花色とワルツ

「悟、なんて顔」
「開幕早々悪口かよ、せっかく卒業祝いしに来たっていうのに」
「君は後輩だよね?」
「そうだけど」
「なんでそんな偉そうなの……」

今さら何をそんな確認することがあるのか俺にはわからなかったけれど、なまえ先輩は俺の顔をまじまじと見上げてきた。ここで逸らしたらなにか負けるような気がして、俺も先輩の色素の淡い目をじっと見つめた。榛色という表現よりも蜂蜜を溶かしたみたいな色だ。術師を辞める予定なんてないからそのうち、また見る羽目になるんだろうけど、しばらく見ることがないのだと思うと、ちょっと、ほんとちょっとだけ寂しかった。

「なまえ先輩はさぁ、寂しくないの」
「私?うーん、たいして……」

長い黒髪がふわりと舞い上がる。俺にはないその色素を羨ましいとは思ったことがないけど、先輩と同じ色ならすこしほしいような気がする。絶対に言わないけど。

「悟は私いなくなるのそんな寂しいの?」
「ばっ、なっ……んなわけねーだろ!オマエいなくたって余裕だわ」
「ハイハイ」
「テキトーに流してんじゃねぇよ!」

話は終わったとばかりに「傑、硝子!」と右手を上げてそのまま走り去ってしまいそうな先輩の進路を妨害する。寂しい?そんなはずはない、だって俺だってそのうち同じような立場になる。だから、これで終わりってわけじゃない。けれどやっぱり、いやだ。サングラス越しの黒がかった世界じゃ物足りない。
先輩があはは!と大口をあけて空を仰ぐ。

「私も悟と離れるのはちょっと名残惜しいから、ちょっと付き合ってよ」
「どこ」
「そんなイライラしないの。……そうだ、近くにある梅の木を見に行こう」

「梅の木?」とおうむ返しをする俺の額に先輩のデコピンが炸裂した。
割と容赦なかったそれにじろり、と見下ろせばぽかんとした間抜け面をかます先輩。俺の額と自分の人差し指を交互に見返しているのを見るに、どうやら俺が無限を張ってると思ったらしい。先輩や傑とか硝子とかといるときに無限張ってどうすんだよ、無意味に疲れるだけじゃん。焦ったくて、先輩の白くて細い手首を掴んで高専の敷地の外を目指した。

「ね、悟。ねぇってば」
「なんだよ、外行くんだろ」

先輩が困ったような声を上げて、足を止めるから眉間にしわを寄せて振り返る。困ったような顔をしていた先輩も俺と目が合うと「悟の顔変だねぇ」と呑気に声を上げる。二度目の顔に対する評価に、ふと朝、顔を洗っていたときも傑に同じようなことを言われたことを思い出した。アイツなんて言ってたっけ、ああ、そうだ。『置いていかれる犬みたいな顔』つったんだアイツは。

「さてここで悟クンに問題です」
「しゃらくせぇよ。早よ言え」

咳払いまでして、低い声を出す先輩のことを一蹴する。よく俺に説教めいたことを垂れるくせに反応に困るようなボケをしてくる先輩に、俺はこれでもかと顔をゆがめてやる。

「……悟はせめて、敬語を使えるようにはなっておきなよ」
「ここにきて説教かよ。敬語は使えないんじゃねぇの、使わないの」
「そっちのが問題なんだけどね。ま、いいや。……悟、どこの梅みにいくの」
「は?どこって、この……」

俺の足先が向いている方向をみて、それから、その先の言葉は消散した。黙りこんだ俺の腕をぐい、と先輩が引っ張って「逆方向だったね、ドンマイ」と笑いを噛み殺したみたいな声が帰ってきた。ああ、いまこのアスファルトを貫通するぐらいの穴ほってそこに篭城してぇ。格好をつけたいのにつかなくて、サングラス越しのはずの空が異常に青く思えた。

「先輩、空があおい」

人通りの多い道へ差し掛かっても、先輩は俺の制服の首を掴んで歩かせる。もう俺は目的地なんてどうでも良くなっていて、通りすがる高校生の胸元のコサージュを見ていた。『卒業おめでとう』綺麗だとかそういう風には思いはしないけれど、なるほど、彼らの目はきらきらと瞬いている。

「悟の目の方が青くて綺麗だよ。ビー玉みたいもしくはおはじき」
「比較対象にするもん安くない?」
「あ。さては悟、よくビー玉見たことないでしょ。今度見せてあげる」

今度。俺の中では何度だって反芻した言葉が先輩の口からでた。いや、そりゃそうだ。先輩は一年間実質休みだっていっても高専所属には変わりない。それが学生かただの術師かの違い。わかっていた。知ってた。

「具体的言ってよ。いつ?なぁいついつ」
「も〜悟はすぐそうやって変に絡んでくるんだから……。そのうちよ、そのうち」
「なるべく早くしてね」
「かわいこぶってんじゃないよ、全く」

先輩が下手くそなため息をつく。“全く”なんてワードはこっちのセリフだよ。まんざらでもないって声で、瞳とかして、息を吐いたって強がってるポーズにしか見えないっての、あー……全くなまえ先輩ってひとは。

「ついたよ、悟」
「見えてる見えてる」
「サングラスつけてちゃわかるもんもわかんないでしょ!ほらっ」

黒い、くらいトーンでまとめられていた視界に、たくさんの色が入り込んでくる。華やかな梅の花と、榛色をした目を細めた先輩。それから、それから……春色をした青い空。ふわりと風が吹いて、先輩の黒髪を乱すのが憎いと思った。いつか、そう遠くないいつかに先輩の黒髪を乱すのを勝手に、俺のタスクに追加してやった。

梅と、石鹸の匂いがする。石鹸の匂いがよく分からなくて俺の制服の袖をすん、と嗅ぐが同じ匂いじゃない。煩悩のやつのせいで、先輩をまっすぐ見れなくなる。黙りこんだ俺を案ずるように先輩が「悟」と呼んで背伸びをした。ゆっくりと手が髪に伸ばされる、先輩の目的とする行動を察して口が曲がる。それはない。いやまじで。

「それはない」
「悟の髪めちゃくちゃふわふわじゃん……。いいな」
「帰る」

えー、なんて不満げな声を上げつつ先輩はあっさりと梅の木に背中を向けてる。
ちょっとすれた気持ちで、なんとなく目についたガードレールに沿うようにして引かれたボロボロの白線の上を歩く。いつもは子供ぽいことすんなってとがめる先輩も、俺を見ていたずらぽく笑う。それから割り込むみたいに俺の前で白線の上を歩き出す。そっか、制服を見んのも最後か。どうせ黒い服だからそんな変わらないけれど、この人は青春時代にサヨナラをするのだ。

「ねー、悟」
「なんだよ、早く行けって」

注意するわけでもなく、白線から退くわけでもなく先輩があおい空を見上げて、立ち止まる。泣いてるようにも、あおに圧倒されているようにも見えた。

「大人になっても一緒にお花見行こうね」
「ばーか!言われなくったって、こっちからいうに決まってんじゃん」

まっすぐなまえ先輩に手を伸ばして、そのまま抱きしめてやった。「好きだ」と呟いた声は制服と車の走っていく音に紛れて、行方知らず。

20.03.05

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