ほら、尽きる星だね
オレンジ色の甘酸っぱいマーマレードが好き。夏のしつこい暑さより夜が好き。一緒にいると生まれる前から定められた幼馴染よりも、先輩が。
「狗巻先輩、こんばんは。先輩もいま帰りですか?」
見慣れた先輩の背中を見かけて声をかければ「しゃけ」と、狗巻先輩が振り返る。色素の淡い金色の髪がさらさらと揺れる。
星みたいなこの人の髪ならいつまでも見ていれる気がする。真希さんとパンダ先輩に頼んでみせてもらった一年前の写真を見た時は驚いたものだけれど。
「高菜?」
「あっ、これから任務の報告書を五条先生に持っていくんです。先輩は日下部先生に持っていきました?」
「……おかか。すじこ」
ひといきおいて、面倒くさそうに否定の言葉を吐き、首を横に振る。まだ先輩の言葉を理解しきっていないわたしへの優しさで、それがちょっと嬉しい。
ふと、先輩はわたしの手の中にあるネオンカラーのファイルをさして、こちらに両手をひらく。一緒にいこう、っていうこと? それとも任務の内容について?
わたしは首を傾げて先輩の手のひらにファイルを置いてみる。これパシリに当たるのかな、むしろわたしがパシられるべきでは?
「明太子……」
「あれ、ごめんなさい。ちがいました?」
絶望的な声をあげて先輩はクリアファイルを見下ろす。どうやらわたしの早とちりだったらしい、慌てて先輩からファイルを奪い返そうとする。
腕を伸ばすけれど狗巻先輩はわたしをひょいと交わす。真希さんとか虎杖くんとかパンダ先輩のせいで日頃の特訓ではわからないけど、狗巻先輩の身体能力だって高い。わたしは正直、まぁ、あれだけど。
「すじこ」
狗巻先輩に避けられてどうしたもんかと、立ち尽くすわたしに先輩はさっきと同じ言葉を吐く。同じように手を出す。
でも一方でわたしに他に持っているものはない。のど飴もチョコもおにぎりもないし、一体どういう。今度は手を見つめて動かなくなったわたしにしびれを切らしたのか、狗巻先輩はわたしの右手を握った。
「せ、先輩……?あっ、え、そういうことなんですか」
「しゃけ」
「なんで手繋ぐんですか……。恥ずかしいですって。わたし、幼馴染としか男の子と手繋いだことないんです」
ぴくり、とわたしの手のひらを覆った狗巻先輩の手のひらが震える。わたしは、おうちの方針で結婚する人としか手は繋げないけどこうして先輩と繋いでしまった。
でも、離さないで欲しい。今だけでいいから。
「……昆布?」
こちらを見上げる先輩の目は態度ほどしおらしいもんじゃない。いやじゃないでしょ?先輩の声がわたしの手のひらから届く。勝手に術式に干渉するのやめてほしい。
「先輩、あとで天体観測しましょうよ」
「しゃけしゃけ」
「じゃあ早く五条先生にこれ提出しましょう、先輩も日下部先生に報告ですもんね」
わたしの術式は金星桔梗系という。きんせいききょうけい。
はじめてあった日に説明してきた五条先生は、金星と同等の物質を呪力として扱うとかなんとか言っていた。でも結局できることといえば光を出すこと、熱を帯びさせること、コミュニケーションを無言でしあうこと。
五条先生、とよんで部屋を見渡す、黒い目隠しをした先生がこちらを振り返る。きたね、とわたしの方を見て伸びをひとつ。わたしよりも先輩が先に部屋に入って、先生の机のうえにファイルを置く。
「先輩!それはわたしがやるのに」
「すじこ」
「全然『一緒』じゃないですよ、それ」
「ツナツナ」
それはそれ、これはこれ。とおちゃらけた返事にぐぐと言葉に詰まる。先輩はわたしを甘やかしすぎてると思う。握ったままの手が包むんじゃなくて、わたしの指と先輩の指とを絡められる。いわゆる恋人繋ぎ。とどめを刺すみたいにそんなことをするから、思わずへんな声を上げてしまう。女子としてちょっとない感じの声。
わたしと先輩ふたりっきりの世界を壊すみたいに、五条先生が「こんなとこでいちゃいちゃしないでくださーい」とかヤジを飛ばすからもう顔をあげれなくて、ボロボロの板が貼られた床を見ていた。
「っていうか、棘さっきもきたのにまぁた来たんだ」
「おかか!!」
「えー、黙ってたの? 心配だからって甘やかしすぎ」
「お、か、か!!」
動けないわたしに向かって先生はによによと笑っているのが、背中のあたりに刺さってくる視線でいやというほどわかる。夜だから先生も暇なんじゃないかな、先生のおもちゃにされている先輩の制服の上を先輩に捕まっていないほうの手で引っ張る。
「五条先生に構ってないで帰りません?」
「ねぇ最近#名前#ちょっと冷たくない? 冷たくない? 冷たいよ? 」
「昆布」
そんなことないよ。とでもいうかのように狗巻先輩は器用に口を隠したまま口笛を吹く。
「いきましょう、先輩」と手をひいてそのままわたしと先輩は逃げ出した。五条先生みたいなのが運命を取り締まる女神ならいいのに。そうすればいつだって逃げ出せれる、先輩と。
「天体観測っていっても望遠鏡、先輩の部屋に置きっ放しですね」
「高菜」
「肉眼だと金星はみえませんよ」
もうでも手遅れだね、と上ってきた段の数をふたりで10まで数えて笑い合う。じゃあもうあと少しだから、と階段を先輩に手を引かれてで登る。前にわたしがポロッとこぼした「神社みたいな高専の施設の使い道がわからないな」「すじこ」という会話を覚えていてくれたらしい。
「明太子」
先輩の指が、黒く広がる夜空を指さす。わたしも先輩が指し示す方を見上げる。高専もいくら自然がいっぱいで人が少ないといっても、やっぱり東京で、わたしの地元や実家からみる満点の星空とはかけ離れている。さびしさをうめるように金星を探す。秋の東の空に、太陽の前に重なるように宵の明星があるはずだった。
「みえます?東側の空です」
「おかか……」
「あはは、わたしもですよ。今度は横着せずに望遠鏡持ってきましょう!」
本来なら見えるはずがない金星を、わたしの目は捉えていた。理由はとても単純で、わたしの家の人はみんな呪力が目に強く込められているから。呪いとの契約によって、人外じみた視力を持っている。
先輩と同じ視界は共有できない。だって、そういうものだ。わたしは呪言を使えないし、先輩と同じおにぎりの言葉を操れない、それと同じ。
「おかか、いくら?」
「え」
嘘はよくない、きれいにみえる?
先輩の声がわたしの声を揺さぶる。嘘をついてるわけじゃない、先輩に嫌われなたくなかっただけ。同じでいたい、だけ。
「わたしも先輩と同じがいいです」
「ツナマヨ」
「……そんなこと言わないで」
「ツナマヨ」
先輩から逃れるみたいに下を向いてしまうわたしに、何度も何度も「ツナマヨ」と、言葉が落とされる。優しい声だった。いっそのこと先輩に『すき』と言われて呪われてもいいのに、先輩は呪言を使わない。いつでも手を握っておにぎりの具に愛を乗せてくる。
どうあがいてもわたしたちの道は分かれてしまうのに、手は繋いだまま。真っ逆さまに落ちては止まれないまま。
たとえ、近い将来には尽きてしまう星だとしても、わたしは先輩に「すきです」と言って抱きついた。
19.12.25