デイドリームブルー

天気予報を見た。体育祭が楽しみで仕方なかった、なんてことはない。ただ、頭蓋骨の中でずっと響いている一瞬に気を取られていただけ。翌日に引きずるよりはずっとマシだ。口の中で複数回唱えて、背中を呼び止めた。あの。それだけで彼女はこっちを見た。

「ひとつ質問があるんですが」

この人は答えはしないだろうとわかっていても尋ねてしまった。

「晴れたら困ることでもあったんですか?」

聞いたのは俺の癖に、彼女の顔を見ていられなくてすぐに視線を外す。聞くんじゃなかった。そもそもが馬鹿馬鹿しい仮定だったんだ。彼女が困ろうが嬉しく思おうが、どうだっていい。

「三輪くんはやさしいね」

やっぱりあんたは答えない。



一個だけ逆さまに吊るされたてるてる坊主を見つけた。それは俺の視線に耐えかねるように落下する。いや、そもそもこんなものに感情は宿らない。すべて奇怪な偶然かただの疲労に過ぎない。見なかったふりをしても構わない。何食わぬ顔で、……いや、普段通りに歩けば良い。それだけの単純なことだ。だが、足が中途半端に曲がって動かない。視線は墜落したそれに刺さって動かせなかった。このまま無視するか、それとも拾っておくべきか。
名前があったわけではない。ないが、こんな浮かれたムードの中でそんなことをする人に、たった一人だけ心当たりがあった。いや、高校に悪ノリする人間がどれだけいるか。彼女だと確信するのは無理がある、が、万が一のことを考えると放ってはおけない。

……どうして俺があの人にここまで惑わされなければならないんだ。
奥歯をかむ。喉のあたりで言葉が顔を出す。だが、完全には姿を見せない。所詮、感情などすべて錯覚だ。

三輪くん。いつも飄々とした一定の声。
やさしいね、とさっき労いのようにかけられた言葉だって温度は伴っていなかった。そういう人だ。
彼女の名前を呼ぶのは少し躊躇う。だが、嫌いだから話したくない、とは思わない。
他人だと言い切るには抵抗がある。

会話を望まない彼女と会話をあきらめている俺。そういう図式だ。俺の手のひらで握りつぶせそうなそれは何の役目も果たせないことだけがわかった。



三輪くん。呼ばれたら振り返らないわけにはいかなかった。笑った彼女がパシャリ、とシャッターを切る。ささやかな抵抗として、顔を隠そうとしていたが、失敗に終わった。

「そういう係なんですか」
「あ、いや、違うよ。ただの個人的な趣味、というかみんなやってることでしょ」

みんな。「みんな」彼女の言葉を口の中で転がす。『みんな』と一番距離がある人の言葉とは考えられない。
顔を遮っていた腕を下ろせば、彼女と視線が交差する。彼女のことは好きまでいかなくとも、存在を受け入れられないほどではないらしい。陽介あたりの言葉をうのみにすれば。

例え人間的には嫌いではなくとも、この視線だけは好きになれそうもない。

「そうだ、三輪くん後ろ向いてよ」
「なんでですか」
「日焼け止め塗り直すまでの日除けだと思って助けてよ。ほら見て汗でたいへんなことになってるの!何の対策もせずあんなギラギラのグラウンドにいくなんて信じられない」
「校舎で塗ってくればいいと思います」
「細かいことは気にしても仕方がないよ」

俺の正しい主張には応答はなく、そのままカタカタと軽い音が聞こえる。本当に塗っているのが窺えてしまって、足が止まる。ため息が聞こえたって彼女は全く気にしないだろうが。

「それに、次って借り物でしょ」
「出るんですか?それなら準備した方がいいと思いますが」
「ジャンケンで負けたんだよねえ。最後に人見に負けてさ、あそこはパーを出すべきだったわ」

ジャンケン。そのワードと彼女がうまく結びつかなくて、脳内で『ジャンケン』のカタカナばかりが存在感を強めていく。似合わない。

いつも無理難題を吹っかけてくる人が逆に無理難題を課されるというのは純粋に興味深い。炎天下で特に何もせず椅子に腰かけて、呆けているよりずっとマシだ。

「ところで三輪くん、背後見せちゃって随分無防備だね」

彼女が俺の背中を指先でつついてくる。煩わしい。それでも振り払うより先に彼女の指が離れた。
やめろと静止するつもりだった喉が「急になんですか?」という言葉を吐き出した。いかに優れた選手だとしても、ゴール数メートル先まで走り抜けなければならない、それと同じだ。

「隙だらけなのは至って健全でよろしいけど、三輪くんらしくはないね」
「あんたに定義付けられるほど簡単じゃありません。不快だ」
「だってホラ、三輪くんって時々アレじゃん」

口が弧を描く。「すごく素直」続いた言葉に頭痛がしてくる。
たった一年、されど一年。
彼女と俺の年の差。
間違いなくそれが彼女を好き勝手にさせているのだろうが、どこまで行っても釈然としない。奥歯を噛みしめて彼女への受け答えを思案する。頭蓋骨が痛む。
この頭痛の原因は疲労によるものなのか、この鬱陶しい日差しのせいなのか、はたまたその両方なのか。

「そんな身構えないでいいよ。取って食おうってわけじゃないからさ」
「あんたじゃなくて東さんなら信じた」
「ほら素直」

ハチマキが引っ張られ、頭ごと彼女の方をみた。先程と変わらない飄々とした視線が降ってくる。

俺の苦手な目。迅、太刀川さん、嵐山さん。

他にも得意ではない人のことを考える。苦手だ。でもただ苦手なわけじゃない。

彼女のことを睨まなくなったのは、なんでだ。彼女の顔が一歩近づいてくる。彼女の額に巻かれた青いハチマキが目についた。

「ほんとあんたは最低だ」
「あら、今更?」

返答に顔を歪める。
性格が悪い。意地が悪い。
なにより俺をみるその目が好きにはなれない。それでいいよ、と笑うことさえも気に障って仕方がない。

「ところで三輪くん、ちょっと気になるところない?」
「要点を簡潔に、わかりやすく述べてください」

彼女が目を細めてから、コツン、と額を示す。日焼け止めをぬったばかりの肌は病的に白い。死なないでくださいよ、とは言わなかった。

「わたしは三輪くんのハチマキをほどきました」
「あんたに無茶苦茶なお題があたるよう祈っておきます」
「……あー、ごめんね?」

最後の言葉が上にあがったのが分かってしまって、彼女へ向ける視線がさらに鋭くなる。イラつくだけ無意味なのはよく理解しているにも関わらず。

「よし、じゃあ三輪くん後ろ向いて?結びなおすよ」
「そこまでしなくても結構です、さっさと並んでください」
「時間なら平気だから!」
「必要性を感じません。もう準備しないと迷惑かかりますよね、責任とれないので結構です」
「言葉で表明するのはどうにも苦手だから、行動で誠意を見せられればと思って」
「……次、競技ですよね」
「そうね、トップバッターの予定だった。でも気にしないで」

いつも話が通じない、と思うのは、彼女の話の順番のせいだ。原因が何かすぐに答えられてしまうぐらい、俺と彼女は同じ空間で過ごした。ここでもめているのも意味がない。時間も体力も効率よく、精神に負荷のかからない程度で行使するべきだ。長く息を吐く。
木の陰と日の当たっていないコンクリートの外壁に囲まれながら、俺は彼女に背中を向けた。首のあたりがチリチリと燃えるように痛い。視線が気になる。
他の人に見られても気にしないが、陽介あたりだと厄介だな。慣れないことなんてするものではない。

「……三輪くんって占いとか信じないよね?」
「あまりそういうものは得意ではありません」
「そう、なら、いいかな」

後頭部に力が入って、首に硬い布が当たる。「結べた」と彼女の小さな声がした。いつもそうやって喋ればいいんじゃないか、と言いかけてやめる。
俺たちは他人だ、断定できなくても限りなく他人に近い関係だ。
友人でもない。チームメイトでもない。ただの先輩と後輩という間柄。それですら今年で最後になる。最後であることに何の感慨もないし、そのまま俺たちはかかわりを失くす。
それでいい、それをずっと待っている。

「変な結び方とかしてませんよね」

額に巻かれたハチマキを確認しておきたい。クラスの女子がしていたような変な結び方はしていないように感じる。
しきりと触って確認する俺に彼女は発言する。表情は陰に覆われてわからない。わらっているのか、いつも通り飄々とした顔をしているのか。それでも声は変わっていないように感じる。

「おかしいことは何もしてないよ。……そうだ、左手だしてくれない?」
「なんでですか」
「いいからいいから」

釈然としないが、彼女に左手を差し出す。

「使えそうだったら使って。わたしはもういらないから」

じゃあね。簡潔な挨拶を押し付けて走っていく。呼び止める理由もないから、その背を目だけで追う。2メートルもすれば人垣でみえなくなる。

握り締めた左手を開けば、ハチマキがあった。額に手を伸ばす。たしかにそこには布が巻かれている。彼女の背中を探して一歩足を出した。

「秀次、そこでなにしてんの?」
「……別になにも」

呑気な声から逃げるように、そのまま左手をポケットに突っ込む。何も咎めない陽介に、少しだけ肺が痛んだ。何もやましいことなんかない。ただ、彼女のいつものきまぐれだ。いつもと変わらないにやけた顔があるだけ。肩をぶつけてくる。やめろ。
睨むと左側のポケットを叩かれる。青いハチマキがひらひらと宙を漂う。
……あの人、これからどうするつもりでいるんだ。背中は見つからない。やっぱりロクでもないことになった。いい迷惑だ。黙り込む俺に陽介がけらけらと笑う。

「来年、B組にならないといけなくなったな? 」

運動靴で砂利を踏みしめる。
校長が、朝、体育祭にうってつけだと語った青空が俺の脳天を照りつけた。そうだ、全部、この青空とあのひとのせいだ。
結び目をほどき、もう一度、額にハチマキを当てて固く結んだ。

来年になればきっとわかる。現状わかっているのはひとつだけだ。きっと来年も俺はあの人と他人にはなれないだろう。


青空は目に悪いから、来年は晴れなくても構わない。身勝手にもそう思った。

21.10.09

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