鯨、一世一代のラブソングを歌う

-1

「水族館にいこう、迅」
「また急だなあ」
「それじゃあ、行くひとこの指と〜まれ!」
「はいはい、と〜まった」
「なんだ、結局行くんじゃない。あんま恰好つけないでよね」
「好きなひとの前では恰好よくありたいんですよ、男ってもんは」
「え〜……私としては素直であって欲しいんだけどな。ま、じゃあ来週の日曜日ね」
「あ」
「どしたの」
「ごめん、その日は外せない用事あった。ほんっとごめん……今度埋め合わせするから」
「仕方ないなあ」

縄がこすれるようなギリギリという音がする。恋の寿命が擦り切れていく音が、しているんだ。
でもおれは聞こえないふりをする。
巡り巡って考えたんだけど、神様ってのはやっぱり趣味が悪いんじゃないか。この恋の寿命なんて、こちとら視認できるし、たかだか恋ひとつで現実逃避するほどヤワでもないって知らないわけもないのに。


スーパーのBGM-1

クジラが見たい、と息子がいいだした。土曜日の夜8時に。もう寝るよって言ったばかりにもかかわらず、大声でクジラ!を連呼する。こういう時に限って妻は夜勤で不在だから困る。
「クジラ?近くにいるかな」
「いるよ!!!先生もあっくんもゆってた、クジラいるって。だから……見たい!だっておれ、今日一日がんばったのに」
しゅん、という効果音が聞こえてきそうなくらいに、丸い頭は項垂れた。たとえ俺に良く似た髪色でも、ひょっこりと覗く小さな耳は妻によく似ているわけで。共働きで特に融通の効かない職種ということもあり、俺は、ちいこい頭を優しく掴む。
「わかった、行こう。父さんな、水族館なんて子供の頃以来だよ」
「ほんと?!嘘じゃない?!」
「嘘って……そういう時は冗談じゃない?の方がまだいいぞ、まだ、な?」
「わかった!」
食い気味に答えてはくれたが、わかっているんだか。少しややこしい話をした自覚があったから、俺は、誤魔化すように笑って、息子の肩を寝室の方向へ直した。
「じゃあ今日は早く寝なきゃだろ?」
「絶対だよ!お父さん、約束!」
「おうとも、約束だ」
まだまだ幼さを残す、薄い皮膚の小指に、大人に疲れた俺の小指を絡めた。
ああ、俺は近所の水族館を検索するのを忘れないようにしなきゃな。



-2

合鍵をつかってドアを開けた。ふらふらとボールチェーンとそのさきのクラゲがゆれた。ワンルームのアパートの中では音楽が流れていた。うわ、ちょっと音量大きすぎない?
「なまえさん」
「迅?来るなら連絡くれればよかったのに、インターフォン押すとか」
「サイドエフェクトでみたびっくりした顔がかわいかったんだよ」
「よくもまあそんな歯の浮きそうな台詞を……」
「ほら、ぼんち揚げ買ってきたから一緒に食べようよ。なまえさんは一袋ね」
「迅は?」
「三袋」
「ちゃっかりしてるわ」
「でしょ?」
3分間のあと、いつもと違うボーカルがしらない歌を歌い始めた。生まれ変われるなら、なんて言葉から始まるロック。なまえさんは窓のサッシに寄りかかるように外を眺めている。
「あーあ、来世はクジラになりたいな」
「なんかそれ前もいってたよね」
「ふふん。知っていたかい、迅悠一君よ、クジラの歌ってのがあるんだよ」
「へ〜、クジラって歌うんだ。どんなもんなの?」
「クジラの歌の歌って部分は実質声みたいな意味だよ。声より歌の方がおしゃれじない?浪漫もちょっと感じられてオトクだし」
「うん」
「それでさ、クジラって500キロくらい離れててもコミュニケーション取れるんだって!すごいよね!」
「500キロって、すごいね。大体東京から大阪くらいじゃん」
「そう!しかも超音波だから人間には聞こえないの、いやまあクジラ同士には聞こえるんだけど。あーあ、人間だって欲しいよね。できるだけ秘匿性の高いやつで。……あ、菊地原君とか聞こえんのかな?」
「や〜……さすがに無理じゃない?でも根気よく探せば見つかるかも」
「後天的に身に着けられないならやっぱり来世に懸けるしかないのか。海の中ならいざ知らず水族館のクジラならいくら歌ったって近所迷惑って言われないかも?」
「なまえさん、音楽の趣味変わった?」
「なんで?全然変わってないよ」
「いつも狂ったように同じバンド流してるじゃん。おれすっかり覚えたよ、変なバンド名の」
「あ〜……」
「心当たりはあるんだ」
「まあね。でもいま流れてるバンドも大概変な名前だよ」
「ふーん、っていうかまたロックバンド?」
「だって好きなんだもん。ちょっと最近知り合った人がね、この曲好きだって言ってて、それ聞いたら、うわ〜……私も高校の時めちゃくちゃ聴いてた〜って思い出して、青春に浸っているんですよ」
なぁ神様。おれにもし未来が見えなかったら……。ああ、やっぱりやめにしよう。
「なまえさんのいった通り、おれも来世はクジラがいいのかも」
「でしょ?」
窓ばっかみてないで、おれをみてよ。
なまえさんの目を見るのが怖いくせに、そんな嫉妬は一人前なんだってさ。笑っちゃうよね。
もうせめて笑い声でこの音を上書きしてよ。
「……なまえさん音楽流すときは窓閉めなよ」
一曲終わってまた一度黙ったスピーカーがまた曲を流す。今度は聞き慣れたイントロだった。繰り返し流れているあのバンドのリード曲。
ああ、諦念のこもった歌声のボーカルがサビを歌っている。ひとりで滑稽にデタラメにステップを踏むように。おれはそのさまにひどく同情してしまった。
理由は痛いくらい、耳の鼓膜を破りたいくらい、頭を切り裂いてしまいたいほどよくわかっている。



スーパーのBGM-2

クジラのところへまっすぐ走っていく。小学3年生の体力についていけるはずもなく、乱れた呼吸で息子の名前を呼びながら歩く。

水槽に額も鼻もくっつけた息子が、悠々と泳ぐクジラを指さす。何かを見つけたのか、お父さん!と大声で俺を呼ぶ。引きちぎれそうなくらいに腕を振って、こっち!と呼びかける姿に苦笑する。
迷惑にならないように、水槽から引き剥がしながら、息子の興奮して上擦った声を聞く。
「ゆーいちだって!お父さんといっしょじゃん!」
「そうなの?」
「ちゃんと見てよお父さん!」
「ごめんって。え〜名前なんてどこに書いてあるの?」
息子に叱られる父、その図式に近くを通りがかった老夫婦が微笑んだ。あまりに優しい目尻の皺に、軽く会釈をして、俺は息子大先生と目線を合わせた。
「どこにあるの?」
「あそこ!」
人差し指が指す方向を見た。
白い解説版。クジラは超音波を出してコミュニケーションをとります。未だに見つけられない俺に痺れを切らした息子が、また俺の前から走りさる。コラ!という叱り声より先に、ここ!と息子は飛び跳ねた。
「ここにね、クジラの名前があるよ!」
俺がさっき見ていた看板の下。
「ゆういち」
平仮名4文字。確かにその名前があった。恥ずかしいような、古い知り合いにあったような、なんとも表現できない感情が広がった。暑い湯呑みを触った時と同じだ。
もう一回息子を捕まえて今度は抱きあげて見た。流石に無理があるのか小学生らしく、ヤダ、と足を大暴れさせるから、どこにも行くなよ、と肩に手を置いた。
ひとりで悠々と泳ぐクジラ。少しずつ人が集まってくる。自由と孤独。クジラと目があった。錯覚かもしれないが、確かに目が合った。
「ねえお父さん、クジラってどんな声なの?」
「え?どうだろう……でもさっきクジラは超音波で会話するって見たけどなあ」
「超音波って何?」
「うーん……ちょっと違うんだけど、こう、人には聞こえない音っていうか……」
「でも。でも、このクジラはなんか言ってると思うよ」
俺には何も聞こえない。息子は「だれかさがしてるのかなあ」と言った。俺は息子を後ろから抱きしめた。クジラだって会いたい時に会いたい人に会いたい。人じゃなくっても、誰かに、特別なクジラに会えるといいよな。


-3

「あのさあ、」
「うん?」
「最近ね、よくいくスーパーがあるの。ここからちょっと歩くんだけど、安いところがあってさ」
「徒歩何分ぐらい?」
「あ〜、だいたいね……20分、くらい」
「意外と歩くね」
「うん。それでさ、そこの店員さんでね」
音がうるさかった。あ、今日はいつものバンドだ。諦念をこめて歌われるラブソング。なまえさんの大好きなロックバンドがそれでも馬鹿正直に愛を歌う。笑っちゃうくらいに聴きなれたCパート。転調。
「気になる人ができて、そのひとを、すきになったって、いったら」
どうする?
「合鍵、ふたつしかなくて、それで」
ギリギリという音が高くなる。
「……大丈夫だよ、今日おれ持ってる。ほら、先に開けて入ってたじゃん」
「うん」
ああ、おねがいだ。おねがいだよ神様。
「あー、クラゲのストラップって外した方がいい?おれ結構これ気に入ってるんだよね」
「うん」
「うんだけじゃわかんないよ」
おわらないで。おわらせないでくれ。
「ごめん、約束したのに、わがままいったのに、ごめんね」
「おれも、水族館付き合えなくて、ごめん」
「そんなの」
彼女の言葉をさえぎるように、テーブルに合鍵を置いた。震える指で水色のボールチェーンを外して、ちいさな硝子のクラゲをてのひらに握った。買ったあの日より水色は淡くなってしまったな。
「死ぬほど愛してるっていうだけいって死ぬことができないような女になるつもりなかったの。ごめん、でも、私、いまも、あいしてるの……信じられないと思うけど」
「信じるよ。俺だってあいしているよ、このサイドエフェクトに誓って」
室内で流れる音楽とくしくも重なった。君だけを、君のことを愛している。ずっと。多分、死んで生まれ変わっても。

「なまえさん、ひとついい?」
「……なに?」
「息子が生まれたら、悠一って名前にしてよ」
おれのクジラの歌、一世一代のラブソングを聞いて。


23.02.04

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