ララバイハレーション
だれもしらない話をしよう。たわいのない話で日々を埋めてみようよ。空と海ときみの青を比べるだけの不毛な競争をしたいな。
願うだけならお金はいらないし、頭の中までは神様は手出しできないのだから。
ぼんやりとした街灯がわたしと迅の肩を照らしている。
わたしは迅が起きてしまわないように、息を殺しながら彼の顔を覗き込んだ。未来を見通す青い目は瞼に覆われていてとても無防備だった。
もしも、わたしがナイフを手に取って迅の目をくりぬいたのならどうするんだろう。
迅の細い茶色の髪をなでる。指通りはよくて、気分を良くした単純なわたしは迅へひとつ愛を零した。
「どうかいい夢を、迅」
まるで答えるみたいに迅がわたしの右手を握り返す。
大人と子供の中間地点にたたずむ迅の手を引きたい。そう願うのは身の程知らずって、やっぱりいわれるかな。
19歳なんていう宙ぶらりんな迅を、大切なひとを愛さないでいる術を持たないだけなのにね。
空から降ってきた藍色は三門の町だけじゃなく、わたしのテーブルの上のホットケーキをも染め上げて、わたしたちはただ呼吸をしてるだけ。
ねえ、そんな夜があったっていいでしょ?
ほら、迅。来世はきっと。
◇
暇を持て余して、わたしはイヤホンをしてラジオをかけた。
このあとの天気は晴れのち雨。11時ごろから強い雨が降るでしょう。明日は曇り。
あまりの退屈さにチャンネルを変える。流行りのロック・ミュージックが聴こえてきて、わたしは顔にかかった後毛を耳にかけ直す。
わたしは自分が嘘がつけないタイプの人間だと知っている。自分の心にしたがって生きることに迷いはあれど後悔はしていない。けれど、嘘をつく以外の手段を持たない時もある。
日も暮れかかった母校の前で、わたしは校門からでてくる人間を観察する。
わたしのお目当ての青い目はどこにもなくて、じりじりと肋骨が折れそうなくらいに痛む。心臓が暴れ狂うせいだ。でもそれもこれも全部、迅のせい。未来でわかってたくせに……。
もしかしてもう帰った?
疑念に駆られて、生徒たちの流れに右足を出しかけてから、ふっと脳裏に柿崎と嵐山の穏やかな顔がすぎる。
迅はどこ、なんていう問いを見透かしたように、二人はアイコンタクトをして笑った。
「日直だから、待っててやってください」
彼らを疑う理由などないから、右足は静止してただ流れていく人の背を見送る。
「なまえさん、ここで何やってんの?出待ち?」
迅。一つ目の言葉は、息と共に溢れ落ちて音にならない。青い目に夕日が流れ込んで琥珀のようにきらめいた。
イヤホン越しでも望んでいた声ははっきりと届いたけれど、焦ったくて、脱ぎ捨てるようにイヤホンを取る。
「……迅、チョコあげる」
「どもども。ところでなまえさん、つかぬことを伺いますが。これ、本命?」
「ハッピーバレンタイン、迅」
「答えてくれないなら強硬手段にでるほかないよね」
逃げ出せないように腕をがっしりと掴まれる。きれいな淡いピンクの紙に包まれた箱は、どこからどう見たって気合が滲んでいると思う、我ながら。とはいえ迅は知っているはずなのだ。
つい先日、バレンタインのチョコをわたしは小南や木崎と一緒に作った。その場に迅がいたことはないけれど、知っているはずだ。
「本命じゃなくて義理だったらどうするの?」
「なら小南からもらうかな。一緒に作ったんでしょ?レイジさん、小南、なまえさんで」
いやらしい聞き方に、わたしは素直に顔を歪める。こいつは、このチョコが本命チョコだとわかっている。そしてこれがまた事実なので、わたしはにっこりと笑う。一瞬、迅の青い目が見開かれる。
その隙をついて思いっきりつま先を蹴って、バランスをくずした迅のてのひらから箱を回収する。わたしが足をけったときの感覚、それが迅からの答えだ。
「じゃあもらってくれなくて結構よ!どうせ同じものを食べるなら、かわいい小南がつくった方がいいし、木崎のほうがおいしいから!!」
迅よりもふたつも年上で、成人したようないい大人なのに、子供のようなぶつかり方しかできなかった。
背中をむけて歩き出したのに、後ろからの足音は一つも聞こえなかった。
わたしと迅はあまりにも不毛な恋をしている。進むことも壊すこともないかろうじて息をしている溺死直前の、恋。なんで死んでないんだろうな。
「ねえ、なまえさん!」
足音はない。けれど、迅はわたしを呼び止めた。意地を張り通すことさえできないわたしは、夕日に背を向けて、迅を振り返る。
迅の身体はすっぽりと校舎の影に埋まっている。青い目だけが光っている。
真夜中の川面にそっくりだ。わずかな光を反射して、混ざって、鏡のように表情がわかる。
「そんなに学校入りたいならさ、夜に屋上おいでよ。今日は満月なんだ」
「……迅が約束を持ちかけるなんて珍しいこともあるのね。明日は雨かも、傘持っていかなきゃ」
「これは約束なんかじゃないよ。ただ、おれのサイドエフェクトがいってるからね。無視するわけにもいかない」
自分の顔がこわばっているのはわかる。迅も迅で口角こそ上げているけれど、腕は中途半端な位置で震えている。
「迅」
名前を呼べば、迷子のような顔に変わった。わたしはね、できない約束に縋りはしない。
でも、言わなきゃいけないと思った。
これだから嘘をつくのが苦手なのに。いざというときの言葉を自分でも信じられなくなりそうじゃない。
けれど。
「わかった、じゃあ一緒に月でも見ましょう」
できない約束をした。一瞬でもきみに笑って欲しかったの。ただ、それだけなの。
世界が全部、藍色に塗り上げられると、バケツをひっくり返したように雨粒がとめどなく降った。時計へ視線をやると、時刻は10時前。天気予もあてにならない。
ただ、それ以上に迅との約束もままならないのだ。
「今年もチョコは、わたしが食べるのか」
不揃いなチョコレートは、ありふれた甘さだけ舌に残した。
◇
チョコレートなんてくそくらえだ。
そう、木崎と小南の誘いを断ったけれど、何も関係のない鈴鳴支部のみんなには上げないわけにもいかない。
どうしたもんか、と頭を悩ませていたのが一週間前。
今ちゃんの「なまえさんも一緒にバレンタインのお菓子作りませんか?」なんていう問いに飛びついたのが早2時間前。
「今ちゃんはお菓子作りも上手いのね」
「そんなことないですよ。慣れですね、なまえさんだって続ければ上手くなりますから」
「そうなんだよね……。そうとくれば、練習させてもらいましょうか」
オーブンにクッキーを入れた今ちゃんがふふ、と微笑む。ボーダーはいかんせん人が多いので、大量に作りやすいものに偏る。
今までは、主に小南の友チョコ作りへ参加していたから、少しだけ新鮮な気持ちになる。それに今年は迅宛のものを作らないから、余計に。
「義理とはいいますけど、なまえさんは作らないんですか?本命チョコとか」
「わ〜今ちゃんも女子高生ね……。というか、まあ知ってるよね、当然」
お菓子作りは分量が命。クッキングスケールにボウルを乗せて、0表示のボタンを押す。まずはバター。
「まあ、小耳には挟んでますよ。どうしても目立ちますから」
「あはは、そうよね。だってあいつS級隊員だもの。本部ならともかく所属が玉狛と鈴鳴じゃあなおさらだわ」
彼が目立つのはしょうがない。
迅は迅悠一として生きてやるべき使命がある、らしいから。
バターを入れたボウルをスケールから持ち上げる。メモリが増える。誤作動。じっと数字を見つめるわたしを今ちゃんがおずおずと眺めている。
「今ちゃん、写真って好き?」
「……いえ、あまり知りません」
「そっか。ハレーションっていう、光が強すぎて画面が白くなったりぼやけちゃう現象があるの」
スケールの電源を切る。今ちゃんの手に収まっている小麦粉をとって、またスケールに電源を入れた。
迅はわたしのチョコを求めない。
迅はいつだってわたしが離れることを良しとする。
ねえ迅、知ってる?きみがあの今年一番最初の太陽に照らされたときの顔。
「迅はただ単に、ハレーションなのよ」
ただ、うまく息を吸う方法だけ探してる。
◇
「……どうしてここにいるの?」
「いや、なんか、そうしなきゃいけない気がしたから」
「サイドエフェクトはなにも言ってくれなかったんだ。そんな相棒とは縁切れば?」
「いうねえなまえさん。さては怒ってるね」
茶化す目の前の男に思わず顔を歪める。平然とわたしの前に現れて、楽しげに笑う男の心境が全く理解できない。
「ともかく、なまえさんはまだ夜食べてないでしょ?スーパー寄ってこうよ」
「まさかうちで食べる気なの?今日は鍋の気分じゃないの、わたし」
「今日は違うって。ね、いこいこ」
有無を言わさずに迅はわたしの背中を押して、スーパーの入り口へ誘導する。
明るいBGMの鳴る店内。明るく笑う迅。
積み重なったカゴを迅が嬉々として持ち上げて、列を成したカートを引き抜く様をただ眺める。困った、テンションについていけない。
「迅って結構マメだよね。木崎の教育、もとい食育が功を奏しているのかなあ」
にんじん、小松菜、大根、じゃがいも、たまねぎ。迅は迷うことなくぽいぽいとカゴへ野菜を回収していく。
うちの冷蔵庫事情は知らないくせに、なかなか的確なラインナップをついてくる。背後からそっとピーマンを追加する。
「なまえさんち、味噌ある?さすがにあるよね?」
「……どういう確認?」
「あ〜、その返答はないやつだ。そんじゃあ、うちで使ってる味噌買おう」
「ちょっと!その扱いはなに!」
噛み付くように迅の青い隊服を掴む。たしかに自炊は苦手だけれど全くしないわけじゃない。
ちょうど大規模侵攻の後処理でバタバタしていて、食料の買い出しに行けてないだけ。あとひとりで汁物は調整が難しいからにすぎない。
「いやあ、食生活乱れまくってそうだねなまえさん。もしかしなくても三食サプリで済ましてるとか、ないよね?」
「……いや、さすがに」
「サイドエフェクト使わなくたってわかってるよ、無駄な足掻きはやめたほうがいいよ」
わたしと迅は、まるでなんもなかったみたいにスーパーを巡った。この前の服選びとは違って、一定の距離をずっと保って、馬鹿みたいに笑いあう。迅が笑ってくれるのがすごく嬉しい。最近の迅といえば、冬と一体化したような喉が凍りつくような空気を背負っていたから。理由はわかる。わかったとしてもその原因をわたしは指摘しない。だから迅はわたしを頼る。
「あ、ホットケーキミックス」
「おお、本当だ。そういえば、ホットケーキとパンケーキって何が違うの?」
「知らない。迅はどうしてわたしへ聞いたの?」
「いや、風間さんとなまえさんはなんか雑学王ぽいイメージあるから……」
「どういうイメージよ、それ。風間はわかるけど」
「わかるんだ」
ガチャガチャと騒がしい音を立てながら、カートをホットケーキミックスの並んだ棚の前まで引いてくる。ホットケーキミックス。300グラム。150グラムかける2。
「……なまえさん、おれホットケーキ食べたい」
「買うならどうぞご自由に?」
「ホットケーキ食べたいなあ〜!」
あからさまな声に、言葉なんか出なくて迅の背中に頭を押し付ける。こどもか。今にもホットケーキ食べたい、と駄々を捏ねて泣きそうな年下の迅くんに笑みがあふれてやまなかった。まだ19歳だもんね。バレンタインの本命チョコはうまく交わすことができる。ロマンティックな約束を成立させない。でも、それでも。
「なまえさんの作ったホットケーキが食べたい」
ねえ神様。あんたはいつだって迅から平和でくだらない、変えがきく日々を奪い去る。母も、師も、仲間も友も奪う。つい先日は思い余って、後輩まで奪おうとしたね。もちろん、すべてが迅の手の届く範囲にあることではないけれど、わたしはあんたを許さない。あんたへ異を唱えることのために、わたしは迅の側から離れてなんてやらないわ。神様好みの悲劇のヒーローには仕立てない。
「じゃあ、それが今年のバレンタインね。牛乳もないから買って帰ろう」
くだらない話をたくさんしよう。幸せはスケールでなんか測れないけれど、もしも測れるならば0表示なんか押さないわ。
「…………はじめてのバレンタインだなあ」
「0歳児?」
「違います〜、立派な19歳です〜」
ふたりならんでスーパーの中を歩く。他人からすればわたしたちはとても幸せそうなカップルに見えるかしら。おんなじ歩幅でレジを目指すわたしたちは、多分、死ぬまで恋人にはなれない。迅悠一とわたしの恋はどこにも辿り着けないから、せめて神様の吠え面だけは見てみたいわ。それでね、迅。全部、全部。わたしたちの人生が全部終わった暁には。
「ねえ、迅。生まれ変われるなら鯨になってね」
「……いいよって言いたいところだけど、なんで?」
「わたしは人に生まれ変わって、海の上に家を建てる。それでね、迅はその海に住む鯨になるの」
寝物語のようなそれに迅の青い目は、ふっと細まる。ちいさなじんくんがそこに見える。愛してる。そんな陳腐な台詞すらいえなくて、夜を超えるだけで精一杯なわたしたちは夢想した。
「スーパーのBGMじゃロマンスに欠けるね」
21.02.15