いろいろな下の死角

クリーニングに出した白いブレザーの上にかかっているビニールをめくって、そのままブレザーに腕を通した。白いブレザーゆえ特に汚れは目立つ。上半身がギリギリ映る鏡の前で身体を捻って自分を観察する。繰り返し確認をして、やっと大丈夫かな、と安堵の息をつく。
それから。なんとなく鏡に映った私の顔を見つめる。
つまらなさそうな、人間の面を被っただけで血の通っていないような白い私の顔。見ているのは1分ともたなくて、紐で引っ掛けられている鏡をくるりと返して部屋を出た。

♦︎

「げ、天童」
「げってひどくない〜?みょうじちゃんと俺の仲じゃん〜」

逆立った鮮やかな赤い髪をした男が軽薄そのものというように手をひらひら振っている。後ろをふりかえる。私以外の白いブレザーの生徒が続々とドアをくぐってくる。「チョット〜?」目をきゅっと細めて、こちらを見上げる彼には汚れのない白いブレザーはやっぱり今日も似合っていない。私と同じように。はぁ、とおおきく溜息をついた私に……天童はけらけら笑いながら、長い指で前の椅子の背もたれを叩く。

「なるほど、そこが私の席なの?」
「そ。今年もヨロシク、めでたく三年目の腐れ縁だネ」
「今年も付かず離れずの距離でいて」
「つれないねぇ」

天童の言葉を背中で流して、スクールバッグを机に置く。天童に借りを作るのはどうにも癪なので、黒板に貼られて座席表を見にいく。白鳥沢は県内有数の進学校ではあるが、やっぱり新学期の1日目というのは、クラス内の空気もふわふわしていて、ちょっと肌がむずむずする。「よろしくね」とか「お前が一緒かよ〜」とかそういう楽しい言葉をBGM代わりにしながら私は自分の名字を探す。みょうじ、その後ろは確かに天童。

「合ってたでしょ。俺が嘘ついたと思ったの?流石にひどくない」
「……嘘をついたとは思ってないけれど」
「な〜のにわざわざ見に行ったんだ〜!ホント物好きだねぇ」

ほかにクラスの子を確認していたら、影が紙の上に広がる。読めなくはないけれど、圧迫感を感じて落ち着かなくなってしまう。待たれているとどうしても焦ってしまって、目が文字の上を滑っていく。

「それよりも後ろに立たないで、困る。あと周り考えてよ186cm」
「あ。多分もうちょっと伸びた」
「嘘でしょまだ伸びるの……?」

思わぬことを言われて私は反射的に天童を振り返る。天童は私のその所作を見てふふん、と満足げに頷く。いつもの止めない態度と目で私と接する天童の前ではどうにも素直になにも言えない。どういうこと?と聞くのを忘れるか、飲み込む。聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥。そんな格言も天童が相手じゃなんの指針にもなりはしない。

「まぁそれも確認しにウチの体育館おいでヨ、担当ヨロピク!!」
「私がバレー部を担当できる保証はない」

天童の肩を押して机と机の間の狭い通路を歩くように促す。けれど、そんな私の行動をものともせずに、天童はピースを目元にかざすなんていう古いアイドルポーズをとってくる。私の顔、具体的に言えば、眉根と口元が歪むのがわかった。

「大丈夫、大丈夫。新聞部の顧問にはもう許可取ったから、若利くんが」
「牛島くんに謝っておくね」

天童絡みで知り合った、バレー部の彼に脳内で頭を下げる。実際あったら頭を下げてしまうだろうけれど。話したことは片手で足りるほどだし、となりにはいつも天童とか瀬見がいたから直接会話はないのに、わざわざ。

「そこ感謝するとこじゃないの?」
「天童はしらないだろうけど、新聞部でもバレー部の志望って倍率すごく高いんだから。恨まれたらどうするの。それよりも自分で歩いて」

ハイハイ、と面倒臭そうにくるりと背中を向けて、白い背中はゆっくりと動く。歩くスピードをもっと上げられるでしょ、といおうか迷って、やっぱりやめた。のろのろと動く猫背気味の背中をじっと見つめる。歩き方にはその人の個性が出る。個性というよりはその人が歩きながらなにを考えているかが検討がつくものだ。少なくとも私にとってはそういうもの。でも、天童からはそれがない。どう形容してもしっくりこないのだ、要は人間ぽくない。

ここまで言っておきながら私は別に天童を気味が悪いなんておもった試しがないのだ。
たしかに私と天童は仲が悪いとは思わないし、嫌いかと言われたら悔しいけど嫌いじゃない。好きとは思えないけれど。「あ」と突然天童が立ち止まる。一歩空間を開けていた私と天童の距離が詰まる。

「バレー部担当になっても誰も恨まないって。みょうじちゃんだし」
「どんな理由よ」
「さぁ?」

こっちを振り返らないまま天童は道化師みたいに首を竦めた。いつのまにやら背筋はピン、と正しいものに変わっている。

「変なの」
「えーそっくりそのまま返しちゃうよそれ」
「どうぞ壁打ちしててください」

誰かが開けたらしい窓からふわりと春の風が吹いた。柔らかい風は私たちの頰を撫でていく。ありきたりなことだけど、それが何だか特別なことみたいに思えた。「気持ちいいねぇ」後ろから聞こえたその声に今回こそは首を縦に振るほかないだろう。だって、本当に気持ちがいいから。



元から顔が白いと言えばそれまでだけれど、私の白さはやっぱり病気に見えるほどのそれだ。女子トイレの誰もいない手洗い場で、指先で目の下をそっとなぞる。薄い皮膚がぴっぱられる感覚が、私を嫌でも現実にくくりつけている。青白い蛍光灯の光を吸い込む私の皮膚はやっぱり不気味だ。はぁ、大きく息を吐く。どんなにここにたむろっていようとも私のやるべきことはこれからたくさん転がっている。
大きな溜息と共に、鏡から目をそらして私はやっと扉に手をかけた。

「アッレー、ここいたの?」
「天童……」
「なんでそんな顔すんのさ」
「いや、別に。もう体育館行ってると思ったから、ちょっとびっくりしただけ」
「ふぅん。じゃ、行こ行こ」

一切遠慮せず私の手首を掴んで歩き出す天童の背中を目を細めてみやる。こいつ、私が適切な距離感でって言った後にこんなことをしてくるんだから。わかりやすいと言えばわかりやすいけれど、女子トイレの前で待ち伏せというのは如何なものだろうか。本当に、どうなんだろう。

20.07.10

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