White

「真希?」

 黒い高専の制服は夏の宵でもすっかり当たりの空間と同化してしまうけれど、私はそれが嫌いじゃない。なんというか、夜そのものになれるみたいでどこか安心する。つまり私は夜がすきなのだ。ほら、昔から夏は夜っていうしさ。

 そんな話。「真希」隣にいた彼女の名前を呼んで、はて、と首を傾げる。さっきまで真希はいつもどおり私の話に適当に頷いて、足元に転がってきた、小さななりぞこないのアスファルトのカケラを蹴っていたのに。

 振り返って、二歩後ろで立ち止まっている真希の方へ戻る。そんな私をみて、真希のガラス越しの目がきゅっと細められる。昨夜に、勝手に布団に潜って盗み見た、周りを縁取る綺麗な睫毛の一本一本を脳内によぎった。夜がすきだけれど、真希と二人でいる夜はすきなんてものじゃないのだ。平日の歩道には打ち合わせでもしたかのようにまっくらで、世界で私達だけ切り取られたみたいで素敵だ。

「なんだよ、なまえ。んなみたって、なんもないだろ」
「ふふ、真希にはわからなくていいかも」
「ハイハイ」
「そっちから聞いてきたくせに」

 私がそう不満げな声を上げれば、真希はやっと笑って軽く手のひらを握りしめてコツン、と真希よりもちょっと下にある私の頭をぶつけていく。「ホラ、さっさとしないとおいてくぞ」夏の匂いのする市街地を真希はポニーテールをゆらゆらと揺らして進んでいく。さっきまではそっちが立ち止まっていたくせに。けれど、相手は大好きな真希なのでどうだってよかった。

 いつもより大きく足を開いて、なんとか真希の隣に並ぶ。近くの電灯がチカチカ点滅して、私達の影を作ったり、消したりを繰り返している。真っ黒な服を着ている私達をさらに黒く塗りつぶした影を踏みながらなんとなく呟く。私と真希の間に落ちる言葉は大体私の気まぐれと、目に映った事象への関心ばかりだ。パンダとかもいる時だとまぁ、話は変わってくるけれど。

「黒が似合うようになりたい」
「オマエいつも唐突だよな」
「真希と影を見ていたら、なんか、こう、ふと」
「理由になってないだろそれ。……ま、そのうち似合うようになるかもな」

 真希の返答に静かに項垂れる。つまるところ今は黒は似合ってないってことだし。いつかは硝子サンみたくなりたいのに。

「前から言ってるけどなまえに硝子サンは無理」
「まだ私何もいってない」
「こちとら耳にタコができるほど聞いてるし。つか、わかりやすいだろ」
「表情?」
「いや、それはわからん」
「もー!!いつも表情筋が仕事しなくてごめんなさい!」
「何もそこまでいってねぇだろ!」

 細い眉を釣り上げた真希の声が私達だけの歩道を走っていく。それにしたって不自然に人がいない。どうしたものだろう。呪いの類いが出てきた街だ、なんかまだおかしな物が潜んでいる可能性はなきにしもあらず、けれどどう対応するべきだろうか。不思議と嫌な予感はしてこないので、ペーぺーの術師の私達が関わっても平気な気がする。なによりも、私の勘は当たる。

「ねぇ、真希。ちょっと、ちょっと探索してみない?」
「…………はぁ、ちょっとだけな。時間見て止める」
「せかいでいちばんあいしてるよ真希」
「バーゲンか」
「上手いこと言ったみたいな空気出さないで」

 真希の肩に私の肩をぶつければ、当然だけれど私達の足元に伸びる黒い影は大きなひとつの塊になっていた。「ま、なまえのカンに従うと面白いしな」まんざらでもなさそうに口の端をあげる真希に、果たしてその口の角度はどっちで上がったのか問いたかったけれど、素直に答えてくれないとみたので、私は大人しく口をつぐんだ。ねぇ真希、ほんとはね。私は黒が似合う女になりたいのはね。

「あ」

 気の抜けた声が漏れた。それは私の少し上から降ってきたもので、真希のもの。あの真希が気の抜けた声を出す?思わず眉根をぎゅっと寄せながら見上げて「どうしたの?」と尋ねる。さっきの声をごまかすみたいに、前髪を指で掻き上げる。

「向こうから祭囃子聞こえてきた」
「………なるほど」
「なんだよ、思ってることあるなら言えよ」
「ふふふ、真希かわいいねぇ」

 顔を覗き込む私に呆れた視線を浴びせて、それから「なまえの笑いのツボって変だな」とかなんとか言ったあと、私の頬をぐっと掴んで横に引っ張った。私を変な顔にしてから、満足そうに離れた手は私の手を握ってくれたから、もう、全部チャラにしてしまうから、やっぱり真希はずるい。ずるいよ。わかってて私にこんなことしてくるんだから。これから未来永劫、私のそばにいてくれなきゃ割に合わない。こんな私の傲慢な願いは、こういうときいつま頭をもたげるけれど、言えるはずはない。

「やっぱり私、真希のことせかいでいちばんすき」
「知ってる」

いつか、いつの日にか黒が似合う女になって、真希の隣で普通に笑えるようになりたい。

「真希、真希、花火買って帰ろ」
「どこ売ってんだ、花火なんて」

 自慢げに「うまくいけばドラッグストアでも売ってる」なんて言えば、真希は呆れつつポケットからスマホを取り出す。マナー的にはよろしくないけれど、真希の手元を覗き込む。見ればメッセージアプリが開かれて、どうやら憂太とのトークルームらしかった。

「パシるのはやめたげなよ」
「このぐらいならいーだろ」
「サプライズで買って行こうよ〜高専だと夏感じること少ないし」
「もう送ったよ」

 メッセージの下に既読の文字がつく。時すでに遅し。その文字を見つめる私の髪を真希は乱暴にぐしゃぐしゃにしてくる。

「花火するならなまえは白いワンピース着てみろよ、この前買ってたろ」
「ああ、そういや買ったね」
「なまえは黒なんかより白が似合うよ」

 チカチカ点滅していた街灯は白い光を吐き出す。私の身体に光は当たって、前にあった影を小さくする。けれど、真希はうまく白い光から外れて夜と同化したまま「黒は似合わなくていいよ」と満足そうに目蓋を下ろす。

「でもやっぱり私、夜はすきだよ」

影に紛れる真希の頬にそっと手を伸ばす。宝物に触るみたいに、夜そのものに指先を当てる。取っておきの答え。これは、私と真希のためにある。

「夜は真希みたいだからね」

20.05.10

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