花結う恋人

暗い緑色のピアス。それが目についた。

なまえのまっすぐの髪はいつも耳たぶにあるピアスを隠してしまうが、今日は珍しく髪を結んでいるおかげで、いつでも視界に緑の菱形が見える。青白い肌には暗い緑はどこかアンバランスで、そこばかり見てしまう。

いや、似合わないというわけじゃなくて、気を抜くとすぐそこばかりに視線がいってしまうってことだ。不思議な引力に逆らえずにいると、カランと、音を鳴って刺すような視線を感じてゆっくりと窓の方へ視線をずらす。

青い空は春らしく淡い色。絵具のチューブからそのまま白を絞って、それを適当な刷毛ですいたようなべったりとした雲が浮いていた。どこか煮えきれない空に舌打ちでも打ちたくなってしまう。せめて空くらいスッキリしていたってバチがあたることもねぇだろ。せっかくの、なまえとの、デートだったのに。

「恵、さっきから向こう睨んでるけどなんか居るの?もしかして呪い?」
「……いや、そんなことはねぇけど」
「じゃあ何よ。今日ずっと挙動不審じゃない……わたしなにかしたかな」

もう店内に入ってそこそこの時間がたつ、なまえのアイスティーの透き通った茶色もだいぶ薄められている。それでも、大きなブロックの形をした氷は中央にひとつ穴を開けたままだ。まるで義務感のように赤いストローでグラスのなかをかき回す手癖の悪い彼女に観念してため息をついた。

「今日、なんの日か知ってるか」
「突然どうしたの?」
「いいから。早く、スマホでも見ろよ。別に、メジャーな日じゃねぇけ2ど2」
「……だから、どういう意味なの……?」

自分で考えろよ、と頼んだコーヒーの残りを一気に呷る。黒い液体はすっかり冷たくなっていたが、感じたのはほんの一瞬であっという間に喉を下っていった。
なまえは小さな鞄からスマホをだしてはて、と首を傾げている。これはもう埒があかないのは明白なので、俺は、なまえの手からひょいとスマホを取り上げ俺に視線をずらした。

「今日の恵ほんとおかしいよ?どしたの、変なもんでも食べた?それか、五条先生に改造でもされた……ああ、なるほど。偽物なのね」
「オマエの認識どうなってんだよ」
「ご覧の通りですが」

いつもどおり喧嘩早い態度に、呆れるほかない。でも、まぁ、自分でもらしくはないのは自覚しているのでどう見たって俺の方が形成的に不利だ。
視線が机に逃げそうになるが、これ以上逃げるのは結論から言うと俺がキツい。だから、もう、ここでするほかない。

「……付き合って、3ヶ月だろ」

今までこれっぽっちも気にしていなかった、近くの席に座るカップルの声が耳に入ってくる。見なくても、だだった甘い行動をとっているのはわかる。
漫画かよ、という声と、喉からコーヒーが迫り上がってきそうななにがに顔が歪むのを抑えきれない。こことの温度差が凄まじいな。

「恵ってさ」
「あんだよ、変なとこで区切るんじゃねえ」
「ふは。いやぁ、なんかいろいろとマメだよねぇ。わたしすっかり忘れてた」
「普通だろ。つか…女子のが気になるもんじゃねぇのか、こういうのは」
「もう全部、五条先生の入れ知恵でしょう」

事実なので黙って首を縦に振る。

「でもオマエも気付けよ」
「だって……だってさ、恵がデート誘ってくれて嬉しくて、そこまで頭まわんないっていうか」
「は?」

コイツ、いまなんて?

うー、と小さく唸りながら両手でそれぞれの頰を抑えるなまえを呆然と見る。窓からの日差しできらきらと耳元のピアスが星のように瞬く。そこまでピアスを見つめたことはないが、見る機会はなんだかんだあった。

が、果たしてこれはいつものだろうか。いつもは、もっと、黒くて丸い、ピアスじゃなかっただろうか。

記憶の中のなまえの横顔を探して、たしかに、そうだったと結論づける。名も知らないひとが呪いから救ってくれて、そのひとの耳についてたやつと似ているのをつけた。いつか、そう笑っていたのを、いま思い出した。つまるところ、そういうことらしい。

「今日のピアス、似合ってんぞ」
「この前、買った」
「いつもとちげぇなって思っては、いた」

なまえの白い指が、ピアスの表面を優しく撫でる。満足そうに笑ってから、一拍置いてから「本当は」と切り出した。ごくまれにみせるコイツの、なまえのこの表情に嫌ってほど弱い俺は、黙ってその先をまつ。

「本当はもっと透き通った緑の、翡翠みたいな感じのするピアスを買おうか迷ったんだけど、恥ずかしくてやめちゃってさ」
「いつも黒なのになんでそれ買おうと思ったんだ」
「笑わない?笑ったらわたしは帰るけど?」
「すぐ喧嘩腰になんのいい加減やめろ。別に、笑わねぇし」
「ほんと?嘘だったら許さないからね」
「そんな嫌なら言わんでいい」
「いいよ、いいます!……恵の、目と同じ色だったから、です」

これでもかと入ってくる日差しのせいか、それとも俺の頭が湧いているのか、さっき飲んだコーヒーにおかしなもんでも吐いていたのか、それともとっくに手遅れなのか。

果たしてどれが正解なのかはわからないが、俺はなまえの放置されたアイスティーをひったくって一気に飲み干す。
そのまま、伝票となまえの手をつかんで立ち上がった。え、と目を白黒させるなまえはガン無視してそのまま会計を済ませてしまう。クソ、頭がふわふわする。

「恵!恵ってば!!どこいくのよ!」
「ドラッグストア」
「はぁ?!デート中に何買うの……」
「ピアッサー。オマエのせいだからな」
「どういう因果関係があんの?悪いけど微塵もわかんないよ」

その言葉に足が止まる。ドラッグストアはもうあと数歩で到着する。さすがは東京というべきか何というか。

「なまえが、俺の目と同じ色とかいうからだろ」
「意味わかんないよ、それでも」
「……俺も付けたいと思っただけだ」
「わたしの目と同じ色のピアス?」

ああ、絶対にいま振り返ったらダメだ。なまえが欲しくなるのを手を握ることで抑えてんのに、ダメだ。恵と呼ぶ声がして、視線が勝手に発信源を追う。長い睫毛が見えて、ぷつりとなにかが切れる。
「悪い」それだけ言って、なまえの後頭部を引き寄せる。アイスティーの味が口に広がっていく。
それから。なまえの耳できらきら光るピアスを撫でた。

20.03.29

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