手のひらの体温

 目が覚めると、一番に真っ白な天井と、そこに張り巡らされたカーテンレール、薄ピンクのカーテンが視界に入った。安全の確保が出来ていない場所で意識を手放すだなんて、酷い失態だ。はぁ、とため息をついてゆっくり起き上がる。左肩の傷も、内臓も、傷はほぼ治っており、戦闘はどうか知らないが日常生活には問題なさそうだった。
 ベッドサイドの水差しからグラス半分程度の水を貰って口に含む。それを飲み下してから慣れた様子でナースコールを押した。すぐに行きますね、の言葉通り看護師がすぐにカーテンの中に入ってきた。検温や血圧などのデータを取られているうちに、もう一人の看護師が車いすを用意してきた。
 車いすに乗ってCTと診察室に移動する。結果は問題なし。明日の退院が許された。専門家の目から見ても大丈夫ということは、戦闘にもう参加できるというお墨付きをもらったということだ。早速修行でどのようなことをしようかと考えを巡らせていると、勝呂が目の前に居た。
 勝呂は千景を見て、気まずそうに一度目をそらした後、眉尻を下げて「もうええんか」と問うた。それに千景は頷いて答えると、車いすを押していた看護師に戻っていいと告げて勝呂に押させる。

「明日退院します」
「ホンマ、鬼呪装備ゆうたか…乙夜女の力は凄いわ」
「影の女王と呼ばれていますからね」

 会話が途切れて、すぐに病室に着いた。ベッドの横に車椅子をつけてもらい、勝呂が前に跪いてフットレスを上げるのを待って立ち上がる。千景の立ち眩みを心配した勝呂が一歩距離を詰めて、千景の肩へ手を伸ばす。実は祓魔塾の女子たちは案外高身長なのである。しかし、千景は大人びているからか気付かなかったが、そう子猫丸と変わらないほど小柄なのだ。
 まるで恋人同士のような距離感に、千景は無表情の中で混乱していた。千景は勝呂が近寄った意図を理解していた。しかし、立ち眩みもなく立ててしまったし、彼が前に居て後ろには車いすがあるからどこへも動けない。彼が平然とする千景にあっけに取られているのも察せられたが、何故だか千景はどぎまぎとしていた。
 対する勝呂は行き場を失った手をどうするか彷徨わせ、意味のある近さが意味を失ってドキドキとしていた。初対面にして後ろから羽交い絞めにして動きを封じたというのに、正面だと何故こんなにも心臓が暴れるのか。かろうじて勝呂は「すまん」と声を絞り出して横にずれようとした。

「貴方は」
「っなんや?」
「貴方は座主の血統で、一人息子。明陀宗を継げるのは貴方しかいない。違いますか?」
「…違わん」
「貴方の命は一人分ではない。貴方が死ぬ前に、必ず三輪君や志摩君は盾になる。明陀宗や大切な幼馴染を思うなら、いつでも冷静でなくてはならないんです。勝手を叱りたくなるくらい人を思うのは悪いことではありません。でも、上に立つものとして自身を省みることが必要であること、胸に留めておいてください」

 いつもより近い距離。あと少しでも動けば、触れ合えるような距離。千景は首をぐっと曲げて勝呂を真っ直ぐ見上げる。その瞳が冬の夜空のように澄んでいてキラキラしていて、吸い込まれるようだった。

「すまんかった。でも俺は、あの時行ったこと、後悔はしとらん。ただ後悔するとすれば、お前を巻き込んだことや。あん時、行かせてくれておおきに。守ってくれて、戦ってくれて、分からせてくれておおきに。ケガさせて、ほんますまん」

 する、と勝呂の大きく武骨な手が千景の頬を滑った。千景は少し震えている勝呂の手に、自分の手を重ねた。千景の手は白く滑らかで美しく見えるが、刀を握るから少し硬くてかさついている。自分より少し体温の低い彼女の手のひらは、何故か暖かく感じた。
 千景は今までで一番柔らかく、慈愛に満ちた聖母のような笑顔を勝呂に向けた。



あとがき
今回は他の回より短めです。これにて発覚編が終了しました。
次回からは楽しみにしていた京都・不浄王編です。いろいろと考えていますが、難しいです。
個人的な話ですが、私は柔造さんが大好きです。絡ませたいのですが、それもまた難しそうです。
あと、こんだけ勝呂に接近しているヒロインですが、最近お留守な燐との関係もどうしようか…
悩みが尽きません。

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