お料理のちオニゴト

 あの日の後、奥村君は何事もなかったかのように学校に来た。元々授業は寝ていることが大半な彼だが、どうやら思いふけっているらしい。しかし最後には結局寝るのだから千景は先に祓魔塾へ向かった。そして、そこで待っていたのは山田と名乗っていた女性で、彼女は霧隠シュラ。ネイガウス先生に代わって魔法円・印章術、そして剣技の担当教諭に就任した。しかも「あの」ヴァチカン支部から移動してきた上一級祓魔師。かなりの実力者だ。
 そうしてしばらく経って、学園の定期試験も終わったのでもう夏休みになる。祓魔塾生である千景には夏休みなどなく、いきなり終業式が終わり次第「正十字学園中腹駅」に集合ということになっていた。この此花千景の両親には申し訳ないが、帰省できないことは伝えてある。嘘をつくのは心苦しいが、悪魔などと言えば千景は間違いなく心療内科に送り込まれるだろう。しょうがないのだ。
 集合場所に着くとそこには既に奥村先生と霧隠先生の姿があった。これから行われるのは「林間合宿」と称している、学園森林区域にて3日間実践訓練が行われる。戦闘は昇格試験ぶりになるので、千景は肩を温めるためぐるぐるほぐす。

 正十字学園の最下部に森林区域はある。はじめのうちはぬかるみにはまらないよう木の道が続いていたが、それはすぐになくなってしまう。しかし人間の倍以上の身体能力を有する千景は男子ですら悲鳴を上げる重い荷物を軽々と、涼しい顔で持ってもくもくと歩く。そのスピードは全く変わっていない。
 ちなみにそれは奥村にも言えることだが、彼は志摩に「体力宇宙」と称されるほどの男である。そういった身体能力が取り柄でもあるし、まあそういうものなのだろう。
 野営地に到着してからは、女子は悪魔よけの魔方陣を書き、男子はテントを張っていた。慎重にコンパスや紐を使って測量し、ペンキでなどっていく。複雑な魔法円は間違ったり線を消してしまえば効果を失ってしまう。拠点があるかないかでは戦況は大きく変わる。気の抜けない作業だった。
 それが終わると夕暮れで、これから悪魔たちが活発になる夜がやってくる。魔法円の中でまずは腹ごしらえをするそうで、また男女に別れて作業をすることになる。女子はカレー作り、男子は火おこしだ。
 ところで千景は料理というものをあまりしない。というか、むしろしたことがない。カレーというものがどういうものでどういう味なのかは知っていても、前世では食より修行・戦闘であったし、現在は実家が鎌倉のお金持ちなので料理はシェフが行っていた。到底千景が料理をできるような環境ではなかったのだ。ちらりと神木を見ると包丁で手を切っているし、しえみはそもそもカレーというものがどういうものなのかピンと来ていないようだった。

「…誰か、助けてください」
「あんだよ」
「この惨状をご覧ください。そして私、料理したことありません」
「ええええ!?俺がやるから、お前らはサラダな!」

 サラダは野菜を手で切るだけだ。ドレッシングも出来合いのものを用意してある。余った時間で千景は奥村の手つきをじっくりと観察していた。でこぼこしたじゃがいもも、細長い人参も、しゅるしゅると鮮やかな手つきで皮をむかれていく。ごみの皮を手に取ってみると、とても薄い。たまねぎは切っていると涙が出てきたが、奥村はそれすら慣れた様子で手早くリズミカルに切っていった。サラダ油をしいた鍋に肉と玉ねぎを入れ、続いて先に軽く茹でておいたじゃがいもと人参。この二つは火が通りにくいのでそうした方が早くできるらしい。サッと炒めて水を入れて、しばらく煮込みながら灰汁をとって、ルーを溶かす。
 ふわりと嗅ぎ慣れた懐かしい匂いがかおる。食欲をそそる匂いに千景は頬を緩ませる。

「お、笑った。カレー好きなん?」
「自分が不愛想で、鉄仮面なのは重々承知しているのですが…どうしても上手く感情を表に出せなくて」
「奥村とは真逆やな、真逆」
「ちなみに…カレーをそこまで味わって食べたことがないというか…栄養があって、食べられれば味なんてどうでもよかったので…」
「それはもったいねぇよ!絶対俺が上手いってうならせてやる!」

 出来上がったカレーを口に運ぶと、ルーだけの味付けだけではなく、少しアレンジを効かせた味がした。千景が珍しく微笑を浮かべて「おいしいです」と素直に感想を述べれば、奥村は照れたように笑った。
 夕食を食べ終えた一行は奥村先生から訓練の内容が説明される。彼の隣で茶々を入れる霧隠先生は、ビールを片手に頬を上気させて出来上がっている。そこで思わずぶち切れた奥村先生が、口悪く怒るという素を垣間見せた。

「これから皆さんにはこの拠点から四方散り散りに出発してもらい、この森の何処かにある提灯に火を点けて戻ってきてもらいます。更に提灯は特殊に出来ていて、火を点ければ拠点からすぐ判るようになっています。拠点近くまで来てから点けた場合は失格<リタイア>。途中で消えてしまった場合も失格<リタイア>。花火を使ったギブアップももちろん<リタイア>。各自が自分の能力を最大限に使うことを考えるのがクリアへの一番の近道です!」

 3日間の合宿期間内に森の何処かにある提灯を拠点まで持ち帰ればクリア。クリアすれば実践任務の参加資格が与えられる。ただし提灯は4つだけ。提灯は拠点から半径500m先の何処か。配布されたショルダーバッグには生活用品の他に夜道を進むための用具と魔よけの花火・マッチが1つずつある。
 千景は説明の間も悪魔図鑑を見ていた。下調べによればこの森は夜は地の王 アマイモンの配下の下級悪魔がはびこっているそうだ。その中を切り抜けて、4枠しかない実践任務の参加資格を手に入れなければ祓魔師にはなれない。そして、提灯に該当する悪魔で、候補生にも扱えるものとなると…恐らくは化灯篭<ペグランタン>だろう。夜に人が火を灯すのを待ち構えて、火が灯ると動き出して生き物を燃料にする。しかも好物は女。燃料が尽きるか朝になると動かなくなる、という悪魔。
 魔法円の淵に並んで奥村先生の合図で走り出す。ライトを点けていたのですぐに血吸い蛾の類…虫豸<チューチ>が群がる。千景は乙夜女<いつやめ>を顕現させて、にやりと笑う。

「影の多い夜は、この子の独壇場です」

 乙夜女を影に刺せば群れの動きは止まる。その隙に覚えたばかりの詠唱だ。

「汝 汝の代にて神の御旨<みむね>を行い 終<しま>い眠りて先祖たちと共に置かれ かつ朽腐<くされ>に帰<き>せざらむべし!」

 虫豸が滅される。これ以上おびき寄せないようにライトを消し、千景は闇の中に佇む。地面に刺してあった乙夜女の柄を握り、強く握りしめて念じる。影の女王とも謳われる乙夜女の支配力は半端ではない。拠点から500m先に四つの化灯篭…おそらく東西南北に設置されているはずだ。近くにあるであろう波動を探る。

「見つけた」

 千景は乙夜女が影を伸ばして捕らえた化灯篭に向かって一直線に走り出す。手に持つ乙夜女と化灯篭が結ばれたひと際濃い影をたどっていけば、500m先なのであっという間に着いた。マッチを擦って化灯篭に灯す。化灯篭は起きて千景を視界にいれると楽しそうに千景を食おうと迫ってくる。
 千景は不敵な笑みを浮かべて元の道に戻る。化灯篭は人間よりか早いが、人間の7倍の身体能力を持つ千景には追いつけない。圧倒的に千景が優勢な鬼ごっこで、上手く拠点までリードする。化灯篭に火が点いているので、勝手に虫豸が集まって、勝手に化灯篭がそれらを捕らえて食っているので途中で火が消えてしまうこともない。視界に群がる虫豸を切り伏せながら進んだ。

 小さな崖をジャンプして拠点の周りの木の枝にワンクッションを置き、魔法円の中に着地する。化灯篭は千景目掛けて攻撃力の高そうなジャンプをしてくるが、その下には化灯篭の影がある。千景の思惑通りに事は運んだ。千景は乙夜女を化灯篭の影に差して動きを封じ、任務は遂行だ。
 あっという間に帰ってきた千景に霧隠先生と奥村先生が目を丸くしたが、すぐに「一着ですね。ルール通りですし、合格です!」とお言葉を賜った。



あとがき
乙夜女の能力は影の支配です。
影を刺せば影を縛り、動きを拘束したり。影の中にあるものを知覚したり。ナルトのシカマルのように影を紐のように実体化させて縛ったりもできる設定です。
攻撃方法はまだ考えていませんが、結構カッコいい設定をあげられたと思っています。

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