夕日に染まる公園。
赤井が約束の場所へと歩みを進めると、すでにありすが待っていた。
「赤井さん。すみません、こんな所に呼び出したりして」
「いや、問題ない。しかし、話なら事務所でもよかったのでは?込み入った話ならなおさら安全なところがいい気もするが」
単純な疑問を問いかけてみる、他意は特になかった。すると、
「えぇ、ただ、みんなにはまだ知られたくなくて…」
今はまだちゃんと話せる自信がないので…そう言ってありすは俯き笑った。
******
夕日に伸びるありすの影。
「報告の前に少し、昔話をしていいですか」
赤井が促すと、ありすは静かに話し出す。
あるところに、逢坂かえでという女の子がいました。彼女は、父親と歳の離れた姉との3人暮らし、母親の影は物心ついたときから既になく、身の回りの世話はすべて姉が引き受けてくれていました。彼女は毎月父親の職場へ通い、そこで、採血、エコー、血圧、身長体重からはじまり、ありとあらゆるものを測定され、彼女はそれを当たり前のことだと思っていました。
そしてそれは5歳の夏。彼女が検査のために父親の元へ訪れた時に見たのは、黒服の男と父親が激しく言い争う姿。そしてその翌日の夜、父親である逢坂龍の研究室は全焼。父親はお弁当を届けた姉と共に2度と家へ戻ってくることはありませんでした。
DNA鑑定で焼け跡から発見された男性の遺体は少女との親子関係が認められました。その一方で女性の遺体は少女と限りなく近いとの判定…当時はDNA判定の精度の問題もあり、歯形等複合的な観点から姉と判定されています。
ただ、この事故には不可解な点が多く、結果として天涯孤独となった少女はFBIに保護され――
「名前を如月ありすと変え、5歳にして別の人生を歩み始めました。ここまでが前提です」
目の前で淡々と語るありす。そんなありすを、赤井はただ見つめる。
しかし、彼女の瞳から感情が表に現れることはなかった。
「逢坂龍がその少女を使って何か秘密裏に研究を行っていたこと、組織が逢坂龍の"何か”を欲しがっていたことが分かっていたので、今回東都大に潜り込みました。何度も捜査資料には目を通していたので、火事によって研究資料はおろか全ての記録は焼失し何も残ってない、と思っていたのですが…逢坂龍が生前親しくしていた、冠田清という男が研究に関するファイルを所有していました」
赤井はありすが差し出したファイルを受け取り、パラパラと捲る。複数のデータと所感がまとめてあるようだ。
「個別の値に関しては理解しかねるが…複数の個体の経過観察を記録したファイルということか」
「そうです、逢坂龍は20の個体をつくりました。そのうち成功したのはナンバー13のみ、そしてそれは…」
ありすはそう告げると再び目を伏せる。その姿が、赤井には何かと葛藤しているように見えた。
「赤井さん。私の左手、見たことあります?」
覚悟を決めたように、赤井の目の前にありすの左手が伸びる。これはIIIX#…いや、# XIII
すなわち『ナンバー13』――
「そうです。13番目で、5歳児の、逢坂かえでと呼ばれる女の子が、火事の前日8月19日に検査を受けています。つまり彼女は、逢坂龍が研究でつくりだした個体のひとつだと推測されます」
赤井さん、この実験が再現できたら、組織を釣れます――
そう言って目の前のありすは悲しそうに笑う。
「報告は以上か?」
「…はい」
「じゃあこの件は承知した。引き続き組織に存在を知られないように調査を進めてくれ」
赤井がそう告げると、ありすはこれでもかといわんばかりに目を見開いた。
「それってつまり…」
「ああ。お前を組織に接触させる訳にはいかない」
納得のいかないであろうありすは、赤井に掴みかからんとする勢いで食い下がる。
「どうして…!?組織から声を掛けられる化学者なんて、これ以上ない肩書じゃないですか!!私が潜入できたら皆、敵が討てるんですよ!?」
「だとしても、お前はあいつらに渡せない」
赤井の険しい眼差しと揺るぎない声を受け、ありすは赤井に対峙する姿勢を崩し、ただ俯く。
「…赤井さん、私こんなことでもしなきゃ、創られた意味、ないじゃないですか」
ありすの足元に、ひとつ、またひとつ滴が落ちる。
「だって、私、この世に居てはいけない存在です、倫理に反する方法で創られた姉の『コピー』です。赤井さん、コピーってなんの役に立つか知ってます?運がいい場合は観察対象者として檻のなかで生涯を終えることができる。そうでなければ…複数の個体でそれぞれ異なる試薬を投与されて観察――組織にとっては飛びぬけて好条件の『実験道具』ですよ」
ありすは零れる涙を拭おうともせず、目を閉じる。
ずっとずっと、父と姉が奪われたあの火事さえなければと思っていた。あの日さえなければ、組織が父に接触しなければ、今もずっと3人で平和に暮らせていた…そう思っていた。だからいつからか事件の真相を明らかにする事が生きる支えになっていた。けれど突きつけられたのは、あの火事によって初めて私は自由を手に入れられたという現実。皮肉なことに。
「…ありす、事実と推測を同列に考えるな」
赤井はため息を吐いて口を開く。黙って聞いていれば、この暴走だ。
「まずひとつ。少女の検査も左手の印も、研究記録についても、ありすの記憶から組み合わせてある程度整合が取れているのだろう。ただし、少女がお前の言う『コピー』かどうかは正確な検査をしてみないと確定できないので現時点では推測でしかない。火事現場から採取されたDNAで当時どこまで判別できたのかも不明だ。
それに、組織は火事によって逢坂龍と研究に関わるものすべてを焼失させたが、そこに少女は巻き込まれず、その後も消されていない。もし組織がその少女について知っていたら、間違いなく接触していただろう。
…何であろうと、お前は逢坂龍に、守られていたんだよ」
――私は父に守られていた?
『事実と推測を同列に考えるな』赤井さんの言葉を反芻する。
確かに父は仕事人間だった。平日も休日も関係なく研究室へと出かけ、家族に対して決してマメな父親ではなかった。データ取得を熱心に行っていたのも事実だが、同時に家族への愛情も感じていた。
手料理を美味しいと言ったときの、姉の笑顔。
玄関の鍵が開く音がして駆け寄ったときの、父の笑顔と抱きしめる太い腕、大きな胸。
確かにあの瞬間、私は幸せだった。
#13 涙の欠片
どうして忘れていたんだろう、幸せの瞬間を