候補生昇格試験

「詠唱で倒す!」

 慌てたように志摩が言う。志摩の言う通り、闇雲に聖書や経を唱えても無駄なのだ。悪魔というのは判明していないものも居るが、致死説という唱えれば死に至る言葉を持っている。それを的確に唱えなければ意味がないのだ。

「坊、でもアイツの "致死説" 知らんでしょ!?」
「…知らんけど屍系の悪魔は "ヨハネ伝福音書" に致死説が集中しとる。俺はもう丸暗記しとるから…全部詠唱すればどっかに当たるやろ!」
「全部?二十章以上ありますよ!?」
「…二十一章です…。僕は一章から十章までは暗記してます。手伝わせて下さい」

 志摩がぎょっとした顔で三輪を見る。勝呂はほっとした表情を見せており、心強く思っているようだった。そこに水を差したのは神木だった。

「ちょっと、ま 待ちなさいよ!詠唱始めたら集中的に狙われるわよ!?」
「言うてる場合か!女こないになっとって男がボケェーッとしとられへんやろ!」

 勝呂がビシィ!と指差す先には体液を被ってもなお使い魔を使い続ける杜山の姿。杜山は体力を消費している分他よりも息も荒く辛そうだ。それにフッと笑って同意するのは志摩で、勝呂を流石男だと讃えながら開けていたワイシャツの脇から何かを取り出す。それは組み立てられると錫杖になり、勝呂も「おお!仕込んどったか!」と珍しく褒める。

「無謀よ!」
「…さっきまで気ィ強いことばっか言っとったくせに、いざとなったら逃げ腰か!戦わんなら引っ込んどけ!」

 流石の神木も口を閉じる。勝呂と三輪はそれぞれ集中するため、座禅を組んだり正座したりして目を閉じる。その傍では志摩がいざとなったときの為に援護できるよう、錫杖を構えていた。

太初<はじめ>に言<ことば>ありき!
此<ここ>に病める者あり…!

 三輪は一章から十章まで、割り振られた分を唱え終えた。しかし屍の勢いは弱まらず、いよいよ目の前に迫っていた。勝呂は最終章である二十一章に入っており、これが外れたらとんでもないことになる。そんな中でも三輪と志摩は自分勝手に飛び出していった奥村を案じていた。
 その時、座っていた杜山がどさりと倒れ込む。その瞬間消えるバリケード。神木はそんな彼女に駆け寄る。志摩はしっかり援護を務めるため、錫杖を屍の鎖骨付近に突き立てるが、効いていないようだった。それ以上に錫杖を脇へ放られてしまい、下がる他ない。

稲荷神<いなりのかみ>に恐み恐み白す…!為す所の願いとして成就せずということなし!
〈汝<うぬ>め…また性懲りもなく呼び出しおったか…身の程を知れと…〉
あたしに従え!

 屍の手が勝呂に迫る。神木は祝詞を唱え始める。

ふるえ ゆらゆらとふるえ…靈<たまゆら>の祓!!!

 神木と白狐の攻撃は効いたように見えたが、一瞬怯ませた程度だった。その時、屍が唸る。

〈コロ ス 〉

 その言葉が聞こえてから千景が動くのは速かった。勝呂の頭を鷲掴みにしていた腕を千景は久しく具現させた刀で斬り落とす。

「明らかに知能が低そうな見た目でしたが、まさか喋れるとは思いませんでした」

 仲間を守るように千景は立ちふさがるが、とうの本人の顔は輝いておりそれを全員不気味に感じていた。千景は刀を持っていない左手で屍を殴りつける。屍は部屋の端まで飛んで壁にめり込む。一瞬で距離を詰めた千景が刀を月明かりに浮かぶ屍の影に突き刺す。

「さぁて…長い夜の始まりです」

 千景は皇家で教えられた秘術をぶつぶつと呟いて屍に痛みを与える。この術は元々捕まえた吸血鬼から情報を聞き出す為に多用されていたものだ。千景は術の合間に屍に問いかける。吸血鬼はどこかと。その表所は恍惚としていて、純粋な一同は揃って千景の狂気にあてられてすくみ上がる。

〈シラナ イ〉
「素直に答えた方が身の為ですよ。貴方も死にたくないでしょう」
〈シ ナナイ 〉
「死にますよ。私の手にかかれば。それこそ一瞬で。さあ、大人しく吐いて下さいますか」

 屍がグォォォ、と啼いた。千景は目を細める。勝呂の詠唱は、いつの間にか途中で止まってしまっていた。消えていた電気が点いたが、それはタイミングが悪かった。千景の表情も、何もかもが明るみに晒されるからだ。一同は時が止まってしまったように固まって動けなかった。

「残念です」

 千景が言う。千景が刀を抜く。その瞬間腕を振り上げ襲おうとする屍。全員千景の動きに注視していたのに、千景が斬った瞬間を見られなかった。気付いたときには斬られて消滅する屍と、刀を鞘に納める千景の姿があった。
 しばらく時が凍ってしまったように、音もなく呆然としていた。そこにやって来たのは良い笑顔の奥村だった。彼はもう一匹は倒した!と言って二カッと笑う。腰が抜けていた勝呂がたまらずラリアットを繰り出す。それを皮切りに全員の硬直が解けた。

「何すんだよ、勝呂!」
「俺の台詞や!なんなんやお前!」
「ってか、それがお前の剣なのか!めっちゃカッケー!」
「剣というより刀ですけど…」

 そんな中奥村先生がネイガウス先生を引き連れて帰ってきた。そう言えばネイガウス先生の使い魔は屍系だったような、と千景が考えていると、奥村声を上げる。

「ゆ、雪男。そいつてきング!!?」
「おや、失敬☆」

 何かを言いかけた奥村の丁度真上の天井板が外れて理事長のメフィストが現れる。

「この理事長<わたし>が中級以上の悪魔の侵入を許すわけがないでしょう!」

 理事長がぱちんと指を鳴らすと、部屋の天井、押入れ、床下 といった至る所から先生が現れる。理事長の指示に従って医工騎士の称号をもつ先生は生徒の手当に当たる。

「そう!なんと!この強化合宿は候補生認定試験を兼ねたものだったのです!合宿中はそこかしこに先生方を審査員として配置し、皆さんを細かく審査<テスト>していました。これから先生方の報告書を読んでが合否を最終決定します。明日の発表を楽しみにしていて下さいネ☆」

 所変わって正十字騎士團の医務室にて。悔しそうに奥村が騒いだ。全員がまさか抜き打ちテストだっただなんて、と思っただろうが、千景は妙に納得してしまった。それぞれ祓魔師に本気でなりたいようで、自分はダメだったと頭を抱えている。その会話に入ってきたのは意外にも神木で、フォローをしている。

「あんた達は大丈夫でしょ。奥村先生は試験前、チームワークについて強く念を押していたわ。つまり候補生に求められる素質は "実戦下での協調性" …それで言うとあたしは最低だけどね」
「お前はまだ全然マシやろ。あいつらなんか完全に外野決め込んどったんやぞ…!なんか言う事ないんか、え!?」

 これまた珍しく神木のフォローをする勝呂は、その怒りの矛先を山田と宝に向ける。無視を決め込む山田に腹話術でとんでもない悪態をつく宝。そんな二人に勝呂は青筋を立てるが、騒がしかったせいで力尽きて眠っていた杜山が起きてしまった。まだ弱々しいが、顔色は大分良い。

「ねえ、アンタ。アンタって、一体何者なの…?アンタもよ、奥村。たかが訓練生がサポートなしで剣だけで中級の悪魔をどうこうするなんて…」
「…私は皇千景です。前世はこことは別の世界で吸血鬼と戦っていました。この世界で最初に魔障を受けた時、前世の記憶を思い出し、人格も取り戻しました。この武器…乙夜女<いつやめ>はその時から使っているものです」
「乙夜女…」
「乙夜女は鬼呪装備<きじゅそうび>の等級の中でも最も高い黒鬼シリーズの内の一つです。鬼呪装備の所有者は吸血鬼と対抗できるよう、通常の人間の約七倍の身体能力を発揮する事が可能です」
「七倍…!?そんなんやったら、吸血鬼も簡単に…」
「三チーム15名の小隊で任務に当たりました。吸血鬼の拠点の制圧の為に。その段階で犠牲者は8名でした」
「半数以上やないか…」
「その後私たちは次の任務には参加せず、集合場所で待機し、他の部隊と合流し次第 再合流する場所を伝える事を任されました。そこへ、もう一部隊やってきました。彼らの犠牲者は10名です。そしてそこへ、貴族ではないですが非常に優れた力を持つ吸血鬼三名とその部隊によって、全滅しました」

 「全滅と言っても、殲滅されたのではなく自害したのですけど」 その言葉はあえて言わなかった。言ったらきっと、彼らはみんな千景を責めるだろう。

「吸血鬼は人間の七倍以上の身体能力があります。回復力も甚大です。人間が家畜同然に扱われた世界で、私は抗って、戦って、生きてきたんです。吸血鬼を憎み、恨み、殺す事だけを考えて。強くて当然でしょう。あの程度では吸血鬼の足元にも及びません」

 静かに語る千景の瞳には憎しみの炎が苛烈に燃えていた。神木は囀石を膝に乗っけていた時、千景に諭された事を思い出した。きっと、千景の仲間は死んで、千景はその遺体に手を合わせたりする暇もなく戦っていたのだ。置き去りにされた遺体は、そのまま風雨にさらされ、独り寂しく誰にも知られずに朽ちていく。それを目の当たりにした千景のあの目は、静かで暗くて、よく見えなかった。でもそれがかえってものを語っている気がした。
 ごめんなさい、気付いた時にはそう口走っていた。普段ならそんな謝罪の言葉、すぐに出てこない。千景は少し面食らった後、ふわりと笑う。何で、何で笑えるの。

「気にしないで下さい。そういう世界もあるということを、知って欲しかっただけの事ですから。…人間は、案外孤独に耐えられない、弱い生き物ですよ」

 そして次の日、全員の候補生昇格が理事長より言い渡された。



あとがき
荒廃した世界では普通だった拷問だとか、戦うということ。それがこの世界では異常で浮いていて忌避されるものだと分かる話だったと思います。
最後のセリフは、悲しさばかりの世界でヒロインは人間がいかに弱い生き物であるか、そして例外なく自分自身も当てはまることを理解したからこそ、言えたことだと思います。ああいう世界って子供を大人にさせて、達観させると思うんです。

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