肌と熱が引き止める


 バスタオルを湯船の縁に置いて湯船につかる。結んでいた髪の毛を解いたので水面に波打つそれが浮かんだ。水面に映る涼の顔はとても整っていた。
 涼はモデルをしているだけあって優れた容姿をしている。それは当たり前だが、モデルを始める前から変わらぬもので、小学校の頃は特にちやほやされていた。涼にとって容姿を褒められるのは当たり前のことで、取り巻きが居るのも当然だった。
 小学校で涼が着た服は、コーディネートは、使っている筆記用具や小物に至るまで、全てマネをする子が居た。席替えをすると決まれば男の子たちはこぞって涼の隣になりたがったし、隣になった者は舞い上がってむしろ何も話さなかったり。男女共に涼を崇拝していた。

"涼ってホントかわいいよね"
"やった、俺涼の隣だ!"
"この学校で一番かわいいのは涼で決まりっしょ"

 涼は必然的に高飛車な性格になったが、それすらも許された。むしろ高慢だが自分を貫く涼を、幼心にも尊敬を覚えたのだろう。会話を振られれば笑顔で応じるし、運動も出来えて、いつもみんなの中心に居た涼。
 そんな涼が杜山さんの気持ちが分かるだろうか。今まで顎で取り巻きをこき使っていたような人間だ。今の神木さんと同類である。この件に涼が関わるのは余計荒波を立てるだけだと思った。

「きゃああああ!!!」

 叫び声が上がった。そこには屍番犬が居た。屍番犬は体液を朴に垂らし、魔障を与えていた。屍<グール>系の悪魔の魔障は火傷のような魔障で、すぐに適切な処置をしなければ壊死してしまう。涼は反射的に立ち上がってバスタオルを巻き付け、戦う支度をしようとするが手元に武器がないのを思い出してそのまま固まる。

「神木さん!はやく奥村先生を呼ばないと朴さんの腕壊死するわよ!!?」
稲荷神に恐み恐み白す 為す所の願いとして成就せずと言うことなし
「戦って勝てる相手な訳ないでしょう!?さっさと先生呼べよ!?友達なんでしょう!?」
「友達だから、私が助けるのよ…!!」

 その時神木さんの頭によぎったのは先程朴さんが言ったばかりの言葉だった。

"私 塾はやめようと思う"
"ううん、そんなのおかしいよ"
"真剣な人をバカにしたりするの、私は好きじゃない"
"急にごめんね"
"そんなの本当の友達じゃないよね…"

 神木さんの心は揺らぐ。手騎士に欠かせないのは悪魔に屈しない精神力と、絶対的な自信。それを失った神木さんは呼び出した使い魔の白狐二体に逆に襲われる。涼も神木さんが無事でないと目を背けようとしたとき、割り込んできた影が白狐をなぐって、神木さんに紙を破くよう怒鳴りつける。
 魔法円が破綻したことにより使い魔は消え失せ、そこには呆然と座り込む神木さんと、立ち尽くす涼と、屍番犬に立ちはだかる奥村燐の姿があった。

「燐!」

 そこに現れたのは意外なことに杜山さんだった。杜山さんは倒れる朴さんに駆け寄って、燐に屍番犬を引きつけるよう言い放つ。そこにはニコニコして能天気な杜山さんはいなかった。杜山さんは使い魔の緑男からアロエを得ると応急処置を施し始める。
 一方その頃、屍番犬の相手を押し付けられた奥村燐は袋に入れたままの剣で叩き付ける。しかし、反撃に合い頭を掴まれ投げられ、仕切りのガラス戸をぶち破って洗い場に入ってくる。

「きゃああ!!」

 細かいガラスが涼身体に降り注ぎ、咄嗟に顔を守るようにガードする。容赦なくガラスを被った涼は小さな傷だらけになるが、屍番犬がすぐ傍に居る状況では痛がる素振りも出来なかった。武器もない、逃げ道もガラスが散らばってとても歩けない、どうしよう。今屍番犬は奥村燐のマウントをとって首を締め上げている。恐怖に竦んだ涼はそこから動くことも出来なかった。
 その時響いたのは銃声。奥村先生の到着を知らせるものだった。屍番犬は聖弾の攻撃を受けて、涼を飛び越えて浴槽の上にあった天窓から逃げ果せた。

「涼!!」
「あ、彰…」

 彰は靴を履いたままで、ガラスの散らばる洗い場へ入ってくる。涼の肩を掴んで無事かと問う彰の表情は必死そのもので、涼は今更ながらに震えながら頷く。その反応を受けて彰は安心したのか、ため息をついてあからさまにホッとしてみせる。彰はワイシャツを脱いで涼に羽織らせると、膝裏に手を遣って横抱きにする。

「重いって言ったらぶん殴るから」
「言わねぇよ」

 細かい傷には僅かに血が滲んでおり、ワイシャツに小さな赤いシミを作った。朴さんを診終わった奥村先生が涼を診にやってくる。

「私はガラス被っただけなので、魔障は受けていません」
「軽傷で何よりです。髪の毛にもガラスが混じっているので、後で丁寧に取ってもらって下さい。傷はどれも浅そうなのですぐにかさぶたになるでしょう」
「痕は残りそうですか?」
「この程度なら問題ありません。ただ、かさぶたを取ったり傷口をいじらないようにして下さいね」

 涼は杜山さんの手を借りて全身に出来た傷に薬を塗り、服を着る。髪の毛は彰を中心に男の子たちが大きめのタライにお湯を張ってくれたようで、彼らの手によって頭を洗われながら全てガラスを払った。

「勝呂くんも三輪くんも志摩くんもありがとうね」
「いや、俺らはお湯変えるの手伝っとるだけやし、気にせんで」
「にしても大事なくて良かったわぁ」
「にしてもバスタオル一枚とかだぼだぼのシャツとかホンマごちそうさんです〜」
「志摩くんへのお礼は取り消すわ。勝呂くん私の代わりに殴ってくれる?」
「おう、任しとけ」
「ちょっ、んな殺生なぁ」

(お前らちょい静かにしろ)
(あれま、寝てもうたん?)
(長いこと屍番犬と居て神経すり遣らしてたんだろ)
(そりゃあ仕方あらへんな)
(寝顔をかわええ…)
(志摩…)
(志摩さん…)


あとがき等
ALICE+