炉のそばへ寄りなさい


「夏休みまでそろそろ一ヶ月半切りましたが、夏休み前には今年度の候補生<エクスワイア>認定試験があります。候補生に上がるとより専門的な実践訓練が待っているため、試験はそう容易くはありません。そこで来週から一週間試験の為の強化合宿を行います」

 参加するか否かと、取得希望称号<マイスター>を記入して月曜までに提出しなくてはならないらしい。涼は騎士と手騎士を見、シャーペンを唇に押当てて悩む素振りを見せる。相変わらず隣に居座る彰を見ると、彼も少し悩んでいるようだった。

「彰は称号どうするの」
「正直迷ってる。家系的には詠唱騎士とか手騎士だろうけど…正直向いてない気がすんだよな。それに、奥村先生とか映画みたく銃撃つのもかっけぇ」
「動機が不純」
「そういうお前はどうなんだよ」
「騎士か手騎士…かな。正直手騎士に関してはビビってる」

「う、わぁああ!!!」
「やめ…ッ!!止まれ、止まれぇえええ!!!」

「あん時の事、まだ気にしてんのか?」

 涼が何とも言えない顔で黙りこくると、彼は小さなため息をつきながらペンケースをごそごそしてボールペンを取り出す。ノックしてペン先を出すと勝手に涼の用紙の手騎士の項目にはっきりと丸をつけた。

「ちょ、彰っ 何勝手に…ッ」
「やれよ、折角授業受けてまともに才能生かせるようになれるチャンスがあるんだぜ」
「でも、また…」

 そん時はそん時だ。と彰は吐き捨て自分の用紙にある手騎士と竜騎士の項目に雑に丸をつける。雑すぎて少し円が角張っている。それを涼の眼前にちらつかせ、もう片方の手で銃の形を作る。

「先生もいる訳だから多分大丈夫だとは思うけど…何かあったら俺がお前を撃ち殺してやるよ」
「撃ち殺されるのは嫌…。痛いのも死体が汚いのも御免だもの」
「死体の心配かよ」

 心底呆れました、みたいな顔をしながら彰が口をへの字に曲げる。涼は机の上に置き去りにされている彰のボールペンを攫って、騎士の項目にも丸をつける。

「アンタが二つ取るって言うのに、この私が二つ取れない訳がないのよ」
「二兎を追う者は一兎をも得ずってことわざ知ってるか」
「青柿が熟柿弔うってことわざ知ってる?」

 涼はどんぐりの背比べのようなくだらないやり取りにフッと笑った。

 魔法円・印章術の授業にて、担当講師のネイガウスが床にチョークを使って正確な魔法円を記していく。二重円の中央に正方形の頂点に十字架が生えたようなマーク、その十字架の先に六芒星。六芒星等と45度ずらした円の外にまた六芒星。細かい文字や印章の記されたそれ。
 魔法円を踏んだりして図が崩壊すると効果が無効になってしまうので、生徒たちは一歩下がる。召喚には二つの要素が必要で、一つは自分の血液、もう一つは適切な呼びかけ。

テュポエウスとエキドナの息子よ 求めに応じ 出よ

 魔法円に現れたのは屍番犬<ナベリウス>だった。周囲に硫黄臭が立ちこめ、涼は柳眉を潜める。指名された彰が屍番犬について解説する。

「屍番犬は中級で、腐の王『アスタロト』の眷属です。古代の人々が複数の屍<グール>を繋ぎ合わせて対悪魔戦闘用に人為的に造り出した悪魔で、現在では人が飼育しきれなかった個体が野生化のようになっているケースが多く問題になっています。それから、今では新たに造り出すことは倫理的にも禁忌とされており、その技術も固く封印されています」
「その通りだ。そして、このように悪魔を召喚し使い魔にすることが出来る人間は非常に少ない。悪魔を飼い慣らす強靭な精神力もそうだが、天性の才能が不可欠だからだ」

 そのテストとして、ネイガウス先生は小さな紙に書かれた、床に記されている魔法円の略図をまち針と一緒に配った。自分の血を垂らし、思いつく言葉を唱えろと命じる。

稲荷神<いなりのかみ>に恐<かしこ>み恐み白<もう>す 為す所の願いとして成就せずということなし

 長い髪をツインテールに結わく少女 神木出雲が両手にそれぞれ魔法円の略図を持ってそう唱えると白狐が二体飛び出してきた。賞賛する周囲に彼女は自分は巫女の血統だから当然だと答える。ネイガウス先生すらも二体もの白狐を呼び出したことを讃えた。

天地<あめつち> 風天 降り給ひ 是<これ>に宿りて 貫かむ
あはりや あそばすともうさぬ あさくらに 十二天将が天后 降りましませ

 涼は黒い聖銀製の骨組みに黒いレースの張られた扇子を閉じたまま構え、唱える。詠唱が終わって閉じたままのそれを地面に向けて振り下ろすとぶわりと風が舞って氣精<シルフ>が現れる。彰も祝詞を唱え、彼の家系である陰陽道にまつわる十二天将が一人の天后<てんこう>を召喚した。

「氣精に天后か…!素晴らしいぞ月峰涼、朝比奈彰!」
「神木さんも神社の娘なんだな。俺たちも神主 巫女の家系なんだ」
「って言っても神木さんちみたいに日本古来の神道の神社じゃなくて、彰が陰陽道 私が神仏習合以降の神社だから、同じ神道にしたら失礼に当たるけどね」
「稲荷神は昔から日本で信仰されてきたし?ウチの神社はかなり歴史もあるし規模も大きいのよ」

 ふふん、と自信満々な神木さん。大好きな月峰涼にヨイショされたのもあってご満悦なようだ。一方の涼はそんな彼女に苦笑しつつ、京都三人組と話していた。そういえば彼らは明陀宗という仏教の門徒らしいし、涼の神社の本尊である毘沙門天は仏教の神なのでシンパシーを感じたのだろう。
 その後杜山さんが緑男<グリーンマン>の幼生を呼び出して、神木さんに自慢とも思えるアピールをしたり、神木さんのあからさまな嫌味を褒め言葉と履き違えて喜んだり、お友だち宣言(彰命名)をして神木さんのパシリになったり。色々な事があった後涼たちは一度それぞれ寮に戻って荷物を取って旧男子寮に集合した。
 旧男子寮は廃虚のホテルのような風貌で、涼は思わず顔をしかめる。それを彰がチンクシャだとからかったが、涼は潔癖なところがあるので仕方ないだろう。これでお風呂やベッドも汚かったら死ぬほど嫌だ。

「…はい、終了。プリントを裏にして回して下さい」

 小テストが終わった。中々難しい問題が多く、一応頭脳組に入る涼も少しばかりぐったりとする。リフレッシュしたくて、そのままグダグダしそうだったみんなを置いて立ち上がる。

「どこ行くんだよ」
「お風呂。あ、覗いたら刻むから」
「刻むってなぁ…お前」
「わ、私たちも!朴 行こ!」

 おそらく神木さんは涼のファンだ。涼がモデルを務める雑誌の付録も持っていたし、彼女の物小物の類いはその雑誌のテイストとマッチしていた。だからなのか別に話すような仲でもないのに彼女は自分の友だちを巻き添えにして着いてくる。
 そこはどうでもいいのだが、杜山さん(一方的に友だちと思って利用しているだけ)との関係を見ているのは胸くそが悪かった。所詮は他人事、涼には関係のないこと。何故涼が彼女たちに合わせたりしなければならないのか。そう思うと涼は一人で勝手にお風呂に入ろうと思って、足を速めて脱衣所に向かう。

(あ、ごめん。ちょっと待っててくれる?)
(え…?どうして?)
(だってあたしあんたに裸見られたくないんだもん。そういうの"友達"なんだから判ってよ)
(!?)
(あ、でもずっと待たすのも悪いからフルーツ牛乳買ってきて。お風呂上がったら飲みたいから)
(…出雲ちゃん、あの子に酷くない…?)


あとがき等
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