大量のアイスが入った袋を引っ提げているのもまた、そういう事情があってのことなのだった。



それにしても珍しいな、と名前は思う。いつもなら神の加護を受けての勝負強さを発揮してジャンケンすらも勝ち越し無双を決め、水浴びをしながら涼しい場所で高みの見物をしているはずのあの五条が、今日はどんな風の吹き回しなのか、負けに負け続けた運のない名前にくっついて、こうして隣を歩いているからである。坂を登る二人の手元には、先程買い込んだ水色の四角い棒アイスが握られていた。五条のそれは、名前のものとは違ってもう半分近くが彼の胃の中に消えている。


「戻るまでに食って、上でまたもう一本食おうぜ。他の奴らに言うなよ」


コンビニへの道すがら坂を下っている最中、まるで内緒話をするみたいに、二人しかいないのにこそこそと顔を近付けて話しかけてくる五条にまた体の熱を上げながら、名前はこくりと頷いたのであった。





「あっつ」

何度も言いすぎて、もはや意味を持たない言葉の響きが五条の口から溢れ出た。その絹糸のような真っ白の細い髪のせいか、はたまた血管が透けて見えてしまいそうなくらいの白くて艶やかな肌のせいか、普段から何事もさらりとこなしてしまう五条は、名前から見てどうにも暑そうには見えない。そんな彼のこめかみを滴る汗の露が太陽の光にきらりと反射して初めて、名前は彼が自分と同じ人間だということを思い知るのである。


食べ終わったアイスの棒を持ち替えて手の甲で乱暴に汗を拭った五条が、うんざりとした顔で名前にその手を差し出してきた。  


「日陰行こうぜ」
「蝉落ちてくるじゃん」
「だから無限張んだよ。手繋いでたら大丈夫だから」


ほら、早く。


促す五条に流されるようにして、名前は右手を五条に伸ばした。自分のものよりもひと回り大きい彼の手が、力を込めてぎゅっと名前の手を握り込む。繋いだばかりの手に汗をかいてはいないかと なんとなく不安になった名前は、触れる箇所を最小限にしようと指を伸ばして右手を自分の方に引いた。もちろんそれは、力を入れた五条の左手にいとも容易く阻止されたけど。


「なんで離れようとすんだよ」
「暑いかなと思って」
「蝉当たっても後から文句言うなよ」
「それはやだ」
「……あちい」
「離したらいいじゃん」


その問いかけに、五条はついに応えなかった。日陰に入って涼しいはずなのに、彼の赤くなった耳だとか、ぎゅっとくっついた掌に感じるじんわりとした水気だとか、そんなあれそれが名前の体温を上げている。いつの間にか自分よりも半歩前を歩いていた五条の手を引いて早いよ、と引き留めると、彼は此方を一瞥したのち、何も言わずに顔を背けた。歩き出した男の歩幅は、先程よりも幾分か狭い。


「昨日」
「?」
「傑の部屋行ったろ。風呂上がり」


うるさい蝉の輪唱の中で、なぜか五条の声はすんなりと名前の耳に届いた。五条は相変わらずじっと前だけを見据えていて、その表情から何かを汲み取ることはできない。繋いだ手が一瞬離れたかと思えば、今度は指と指の間に彼のそれがするりと差し込まれて、掌同士が隙間もなくぴったりとくっついた。名前の空いた首筋を、つうっと汗が這っていく。


「本返してただけだよ」
「そういうの、やめたら」


言い訳がましい名前の言葉に、どこまでも無表情を貫く五条は間もなく即座に噛み付いた。坂の向こうに、ようやく高専の入り口が見え始める。
「付き合ってもないのに」だなんて、そんな野暮なセリフを名前はどうしても言えなかった。世の中に星の数ほどいる優しいだけの男たちよりも、此方から言わないと歩幅も合わせてくれないような、決定的な言葉を口にしないまま自分を縛ってくるような、優しさだけを持ち合わせていないこの男のことを名前はずっと求めていた。木立の端で、日陰が途切れる。日向に晒されてなお、五条は名前の手を離さなかった。


「さっきのやっぱナシ」
「何が?」
「やめたら、じゃなくて、やめて。いくらお前が友達と思っててもさ、風呂上がりとかやっぱエロい目で見るよ」


見上げた五条の横顔は、やっぱりどこまでも無表情だった。白い髪と赤い耳のコントラストが、光る汗より目に眩しい。制服のシャツが肌に張り付いて、透けてはいないかと名前は急に心配になった。


「五条も私のこと、そういう目で見てるの」


意趣返しのつもりで口にした一言に、五条の動きが一瞬止まる。じっと見られているのを感じて、名前はただただ前だけを見据えていた。もうすぐ高専に着くはずなのに、繋いだ右手はまだ離れない。心臓の音が聞こえていやしないかと、それだけが気になってもう手汗どころではなかった。


「俺はずっとそういう目で見てる」


言うだけ言って前を向いてしまった五条が、これ以上口を開く様子はなかった。見知った景色に差し掛かっても、名前の体はまだまだ熱い。何となく悔しくなってしまって、気持ちのやり場がなくなってしまって、ぎゅっと力を込めた右手はそれ以上の力で応えるように握り返されてしまった。