青い炎

 あの後すぐに宝がやってきた。パペットのウサギが千景を一瞥して舌打ちを一つ。そして、その一時間後にたくさんの白狐を従えた神木が到着した。さっきから森の方でドタバタ音がしているので、奥村・勝呂・三輪・志摩・杜山はあそこにいるのだと思う。そういえば花火が上がって奥村先生が救助に行ったが、どうなったのだろう。
 時刻は約四時。夏なのでそろそろ空が白んでくる頃だ。全員揃った所(奥村先生はどこに行ったのだろう)で、拠点内に話し声がして明るく色付いてきた。それに水を差すような、大物の気配がした。千景は乙夜女を化灯篭の影から抜いて、化灯篭を両断する。そして「ひゅーーすたっ」と間抜けな効果音を口で言いながら降りてきた男。奴の放ったペットらしきベヒモスという鬼を放つ。ダッと前傾に駆けだした千景が迎え撃って、影を押し固めた攻撃を一太刀食らわせる。霧隠先生も抜刀して攻撃を親玉に食らわせる。

「お見事」

 上機嫌で満足げに霧隠先生が千景を称賛する。そして、指笛を吹くと魔法円の中に仕込んでいた蛇が動き回り、魔法円の真の力を発揮される。魔法円が光って、悪魔二体を退けた。

「魔法円を描いた時に中にいた者は守られ、それ以外を一切弾く絶対障壁だ。まあ、しばらくは安全だろ」

 あまりの事態に戸惑うしかできない候補生たちに、霧隠先生は告げる。

「訓練は終了だ。今からアマイモンの襲撃に備えるぞ」

 CCC<トリプルシー>濃度の聖水で重防御がなされる。ポリタンクの中身を千景たちにぶっかける中、奥村には掛けなかった。「元始<はじめ>に神 天地を創造<つく>り給えり」と刀印で十字に切って防御は完了らしい。聖水が乾くまでの間だけだが、それなりの防御力があるのは分かった。聖水を被るだけならかなり手頃だ。覚えておこう、と思いながら、千景は乙夜女を強く握った。

「おいおいおいおい!」
「しえみっ!?」
「誰か止めろ!」

 霧隠先生の指示は遅かった。杜山は自ら絶対障壁の外へ出てしまった。髪の毛のよけられた首筋が不自然にうごめく。アマイモン曰く、虫豸の雌蛾に卵を産みつけさせたらしい。いわば寄生虫で、卵が孵化して神経に寄生しているらしい。杜山はアマイモンの言いなりになっている。
 アマイモンが「びょーん」と言いながら飛び上がって杜山を連れ去る。奥村が取り戻そうと障壁の外に出るが、立ちはだかるのはペットの鬼。千景の太刀に頭に血が上っているらしく、酷く獰猛だ。思わずひるんだ奥村の前に霧隠先生が出て戦闘が始まる。

「行け!アタシも後を追う!」

 霧隠先生が奥村に渡したのは、最近見る機会の少なかった奥村の刀だ。奥村はそれを受け取って、走り出す。障壁の中に残る候補生が奥村を呼ぶが、奥村は振り返らずそのまま行ってしまった。霧隠先生は「お前らは死んでもその障壁から出るなよ!おもりは千景に任せる!人命が最優先だ!」と言い残して戦いの場所を変えてしまった。
 勝呂が外に出ようとする。それに続いて志摩と三輪も。千景は三人の影を縛った。

「何するんや自分!」
「落ち着いてください、勝呂君」
「落ち着いてなんかいられるか!」
「貴方のような足手まといが行ってどうにかなる相手ですか。八候王の<バール>の1人、アマイモンですよ」
「そんなもん知らん!俺はアイツに…奥村に一言言わんと気がスマンのや!!」
「貴方の勝手な行いで、志摩くんや三輪くんも巻き込まれて死ぬかもしれないんですよ」

 完全に頭に血が上っている勝呂には何を言っても無駄だと千景は悟った。背後で神木が震える声で言う。「嘘でしょ」「殺されるわよ」「あたしはこんな所で死ねないのよ」と。その声は見捨てられない、それでもそうしなければならない。そう言っているように思えた。神木は大丈夫だろう。
 千景は乙夜女を影から抜いた。体の自由を取り戻した三人が、走り出す。ちょっと!と神木は千景につかみかからんばかりの剣幕で詰め寄る。

「ああいうバカは、自分の無力を一度思い知った方が良いんです。大丈夫、多少怪我はしてもらいますが、命に別状はないレベルです」
「あんた…」
「神木さんは大丈夫ですよね。…私は貴方くらい慎重な方が好きです。でも…男の子ってバカでどうしようもなくて仕方がないから」
「〜〜〜〜っっっ!!」

 神木は命の重さを分かってる。無鉄砲に命を懸けたりしない。だから、障壁の中に残っていてくれる。千景にはその確信があった。千景はすっと森の木々がなぎ倒されていくのを見た。さあ、久方ぶりに、全力の戦いだ。
 千景が到着した時、奥村は瓦礫の中で這いつくばっていて、三人が魔除けの花火で応戦している。そして、志摩がアマイモンに蹴られて木の幹に叩きつけられ戦闘不能・三輪が勝呂を庇い腕を折られて戦闘不能・勝呂がアマイモンに首を絞められ絶体絶命になって、ようやく動き出す。

「また邪魔ですか」

 首を絞める腕に向けて振り下ろした刀。勝呂はポイっと投げ出されてその辺に転がる。アマイモンはひらりと軽い身のこなしだ。千景は見定める。正直一人きりでは到底勝てない相手だ。足に問題がないのは勝呂と三輪、奥村。志摩はあの様子では肋骨がいっているはずだ。走るのは厳しいだろう。ならば、乙夜女で影を縛って、その隙に逃げてもらうのが一番だ。しかし一つ問題がある。乙夜女の拘束力は絶対ではない。千景の力量が影響している。アマイモンの本気というのがどれほどのものなのか分からないが、千景を上回ったその時は…千景は死ぬだろう。

「…吸血鬼のお知り合いは居ますか」
「質問に質問で返すのはマナー違反です」
「そうです。邪魔者です」
「なら排除しなくては」
「質問に答えたのですから、私の質問にも答えて欲しいものですねっ!!」

 アマイモンの爪を刀で受け止める。凄まじいパワーだ。千景の足元にぴしりとヒビが走った。このままでは地面に埋まる。重圧をいなして、間髪入れず蹴りを繰り出す。腕で防御されたが、少しの間合いはとれた。
 と思ったらアマイモンが消えて、気付けば背後に気配が。咄嗟に背中の守りの影の盾を顕現させてしのぎ、盾に身を隠しながら森の影に飛び込む。影は乙夜女の影響で水のように波打って千景を隠す。後はここにアマイモンを誘導するだけだ。

「あれぇ?消えてしまいました」

 千景は入り込んだ影の中で、じっと待つ。あまり動きがない。周囲に居た虫豸を影で串刺しにしてみた。ピクンとアマイモンが反応する。アマイモンは地の王。眷属が殺されたとあればその気配を察知できるだろうと踏んでのことだったが、正解だ。アマイモンが寄ってくる。あと少し、後少しで、テリトリーに入る。

「(かかった!!)」

 アマイモンがテリトリーに踏み入った。アマイモン自信の影すらもテリトリーに入れた千景は、その影から音も気配もなく現れる。殺気をしまい込みただ命令に従う。振り下ろした刀は杜山を盾にされて空中にとどまる。劣勢を悟った千景が影に戻って立て直しを図ろうとするが、アマイモンにはそれすらもお見通しだったようだ。

「ぐ…ッ」

 間に合わなかった。アマイモンの爪が左肩に刺さって、激痛が走る。乙夜女のサポートで影の中に引き込まれ、何とか脱出する。もう影の中からの攻撃は通用しないだろう。悟って千景はアマイモンと距離を置いた場所にぬっと姿を現す。

「もうかくれんぼは終わりですか」
「鬼が強いもので、退屈なんですよ」
「へぇ…」

 やるしか、ない…か。

「乙夜女…おいで」

 ずるりと千景の身体に影が這う。頭の中で乙夜女がクスクスと無力な千景を嘲笑っている。「それはなんです?」と首を傾げるアマイモンに千景は答えず、猛攻を始めた。刀で、力で、速さで。特攻を仕掛ける剣幕で、ありったけの殺気を込めて刀を振るう千景の姿は夜叉のようだ。
 鬼呪装備には二種類ある。具象化と憑依化。具象化は鬼を実体化させて特殊能力を使わせる。憑依化は鬼が使用者に憑依して身体能力を爆発的に上げる。乙夜女は本来具象化だ。具象化は凄まじい力を誇るが、その間使用者…本体は弱体化する。その援護に憑依化した仲間がいる、というのがセオリーだ。しかし今の千景には背中を預けられる仲間がいない。無理やり憑依化させるのは負担が大きいので、時間がないのだ。

「っらああぁぁぁぁ!!!」

 力関係は互角に見えた。しかし、アマイモンは「しつこいな」と隈にさらに陰を落とす。やばい、と思ったときには手遅れで、アマイモンの手が顔に迫っていた。顔を鷲掴みにされて地面に叩きつけられる。地面にヒビが走って、クレーターが出来上がる。手から逃れた千景はクレーターから抜け出し、ぐらつく体を乙夜女を地面に刺して寄りかかって支える。さっきの一撃で頭を切った上に脳が揺れた。視界がぐらつく。

「千景逃げろ!!」

 奥村が言っている。歪む視界でもアマイモンが迫ってくるのが分かった。

「乙夜女、帳を張って」

 バッと周囲が完全な暗闇に包まれる。アマイモンは構わずこちらへやってくる。帳<トバリ>はあくまで視界を奪う技だ。他の感覚は正常に機能している。でも、千景にとっては好都合だ。視覚という今は曖昧な感覚を切り捨てることができるからだ。その上乙夜女がセンサーの代わりをしてくれるので動きやすい。…チャンスは一度きりだ。
 アマイモンが振りかぶる、そんな気配がする。戦いの最中で一番無防備になる瞬間というのは、案外攻撃する瞬間だったりする。刀を逆手に持ち替えて杜山の鳩尾に柄を入れる。気を失った上に吹き飛ぶ。千景は笑った。

「任せました、奥村先生」

 千景が杜山を飛ばした先には奥村先生の姿があった。分かってあちらへ飛ばしたのだ。ああ、あれを食らうのは痛そうだ。木を何本もなぎ倒して、千景の体はやっと止まった。痛みのあまり、千景は中々動けない。それでも脆い体を叱咤して、震えながら立ち上がる。
 せめて、奥村先生が杜山の治療を終えるまで。霧隠先生がこちらへ援護に来るまで。なんとかしなければ、ならない。気付けばアマイモンが目の前にいて、千景の前髪を掴む。ぐらぐら揺らして、何かを言っている。良く聞こえない。腕、動けよ。目の前に敵が居るんだ。切らなくてどうする。
 腹に圧迫感。殴られた。アマイモンの前に四つん這いになって跪く。なんという屈辱だろうか。内臓が傷ついて血を吐き出す。どんどん狭くなる視界に、白銀に光る乙夜女がある。死ねない。私の死に場所は吸血鬼との戦場にある。吸血鬼を一体でも多く殺して、人類に勝利を、平和をもたらすんだ。あの害獣どもを、駆逐してやる。

「導き給え 示し給え 我が道を照らし給え…ステッラ・ポワーレ!」

 千景の詠唱によって、乙夜女と絡めた呪術が発動する。対価には今しがた吐き出した新鮮な血液がある。効果は絶大なはずだ。影がアマイモンを縛って、それを導火線に白い炎が燃える。乙夜女を構えて、大技を一つ。

「朝未<あさまだき>」

 千景が影の中を伝って、動けずにいる志摩を回収して勝呂の影から出現して集合する。勝呂が酷くかすれた声で「大丈夫か」のようなことを言っている。なんとなく聞こえる。でも正直、今の千景には限界だった。意識を手放さずにいるのが不思議なくらいだ。マズい。アマイモンが来る。その気配を察知したが、大技を二つ立て続けに使用しているし、乙夜女の憑依化も相当堪えている。もう動くことすらままならない。

「やめろ!」

 奥村の声は何故か千景の耳にはっきりと届いた。奥村は刀袋を捨てる。

「俺は…」
「兄さん!これは罠だ!!誘いに乗るな!!」
「雪男…わりぃ、俺 嘘ついたり誤魔化したりすんの、向いてねーみてーだ。だから俺は…」

俺もやさしい事のために炎<チカラ>を使いたい

 奥村がすぅっと鞘から剣を抜く。刹那、青い炎が周囲を照らした。
 青い炎はサタンの証。かつて青い炎が数々の祓魔師たちを焼き尽くした。それは青い夜と言われ、今でも残された者たちの傷は深い。奥村は、いったい何者なのだ。

「…問題ありません、歩けます」
「内臓も傷ついている、無謀です」
「鬼と契約している私は、人間の7倍以上の身体能力を得ています。回復力も同様です」
「しかし、」
「霧隠先生は動けなくては、万が一があった時隊は全滅します。奥村先生は意識のない杜山さんを運ばなければならない。他はけが人。縋るわけにはいきません」
「千景の言うとおりだ。雪男、さっさと負ぶれ。早く脱出するぞ」

 森が青い炎に燃えている。森の中を、千景は必死に進む。

「無茶しなや」
「無茶をしたのは、貴方の方でしょう 勝呂君」
「…せやな、すまん」

 勝呂はぐらつく千景の腕を肩に回す。勝呂に寄りかかりながら、ずるずると進む。やがて森と学園町の境の橋に出た。杜山は意識を取り戻して、奥村先生の背中から降りる。橋の欄干に腕をついて、苦しそうに息をしているのは志摩で、ひゅうひゅう気管が鳴っている。千景は勝呂の肩に回していた腕をほどくと、隅に座り込んだ。回復にはまだしばらく時間がかかるし、おそらく睡眠や食事もたっぷりと必要になるだろう。
 まだ駄目だと思った。まだ安全を確保しきれていない。なのに、眠気が襲う。視界がどんどん黒くなっていく。それは単に瞼が下りて視界を狭めているだけなのだが、千景には逆らいきれなかった。がくん、と首が折れて下を向いた。



あとがき
ヒロインは勝てるか勝てないかの勝負を決めるのは情報量だと思っています。だから観察を欠かさないんでしょうね。ヒロインは冷静な性格ですが、そうでないと生き延びることが難しかった世界がそうさせたのだと思います。
生きるために、勝つために、冷静でなければできないことが多かったのでしょう。
負けず嫌いとは少し違います。負ければ死、あるのみでしたから。勝つか逃げるかしかなかったんです。

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