ハロー・ア・カペラ
神さまへひとつ尋ねることができるなら、おれは聞きたいことがあるんだ。生憎、無神教で神様の存在なんか全然信じては来なかったし、善人すら少ない環境にいたから全く知らない。そういう都合の良い男の話だ。
けれども、聞かないわけにはいかない。
なぁ神様。おれとなまえさんはどうして出会わなければならなかったんですか。
揺れる水面にその辺に転がっていた石を投げる。川面を跳ねず、そこまま鈍い水飛沫を上げて沈む。それは、あの真夜中のおれたちのようだった。
「迅、なまえさんがまたきてるわよ!」
「そんな大声出さなくても聞こえてるし見えてたよ、小南」
「ちょうどなまえさんは迅さんの部屋にいますよ」
「……ちょ、なんでおれのいないときにおれの部屋に通しちゃうかな〜」
小南と京介、ふたりの後輩の声が茶化すようになまえさんの名前をなぞる。いや、まるでもなにも明らかに揶揄っているんだろう。
おれはわかりやすく弱みをださないよう心がけている。だからこそ、客観的にみるとなまえさんの位置は変な存在感があるのだと思う。
ため息を吐きつつも、心臓の音は浮かれたように早く音を鳴らす。焦ったい気持ちをドアノブにぶつけるようにして開けば、なまえさんがおれに笑った。変な顔、と言わんばかりのなまえさんにはやっぱりお手上げだ。
「……?迅、入りなよ。どうしてドアの前で両手を上げてんの?トリガー使ってないけど」
「なまえさんって、そういうとこあるよね。まぁいーや、ぼんちあげ食う?」
「食べる」
「今日はなんの用事なの、映画?課題?事務連絡?」
なまえさんが食べやすようにぼんちあげの袋を少々斜めに差し出しながら、おれはベットに腰掛けた。
待ってましたと言わんばかりに、床に座っていたなまえさんがぼんちあげの袋の中に手を突っ込む。なんだかんだで、ぼんちあげを食べてくれる数少ない人だ。だけれども不思議なことにも、どうしてだか、箱では遠慮される。
「用事がなきゃきちゃダメなの?」
「まぁちょっと頻度に関しては考えてほしいな〜、とは思うよ。鈴鳴は林藤派〜なんて言われたらたまったもんじゃないでしょ、周りが」
「よくいうわ、大人しく迅がわたしを玉狛に入れなかったからこうなってるんでしょうに。それに言ったでしょう」
空いた手は再度袋の中へ入っていって、ひとつぼんちあげを回収して戻る。基本的にみょうじなまえという人は、快活で笑顔が綺麗な人だ。
でも、意外と身内とそうではないのボーダラインがはっきりしている人なので、新天地は辛い可能性が高い。
「鈴鳴の子たちはみんな良い子でしょ?なまえさんそんなシャイだったっけ」
「……まさか、悩み相談に来たとでも思われてるの、わたし」
「え、むしろ違うの」
驚いてなまえさんの顔を見つめると、なまえさんは不愉快だ!とでもいうかのように顔を歪める。榛色の目がまっすぐおれを射抜く。そのあとにおれに見えたものは世界が朝日に溶けているような光景で、これは一体どうすればいいのかわからなかった。
「今度ね、男の人と遊びに行くんだけど、何着ればいいかわかんなくて」
途端、酸素が丸い何かに変わっておれの喉を苦しめる。相談ごとじゃん。なんて声はばらばらになってしまった。何一つとして声が出ないからなまえさんの言葉を遮れない。
バカじゃん、おれ。
なによりもそれはおれが望んでいた未来のひとつだったのに。穴が開くように痛い。肋骨が圧迫されて折れそうだ。なまえさんの話を聞くおれには、せいぜい指一本を痙攣させることしか叶わなかった。
「いろんな人に相談するのも照れくさいから、迅に男としての意見を聞こうと思って。週末空いてる?」
「……あ、うん。空いてるよ、でも相手って」
「それが恥ずかしいから迅のところに来たのよ、深く追求しないで」
先に視線を逸らしたのはなまえさんで、おれは自分の手のひらから、さらさらと溢れる音を聞いた。仕方ない、なによりも、この未来を望んだのはおれじゃないか。ああ、心の底から、乾いた音がする。そこなんてすぐ更新される。すぐに聞こえなくなる。ねえ、そうだって言ってよ。
「迅、了解。思ったより早かったね、良かったよなまえさん」
ぴし、と額に手を当てて軽い敬礼を返してやる。なまえさんが笑ってくれるならそれでいい。
口を挟むと言ったのはおれだし、綺麗ななまえさんをさらに綺麗にしたい気持ちだってある。大丈夫だ、きっと。
「約束ね。破ったら承知しないわ、土曜10時にモールね、破らないでよ?」
「何回も言われなくったってわかってるって」
でもさあ、神様。つくづくあんたって非情だな。ああそうか、あんたは非情じゃなくて、そういう虚構だから仕方がないってことか。
おれはなまえさんが幸せになるならなんだって捧げたいのに、おれにはこの人が泣いて困る未来の持ち合わせしかないよ。
「迅、これはどう?」
「あ〜その感じは鋼がすきそう。来馬さんならこっちの色違いかな。太一は違う」
なまえさんの顔が歪む。意見を問われたから正直に答えただけなのにその顔はひどい。
おれは不貞腐れるなまえさんの背中を押して、試着をしてくるように促す。
まあ確かに考えてみれば、なまえさんは似合う服を教えてくれと言っただけで男の趣味に合わせて、とは言ってない。加えて、なまえさんの交流はなにもボーダーに限定されない。とは言いつつ、まあ十中八九ボーダーだと思うけど。
手持ち無沙汰なおれは、なまえさんが選んだものと同じ、黒地に小さな花が散りばめられた長めのワンピースの裾をつまむ。
かわいい。綺麗。っていう系統のワンピースだ。俺はこれが似合うと思う。でも、デートっていくところにも寄ると思うんだよなあ。付き合ってないから、なまえさんのはデート(仮)か。それとも付き合ってなくてもデートって表現してもいいんだろうか。
「彼女さんへのプレゼントですか」
「あー、その友人……いや、先輩に似合うの見繕ってほしいって頼まれて」
「そうでしたか、今日はご一緒に?」
「はい、今は試着室に。あ、彼女です、いまちょうど出てきた、……あの人」
ナイスタイミング。心の中でグットを指をたてつつなまえさんへアイコンタクトを送る。
突如話しかけてくるアパレル店員こっわ。モールモッドのほうがわかりやすい動きするよ。
「彼女さんお似合いですね」
「あー、彼女ではないですが、にあってますね」
「……お似合いですよ」
「何も2回も言わなくても……。なまえさん!」
名前を呼びながら、なまえさんの方へ向かう。視線が重なって、ふわりとなまえさんが笑ってくれた。花みたいな笑顔、いや流石にこの表現は古典的がすぎないか。
「どう?着てみると結構派手かもしれない」
「顔の作り派手だからもっと控えめでもいいのかもね。おれはよく知らんけど」
「迅はこれすき?」
「……来馬さんとのデートなら向こうの白いレースのスカートのがいいと思う。鋼とのデートは歩くだろうし、そういうひらひらはやめといたら?」
のらりくらり。いってはいけないキーワードは『すき』。おれの好みなんて知らなくていい。おれが気に入った服で、なまえさんが選んだ男と会われるなんて。
……違う。今日、おれはなまえさんに合うものを探しにきたんだ。
「迅って、わたしのデートについてどれぐらい見えてるの?」
「……全然全く。でもうまくいくっぽいよ」
「雑ね」
「幸せそうに笑ってるのは確定してるから、あとはなまえさん次第」
「わたし次第、ね」
どういうデートかもいつするかもわからないデート。ここまで来るとデートなんて嘘かと思ってしまう。
でもおれのサイドエフェクトは、現実だよ、と突きつける。ここまできて、今更、絵空事を唱えるおれの夢の頬を払ってから見せつける。幸せそうに、満面の笑みを浮かべるなまえさんを。
「じゃあここのはやめようかな。次の店も付き合ってもらえる?」
「いいよ、今日は暗躍も休業だしね」
「なにそれ。暗躍は年中無休じゃないの?」
「実は暗躍、週休2日制」
おれの答えになまえさんが吹き出す。そもそも暗躍は趣味だし趣味に休みは不要なもんだ。横顔を眺めながら、ふと、思う。
なまえさんと出会わなければ、おれはすきなひとと1日を費やす幸せを知らなかった。
モールの中を、平和な酸素を肺いっぱいに満たすことを知らなかった。……こんなばかみたいな嫉妬なんて覚えなかったよ。
すぐ隣で揺れる無防備な右手からそっと視線を外した。
ああでもない、こうでもない。散々モールの中を歩き回って、なまえさんは一着だけワンピースを購入した。最初にみたワンピースより大人しめの淡い青色。
全体的に四角形ぽいカジュアルなものなら、鋼でも来馬さんでも太一でも、なんなら太刀川さんとか風間さんでも気に入りそうだ。
「無事買えてよかったね。似合ってたよ」
「本当にありがとう、迅!助かった。ここはわたしに奢らせて!」
「やった、サイドエフェクトで見えてたけど」
「そこはどうでもいいの。はい、メニュー」
「どもども」
色気のないチェーン店、しかもファミレス。右からは家族の平和な会話。左からは学生同士の馬鹿話。後ろからは老夫婦と店員の応答。なんか、普通の先輩後輩らしくていいと思う。そうそう、こういうのでいい。これがいい。
あ、でもなまえさんがうまくいったら、こんなことできなくなるか。
メニューを捲る手がピタリと止まる。
そうか、そりゃそうだ。湧き上がってくる現実感を水と一緒に飲み込む。グラスのなかでカラン、と音を鳴らして氷が一回転した。
「どしたの、迅」
「いや、なんていうかこれ、最後の晩餐だな〜と」
「死ぬの?」
「んなわけないじゃん。比喩だよ比喩。なまえさんともうご飯食べるのも最後かもって」
「迅語ややこしいから、日本語に翻訳して」
「つまりはおれのサイドエフェクト曰く、なまえさんには恋人ができる」
少なくとも、うまく関係は発展する。ここにきて初めて、なまえさんの目がぐらりと揺れた。あんな気さっきまで、朗らかだったのに。青天の霹靂。そんな言葉が似合う様だった。
「あれ、なまえさんと迅さんじゃないですか。ここで会うのは珍しいですね」
「荒船……隊員みんなお揃いで仲良しね」
「鈴鳴は鈴鳴支部全体で仲がいいって聞きますよ、でも今日は迅さんなんですね」
優秀な後輩がおれとなまえさんを興味深そうに眺める。
本部の隊員には珍しい組み合わせだから、仕方ないといえばまあそうで。いややっぱどれだけ考えてもS級隊員と支部職員じゃ目立つな。加えて所属してる支部違うし。
横からぬっと穂刈が現れ、思いっきり荒船の肩を引いてひとつこちらへ視線を投げた。
「……ちょっと貸せ、お前の耳を」
「ちょ、なんだよ穂刈。あ?……あーなるほどな、来週に備えてってわけか」
「ちょっと、先輩相手に態度悪いよ。なまえさん、迅さんすみません」
「うちの先輩たち本当にダルいんで、すいません」
「いーえいーえ、お気になさらず」
よくできた方の後輩たちは頭を下げた。耳を貸せと言われたくせに、そのワードだけで意思疎通が測れるらしい。よくできたチームだ。
不遜がすぎる後輩筆頭の荒船は余裕に笑みで、「じゃあなまえさん、健闘を祈ってますよ」とだけ残していった。なるほど、状況は読めた。
「なまえさん、出かけるのは鈴鳴全体でなの?」
「ノーコメント」
「荒船さんのあの感じからして、相手は鋼でしょ。うまくいくといいね」
「……うまくいくんでしょう?」
なあ神様。おれとなまえさんが出会ったことに意味がないなら、どうしておれはなまえさんがすきなんだ。
「おれのサイドエフェクトが、嘘ついたことある?」
馬鹿野郎!
今頃、なまえさんはすきな男と一緒にいるのだ。
そう思うと、喉の真下から酸素が消滅していく。あくまでも幻覚だけど。
でも、おれたちキスだってした仲なのに。結局、だめなんだ。
ほら見たことか。約束なんて守れやしないんだ。だったら初めから意味のない約束なんてするもんじゃない。
なまえさんはなまえさんで呼吸の術を獲得できる。だからおれは惨めになる。
元旦、時計はとっくの昔に12をすぎて3に差し掛かるところ。とりあえず三門のあちこちを歩き回って、静かな場所を求めて歩きまわる。
元旦だからか、初日の出を目当てにいろんな人が当たりをほっつき歩いている。
平和なもんだ。その平和を作ってると思えば、少しは元気になるってものである。
ふと、先週みた未来が脳を過ぎる。
未来のくせに過去の記憶の面をしているのは、なんというか矛盾してるよな。どうしようもないけど。今までのらりくらりと歩いていた足が止まる。
そうだ、せっかくだしボーダーの屋上へ行こう。記念に初日の出でも望むのもアリだ。
こんな折にボーダーにいるひとは皆ワーカーホリックだからどうせいないし。太刀川さんが寝てたら起こして馬鹿話をしたっていい。失恋記念に。
「だれもいないよなぁそりゃ」
案の定な人しかいない本部に、頼りになるけど心配だなぁとこぼしながら、ゆっくりと進む。
「残念!わたしがいました」
不意打ち。うっわぁ読み逃した。過去の方に夢中になっていて、なまえさんがいるかいないかがわからなかったとか。
「…………あけましておめでとうございます」
「テンション低くない?迅も初日の出見にきたならこっちがいいと思う」
「珍しくトリオン体だねなまえさん。鋼とはうまくやってる、に、決まってるよね」
「まぁ、それなりに?トリオン体なのは鋼くんの依頼なの。攻撃手のパターンが見たいんだって」
「そりゃ勤勉だ」
おれの夢想していた世界が実現したはずなのに、見える未来はいつも以上に分岐されてて、ルートが難しい。防衛ならわかりやすいのになぁ。なまえさんは俺なんて眼中になしで、雲の間をじっと眺めている。
「あと後数分で日の出だよ」
「本当?わたし一年の中で一番初日の出がすきなの」
「一年に一回しかない味のある楽しみだよね」
「1日が始める感じもすきよ」
雲の隙間からわずかに光が漏れ出す。ああ、いよいよだ。「トリガー解除」なまえさんが小さく唱えるのが隣から聞こえた。
どうして、と確認するより先に、雲が割れてオレンジの光が全体に満ちる。きらきらと三門の街を染めていく。
「なまえさんなんで換装解いたの?」
「わたしの目で見たかったの、ほら、見て迅!」
見てるよ、と言おうとしたおれの手をなまえさんが引っ張る。今度は落ちたらシャレになんない。と思ったけど、内側へ誘導されただけ。
朝の伸びやかなオレンジ色の光を纏ったなまえさんがスカートの裾を摘む。黒地に花柄、ひらひら揺れるスカート。短めの白いダウンをきてなまえさんは笑う。
今までで最高の笑顔だった。覚えのない。嘘だ記憶の中でいつも未来のような顔している、それ。ああ、困るな本当に困る。……ねえなまえさん。今まで見た中で、今日が一番すきだよ。
「どうぞ、今年もよろしくね」
21.02.13