花と氷菓



アイスを貰った。任務先のおばあさんが有名なソーダ味の氷菓を差し出してにっこりと笑って差し出してくれたもの。ありがたく頂戴したあと、ふと思いついてコンビニに寄って、同じものを購入した。もらったものと買ってものがふたつ。誰かがいれば誰かと食べる。いなかったらそれはその時だ。『誰か』なんて曖昧に濁すけれど、本当は食べたい人なんてひとりしかいなかった。

会いたいなぁ、とコンビニのビニールをぶらぶら揺らしながら高専への帰り道を歩く。真っ黒なアスファルトから立ち上がる熱に頭がくらくらした。前髪の下からも汗が次から次へと垂れて、ぺったりと額につっつく。わたしはずっと風を待っている。夏の中をざぁっと走っていく風を。



新しい緑の葉が日差しを遮って、グレーの葉を地面に描いている。そこに息を潜めるみたいに、世界を切り取るみたいに、夏油が座っていた。一歩近づいて、しゃがむ。なんだい?なんて、微笑むいうリアクションを期待して覗き込めば、すやすやという音が聞こえてきそうな穏やかな音が返ってきた。寝かせてあげたほうがいいかな、目の下を縁取る隈に名前を呼ぼうと開けた口を閉じる。会えただけ幸せってことにしておこう。

夏油から拳一個分の距離を開けてわたしも座る。黒い制服にも同じように影が落ちる。初夏らしいその風景にふっと笑って、アイスのパッケージを破る。念願のアイスは少し汗をかいていて、慌てて舌で表面を舐める。夏油の規則的な寝息とわたしの気ままな咀嚼音。シャリという音と舌で溶ける氷の固まりはわたしの熱を覚ましてはくれないし、夏油は起きそうもなかった。

「夏油、覚えてるかな」

ひとりごちる。風はまだ吹かないから前髪はしぼんだままわたしの額にくっついていて気持ちが悪い。また一口、アイスを口に放り込む。隙間風を望まなかった春の日がずっと遠くにある。わたしは風が起こす変化をずっとずっと待っている。漣のたたない水面は鏡のように美しいけれど、夏にみる海の白い波はまた別格の美しさがあるでしょう?腕を伸ばして最後の一口になったアイスを日に透かす。

「一体何をだい?」
「……起きてたの?」
「いや、さっき起きたよ。それで、なまえのいうのはその約束だったのかなと思ってね」

夏油がわたしの左手に手を重ねる。わたしの言葉を待っている夏油の目が真っ直ぐにわたしを射抜く。風が吹けばいいのに、限界状態の水面はきっとそれだけで決壊して、それで。

「残念ながら約束じゃないんだよなぁ。夏油はなんだと思うの?」
「そうだね。なにか今日が特別な日だったりするのかい?」
「いいや、違うよ。え〜でもちょっとショックだなぁ。夏油ならきっと覚えてると思ってたのに」

夏油の手の下敷きされたわたしの左手をひっくり返して、ぎゅっと指を絡めた。わたしよりもずっと大きくて太い指を羨ましいとは思わないけれど、暖かくて好きだ。好きなものはたとえいくら季節がめぐろうとも変わらないものらしいね。

「寝ている男を起こさないっていうのは『可憐なオンナノコ』と言っても過言ではない気がするんだが」
「見解の相違だね。どんな王道のラブコメシチュでもしつこく起こす幼馴染っているじゃない」
「あれは可憐というのか……?」

しらない、と返して最後の一口を口に含む。ソーダの爽やかな味は冷えた口では判別不可能だ。

「なまえだけそれを食べるのはずるくないか?」
「残り一個だから五条たちにはナイショね」

夏油の方に溶けかかったアイスを投げる。目を細めて「共犯か」と呟いてパッケージを破った。アイスを加えた夏油はわたしを横目で見てあげないよとでいうようにそっぽを向いてしまう。買ったのわたしなのにね。

「なんでそっぽ向くの!」
「なんとなくだよ、特に他意はないさ」

木陰の中で散々言い争うのは楽しかった。あと何年経っても覚えていたいとおもうぐらいに。風を待っている。歴史だとか沢山のひとの記憶に残るような奇跡じゃなくて、道端の石のような普通の、変化のチャンスを。それをわたしたちはずっと逃してきたから、もうどうにもならないかもしれないけれど、それでも。この心地いい居場所を守りたいとも思わなくないけれど。

「なまえ」

夏油がやっとこっちをむいて、ふっと微笑む。「なに?」と問うのと同じタイミングでわたしの腕を掴んで、そのまま夏油の胸に頭をぶつける。こんなに暑いのに何を私たちはやっているんだろう。

「夏油、暑い、お願い、勘弁して」

せっかく口の中だけが冷たくなっていたのに、ぎゅうとだきしめられたせいで変な汗をかいてしまったし、口のなかがカラカラに渇いてしまう。夏油は一方的にだきしめたままなにも言ってはくれないし、状況もよく分からない。

「あの、ほんとに暑いの」

夏油?おもてを上げて、夏油の赤らんだ顔が目に入ってなにも考えられなくなった。首筋を汗がつたっていく。どっちのかはわからない。それぐらいにわたしと夏油の距離が近かった。

夏油の左手がわたしの後頭部を押さえて、薄くあいた唇が触れ合う。もう今日は感じるととはないと思っていたソーダの爽やかな味が、した。力が抜けるみたいにわたしは夏油の腕から落ちて、影の落ちたスカートをみる。

勇気を出して夏油を見れば、夏油も夏油で首まで真っ赤にして、目を見開いている。言葉のでないわたしたちの頰を、髪を、走っていく。溢れた水は、どこへいくかなんて思いもしなかった。最低な言い訳。身体全体が熱を発して、おかしくなってしまいそうだ。

嘘、もう、とっくに手遅れだって。

20.0612

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