地軸もキミに折れ曲がる
きれいな銀色。でもね、月影のようなその髪がわたしは嫌いだよ。そういえば、お隣に住むオトコノコはあちゃーとわざとらしく笑った。不良のくせに、年下のくせに、彼はわたしにあいまいに笑いかけるのが、上手だった。ほぼ毎日のように賑やかなバイクのエンジン音を聞いていれば彼が不良なのは疑うことがないわけだけれど。
「三ツ谷くん、いいこと教えてあげようか。作り笑いって顔に張り付いて剥がれなくなっちゃうんだよ」
ベランダの柵を越えて彼の頰をなぞってみる。おい、と言うだけでこれと言った抵抗がなかったので、みょん、とつまんで伸ばしてみた。一部が途切れた眉が一瞬跳ねたけれど、何もなかったみたいに誤魔化される。つまらない。
「つまんないなあ、ちょっとはドキマギしてくれても良くないかい?」
「いやあ、結構してるけど。顔に出ないだけだろ」
「……オトモダチにはよく吠えてるよね。いーなー、ソトヅラモードじゃない三ツ谷くんとお話できるの」
「おねーさんさ、よくオレに突っかかってくるけどそれなんなの?」
「ふふ、銀色が嫌いなの。でもキミのバイクの音がかっこよくてさあ、いい音するよね」
「へえ、わかってんじゃん。オレのインパルスは世界一だから」
はじめて、彼の目がわたしを真っ直ぐ見て、にいっと細くなった。それだけやっても愛想笑いしかなかった彼の、小さな微笑み。かけたピースが心臓にピタリとはまる。何がいつもと違ったんだろう。
「走ってるトコロ見たことある?」
「ううん、ない。バイクも乗ろうと思ったことがないな、危ないって聞くからおとうとにも乗って欲しくない」
髪を染めるのなら手伝うんだけどなあ、と言いながら三ツ谷くんの毛先を弄った。わたしもここに寝泊まりするようになってからかれこれ1ヶ月経つけれど、彼の髪の色は一度もくすんだ試しがない。いつも月あかりさながらの銀色。いっそ羨ましいとすら思う。
「おとうともかなり不良なんだけど、バイクバイクうるさいのよね。ピアスまでならいいんだけどさあ……」
「不良ルールガバガバじゃね?フルーは髪染めの時点でアウトだって」
「死んでほしくないの」
本心だった。わたしのエゴ、最低だって笑ってくれて構わない。だって彼が死んだらわたしが死んで泣く人がいなくなってしまうから、彼には生きていてほしい。
「……アンタ、乗ったことはねえんだよな?」
おねーさん、からのアンタ呼ばわりに口を挟むまもなく、彼はわたしに顔を近づけた。ベランダとベランダのお粗末な仕切りの上で、彼は真っ直ぐわたしを見つめる。うん、って言った声はいつもより少しうわずっていた。
「ナニソレ、すっげえもったいねえよそれ。バイクは全部、全部がいいんだ」
彼が瞬きをする。映画のワンシーンじみた世界で、彼の睫毛が一瞬震えて見えた。生理現象。わかっていても全てに意味を結んでしまいそうな、そんな、ええと、なんていうのかなあ。
「ちょっと待ってろ」
彼はベランダから部屋に戻る。カーテンを開けっ放しにしたから、部屋のオレンジ色の光が床まで伸びていた。
神様がいたら今日の意味をきこう。絶対に。だってれほどに、なにを考えているのかわからない。全てこの世をシナリオ然として語るほど。映画かぶれになったつもりはない。けれども、まるで今日は映画のようで。心を開かない少年が、わたしのベランダに片足を下ろした。
「うっし、じゃあ行こうぜ」
「…………本当に不良なんだね、向こうの玄関から出ればいい話でしょ?」
「んなことしたらアンタと話すの明日になるだろ」
「話したかったの?」
隣に住むおうちの長男はわたしの隣に並ぶ。薄い壁も錆びた赤い柵もなにもなしで。線が細く見えた彼はわたしよりも身長が高かった。
「そういう気分の日もあんだろ、ガキで悪かったな」
キミが白い半袖が似合う少年だって知らなかったなあ。
「ううん、すごくいいよ」
これが映画だったらきっとわたしたちは、いくらの値がつくと思う?日常にはこんなのおかしいのに、映画にしては陳腐だなんて笑っちゃうね。ニセモノって笑われるのも悪くないかな。
「一応聞いとくけど、どっか行きたいところある?ねえなら別にいいけど」
「…………じゃあ月。私を月に連れて行って」
「そりゃ、オマエ、無理だろ……」
「インパルスっていうんでしょ?」
「そうだけど、それが何か関係すんのかよ。言っとくけどオレ頭良くねえからな?」
「……あー、じゃあ、三ツ谷くんはジャズ聞く人?」
質問ばかりのわたしに呆れたように、視線をなげて「ジャズはあんま」と返す。彼の手がエンジンにかかる。その指はわたしの父のものとも兄のものとも似つかなかった。
「音楽好きなんだ、ふーん、いい趣味だね」
「あ?突然なんだよ、誰だっていいもんはいいって言うだろ。あとオレは別にグレてこういうカッコしてるんじゃねえから」
「違うよ、褒めたんだって」
白い半袖、銀色の髪、主張のあまりない肌色。本人曰くサイコーにイカしたバイクに跨った彼は、耳の端っこを赤くする。かわいいねって、言ったらまた笑ってくれるかな。逆に怒るかな。
「月は無理だけど、他にリクエストがあったら聞く、無茶振りすんなよ」
「応えるじゃないんだね」
「うっせぇ。揚げ足取ってると時間なくなるし早く乗れば?」
はーい、と間延びした返事をして彼の後ろに座る。そこから、どうすればいいのかわからなくて宙に投げた腕を彼が掴んで、自分の腰に回した。ちゃんとくっついておけよ。人懐っこい笑い方。
「どっかいきたいとこある?」
「どこでもいいよ、うん、どこでもうれしい」
優しい声。わたしはいまどんな顔をしてるのかな。笑ってる?泣いてる?ねえ教えてよ、今のわたしの顔なんてキミしか知らないからさ。
月明かりと街灯でアスファルトは白く反射しているのがきれいだった。人生ではじめてバイクに乗った。はじめて、他人と寄り添った。
まるで着火直前のフィルム映画のような、時代遅れの青春をわたしは見ている。夏はもう鼻先まで来ているけど、今日を始まりにしたいから、春って呼ぶね。直接顔に風をうけることの快感とか、後ろになびくわたしの真っ黒な髪だとか、すべてが新しく見える。25時23分、ノーヘル、極め付けは無免許。目の前のオトコノコの腰にしっかりと手を回して、わたしは何をやっているんだろう。心臓はずっと壊れた時計のように、バラバラのリズムで鳴いてる。
「どーだよ、案外悪くねえだろ?」
銀髪の彼が振り返る。人工的な色のくせに、月よりも街灯よりもどんなネオンよりも自然だった。きれいだ。わたしはこんなに世界がきれいでいたことは知らなかったよ。やられっぱなしはどうにも癪だった。ならわたしが彼に言える言葉なんて限られている。
「三ツ谷何君ていうんだっけ、キミ」
「……隆だけど、これ今必要?」
「キミのことが知りたいなって。さっきも言ったでしょう?そうやってスカして笑って隠す顔の下が見たいって」
「そこまで性格の悪い言い方じゃあなかったけどな」
人の少ない道路で、彼のバイクはいい音を鳴らして走る。
「タカちゃん」
「おー、何だよ。いきなり」
普通に返事を返されてはつまらない。あだ名つけるなとか、そういう抵抗を望んでいた。だって、イイコじゃないのにイイコのフリされるの、見てて不愉快だから。わたしは少し悩んで、彼の白いシャツがはためく様を眺める。
「タカ君」
「さっきから何がしてえのオマエ」
「あはは、ついにオマエになった!」
「めんどくせえー!なんでオレの周りはそういう奴らばっか集まんだろ」
彼は怒っていて、間違いなく不愉快だったろう。それでもわたしの方を見た彼はどうしようもないように笑っていた。嘘つき。楽しいんでしょ。
銀色が嫌いでした。世界には色は不要だと思っていました。
わたしの家族はおとうとだけで、あの黒くて艶々した美しい黒いピアノで構わないと、そう思っていました。顔の横で景色が過ぎていく。懺悔をたくさん並べてもあまりある沈黙。
信号が赤く点滅する。交通ルールには従う彼が面白くて、ちぐはぐで、彼になら言ってみたくなった。聞いてくれると思うから、不良のくせに。いや、わたしのおとうともそうだからなにもいえないや。
「タカ君、キミもそうやって笑った方がいいよ!」
わたしと彼は決して正しくはない。これは前提じゃらなにもかもが間違ってる。わかってるよ、でも、もう出会ってしまったから。
今日を映画に例えるなら酷く陳腐なフィルムになるに違いない。感想はきっと散々だ、誰もチケット代と釣りあってるなんて言ってくれない。でも。
「ベッタベタのラブソングなら許されると思わない?」
キミは、タカ君は、なんだそれと声をあげて笑った。振り返って見せた、その笑顔が、わたしは。
「おねーさんさ、名前なんて言うの?」
三ツ谷くん改め、タカ君がわたしに問うた。わたしはもったいぶって「なまえだよ」って答えてあげた。たったそれだけ、それだけの夜だった。
21.06.12