――ピンポーン
「如月さんこんばんは! すき焼きしましょう!」
ある日の夕方、扉の先には笑顔の安室さんが立っていた。
「おじゃましまーす」
いつものように箱を押し付けあがりこんだ安室さんを見て、ありすは苦笑する。どうやら高級肉が手に入ったが、ひとりで食べるのはさみしいからということらしい。
「あー、でも、すき焼き用の野菜とか豆腐とか、色々と足りないですね…」
「じゃあ、買い物に行きましょう!」
冷蔵庫の中を覗き込むありすに、さあ、出かける準備してください!と安室は楽しそうに告げた。
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「まずは野菜ですね。白菜と白ねぎ、春菊に…如月さん?」
カートのなかをじっと見つめる彼女に気付き、安室は声を掛けた。何か嫌いなものでもあるのだろうか。
「…私、春菊、初めて見ました。春菊って、菊なんですか?」
不思議そうに問いかける姿に、彼女がつい最近まで日本にいなかったことを改めて思い出す。
「そうですね、確かキク科の植物だったかと。ちょっとクセがあるので、今回は辞めときましょうか」
苦味が強く、子供だけでなく大人でも苦手な人が多いのだ、彼女がそうであってもおかしくない。
安室がかごの中の春菊に手を伸ばすと、
「いえ、いいんです。食べてみたいです」
実はすごくおいしかったってこともありますから、あの時の肉じゃがみたいに。
如月さんはそう言ってにっこり笑った。
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野菜のほかに豆腐やしらたきを購入したふたりは、買い物袋をぶら下げて部屋へと戻る。ダイニングテーブルに並べだ食材を見て、ありすはさぁ、と腕まくりをした。
「さくさくっと切っちゃいますね!と言いたいところですが…安室さん、切り方教えて頂けますか?」
お店では一度食べたことあるんですけど、あんまり自信なくて…そう言って困ったように笑うありすに、安室は勿論、と笑顔で返した。
「では、僕は食材を切るので、如月さんは白滝の下茹でお願いできますか?そのままお湯で茹でてもらえばいいので」
「はい、わかりました」
手際よく料理を進める安室さん。男の人が料理してる姿ってなんかいいよなぁ…なんて考えながらありすは鍋に水をはりお湯を沸かす。
ボコボコと沸騰する鍋の蓋を開けようとして、指先に痛みが走った時は既に遅かった。
「熱っ…」
ありすの小さな悲鳴に気付いた直後、安室は具材を切る手を止めて彼女の左手を掴み、すぐに流水のなかに浸した。
取っ手を掴み損ねた中指の先が金属に触れて火傷したようだ。白い指にうっすら赤い筋が浮かび上がる様に、痕が残らないといいけれどなんて考えてしまう。
「す、すみません…ぼーっとしてました。ちょっとやけどした程度なので…」
「そうですか、でも痛みが引くまではこうしておいてください」
安室が掴んだ手を放そうとしたとき、ありすの左手親指の付け根に小さく灰色の何かがあるのに気付き、思わず上から撫でる。ひどく滲んでいるが、あえて読むとすれば | | |
× # だろうか?
「これは…」
「あぁ、これは痣?ですかね。物心ついたときからあるんです。これでも子供の頃はもっと濃かったんですよ。不思議ですよね、バツとか四角に見えるなんて」
そうか、最後の記号を□と読むのか…
「安室さん、どうかしました?」
「…あ、いえ、なんでもありませんよ」
気が付けば、如月さんに覗き込まれる形となっている。安室は慌てて考え込むのを中断し、何事もなかったかのように微笑んだ。
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「それにしてもいいお肉ですね。サシって言うんですか?この感じ」
「本当ですね、綺麗な霜降りだ」
準備を終えた安室とありすは、箱の中で丁寧に畳まれた肉を覗き込む。
「安室さん、おなかが空いてきちゃいました」
「そうですね、じゃあつくりましょうか」
安室が手慣れたようすで牛脂を引き、肉とネギを焼くと、ありすは「わー、美味しそうなお肉の匂い…」と、目の前の光景を身を乗り出して眺めている。割り下を注ぎ、他の野菜も加えたところを、目を輝かせて見守るありす。
「如月さん、卵溶いてますか?」
「ああっ、卵まだ冷蔵庫!!」
楽しそうなありすを見つめ、思わず安室に笑みが零れた。
「「いただきます」」
「さあ、如月さんお肉どうぞ?」
ありすはふつふつする鍋から肉を摘み、溶き卵にくぐらせて口へと運ぶ。
「…美味しい!」
お肉が甘くて柔らかくて、この溶ける感じ…それにこの味付けも絶妙!ありすは口いっぱいに広がる幸せに思わず目を細める。
「どうぞどうぞ、いっぱいありますよ」
如月さんにそんなに喜んでいただけるとは作り甲斐があります。そう言って、安室はまたニコリと笑った。
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安室はひとり自室に戻り写真を見つめる。笑顔の幼い自分と、隣に写る20代ぐらいの女性。名前は思い出せない。ただ、よく遊びに行っていた喫茶店でその女性がピアノを弾いていた姿と、微笑む顏だけが脳裏に浮かぶ。
写真の女性には、あの左手の痣はなかった。
メジルシ
一家にひとり、安室さん