満ち欠けする春

スイッチを押せば、ごおんごおんという音が静かな夜の中に流れだす。少し年代の古いドラム式の洗濯機はやっぱり音が大きい。わたしはほかに何をするでも電気をつけでもないままに、ぼうっと回っている洗濯機の中を眺めていた。中で制服が回っているが、もはや原型もなくただの線に見える。

深い黒い影の中に足元からグラグラと落ちて行くようなそんな感覚がしている。はやくここから出ようと思うのに、足はピクリともしない。どうしようかなぁ、いっそのこと、ここで夜が明けるのを待とうか。なんて思い始めた頃、足元にすっと一筋、光が通った。

反射的に光の元を辿れば、右手をあげて「やぁ」と声をあげる夏油がいた。彼はすっかりオフの姿で、こちらへ向かってくるたびにふわりと無造作に下ろした髪が揺れる。

「こんなところで何をしているんだい? せめて電気はつけるべきだろうに」
「……ああ、夏油。うるさかった? 」

へらりと夏油に笑いかける。わたしとしてはいつも通りを装ったつもりだったけれど、夏油は「随分疲れているね」と眉根を下げた。わたしはそれに一つふっと息を漏らすほかない。

いつもこうだ、夏油傑というひとはいつもわたしの柔いところをすくってくる。彼は特に何も言わずわたしの隣までくると腰を下ろす。わたしを見上げて「座ろうか」なんて手首を引いてくれる。それが心地よくて、わたしは頷いて彼のすぐ隣に座った。フローリングは硬いし、冷たい。暦の上ではとっくに春を迎えたが体感は冬だ。

洗濯の回る小さいようで、大きな音がわたしと夏油の間に染み込んでいく。夏油との間にある沈黙は嫌いになれない。わたしにもわかるような春がきて、桜も咲き、いつか近い将来には花も散って春が去る。
けれど、遠すぎて絵空事にすら思えてくる。

「やっぱここ、ちょっと寒いね」
「そうだな。なまえはこんなところで何をしようとしてたんだ? 」
「ん、わたし? 」
「君以外いるか、いまここに」

「ふは、その通りだねぇ」と黒い夜で覆われた天井を見上げる。ここで黒じゃないものと言えばわたしの白い学生服のカッターシャツぐらいだ。理由を問われると少しだけ、言うのを戸惑ってしまう。わたしだけここでは取り残されているような気がしてくるから。硝子とも五条とも夏油とも違う、わたし。わたしがただの落ちこぼれだったなら、彼らと同じ色であれたろうか。

「言いたくないなら無理をすることはない、すまない」

夏油の声にわたしはゆるゆると首をふる。

「……ううん、いつかは言うよ。今は気持ちがまとまってないだけ……うん、真っ先にまとまったら夏油に言いにいくよ」

黒い天井に染み込むようにつぶやく。ええ……と夏油が面倒くさそうな声をあげる、横目でチラリと見れば真っ暗に暗い中でも夏油の顔が歪んでいることだけがわかる。そんな昼間では見れないような夏油が面白くて、声を殺して肩を震わせる。

「そんな大役私に押し付けないでくれ。硝子か悟が適任だろう」
「それは自己評価が低すぎるでしょう、夏油が一番だよ」

だって。一番、わたしを助けてくれる。
多分、わたしが死ぬ時真っ先に思い出して、すぐ忘れるのは夏油だ。硝子のことは好きだし、女子同士でしか分かり合えないことだってある。五条は、なんていうか好きでも嫌いでもないけど好みは似ている。でもその分擦り合わせが面倒でしょうがないというデメリットから目を逸らすのは無理だし、ちょうど今ぐらいの夏油を挟んで隣ぐらいの距離がちょうどいい。「やっぱ、夏油だよ」とひとりごちる。

「買いかぶりすぎだ」
「そうかな、夏油が一番わたしのことわかってるでしょ」
「早いところなまえのその勘違いを直さないとまずいな」

夏油はまだ懲りないのでわたしもムキになって同じ主張を言葉を入れ替えて主張してみる。

「わたしとしてはちゃんと理解してほしいよ。わたしは夏油のことわかんないけど」
「……逆だろう、なまえの方が私をよく理解してくれていると思うけれどね。君はよく人を見ているし。あ、私が君の最大の理解者ということ以外ではね」
「……これは由々しき問題ですね」

ね、夏油?と彼の顔を覗き込む。すっかり闇になれた目は、夏油のいたずらっぽく瞬く瞳を間違えない。

「はは。そうだ、これは由々しき事態だ」
「擦り合わせが必要だね」
「せっかくだ、外まで確かめに行くかい?」

夏油がそう言って、わたしの方へ手を出す。座っているわたしたちがそうするととても不恰好だったけれど、わたしも夏油の手のひらにわたしのものを載せてみる。
「いいかい?」夏油が笑う。わたしも笑って「もちろん」と返した。

まだ洗濯機はごおんごおんと唸るような音を上げていたけれど、わたしたちは振り返りもせず、そのまま暗闇を抜け出した。



「さて、どうしよっか」

勢いで出てきた夜の東京は、外なのにむしろさっきよりも明るい。街灯の白い光が目にチカチカして残像がまぶらの裏に焼き付いてしまいそうなのがいやで、目頭を揉む。そんなわたしの隣でぷっ、と吹き出す音がする。犯人は夏油以外いない。

「笑わなくてもいいでしょうに」

ゆっくりと指を離しながら、隣を睨む。視界はどこかぼやけていたけれど、二、三回瞬きを追加すれば夏油の輪郭がはっきりとする。いつの間にやら彼はいつも通り髪を結わえている。全然気づかなかったな、と少し驚く。

「すまないね。とてもじゃないが十代がする所作には見えなくてね」
「はい、傑くん! 十代だって目は疲れると思います!」

ピン、と小学生みたいにまっすぐ伸ばした腕をこれでもかと主張する。ここは外だし、わたしたちはちっとも小学生じゃないけれど、なんだか楽しくて腹の底から笑いが込み上げてくる。

「それは……。ああ、それにしても、貫禄が入っていますね」
「言い方変えればいいってもんじゃないの」

どん、と夏油の肩にぶつかる。いつもより数倍テンションの高いわたしに、夏油はぱちくりとしばし硬直する。わたしもわたしでおかしいテンションになっているという自覚はある。ある、けれど、コントロールできるものじゃないからなぁなんて思いながら、車が前を通り過ぎてゆくのをみる。初めて東京にきた時は地元との匂いの違いに驚いたっけ。

「どうしてそんなにテンションが高いんだい?いろいろ通り越して怖いよ?」
「ん〜?夜だから?」
「いつも夜こんなだった覚えはないな」

夏油がそうぼやくので、わたしはそのまま肩にぐりぐりと額を擦りつける。わたしはどうしようもなく寒くて、寂しい。ここは夜といえど、なんていっても東京なので、みんながみんな大人しくベットで寝ているわけじゃない。昼間の道路とは違う色を灯す街中でわたしはどうしようもなく寂しいから、それを隠したかった。

「……そうだ、海へいこうか」

脈絡も全て無視したセリフ。それはまちがいなく夏油から発されたもの。けれど、うまく飲み込めなくて、夏油の切れ長の目を見つめた。

「なまえ、海に行こう。できるだけ遠くの」

夏油の瞳にはたしかに街中のネオンが入り込んでいたけれど、それ以外の輝きも見えたのはわたしの見間違いだろうか。

「ここから遠い海ってどこ?沖縄? 」
「流石に今から飛行機は厳しいかな。なによりも金が足りない」
「じゃあ逆に一番近いのは東京湾? 」
「湾は海ではないな」
「えー……じゃあ。そうだね」
「いい案でもうかんだかい? 」
「うん。ね、うちの地元の海までいこうよ」

「なまえの地元? 」と夏油が珍しくおうむ返しをする。さっきもそうだったけれど、夏油が驚いた顔をすると年相応、はたまたそれ以上に幼く見えるから不思議だ。チカチカ、とわたしたちの頭上にある街灯が点滅する。街灯やネオンの人工的な光に遮られて、月の光はわたしたちにはとどかない。それでも、わたしたちを見下ろすようにまんまるの月はそこで漂っている。

「わたしの地元がわかんないか」
「いや、それはわかるよ。なるほど、と思ってね。ここからいける距離だ、現実的に見ても」
「よーし、そうと決まれば駅に行こうよ」
「賛成だ。あ、でも一回こっちにおいで、なまえ」

手招きされて、わたしは身体を180度向きを変えて夏油に向き合う。はて、と首を傾げるわたしの肩に夏油がパーカーをかける。あ。と小さく声が漏れる。

「いくら暦の上じゃ春と言ってもまだ寒いからね」
「それじゃあ夏油が冷えるよ」
「私はまだ平気さ。冷えたらその時考えるよ」
「冷えてからじゃ遅いでしょ? わたし頑丈だし、夏油のが繊細じゃん」

肩に乗せられたパーカーを剥がして、呆れた顔をしている夏油の胸に押し付ける。いつのまにか手元からパーカーは奪われて肩に乗っている。なんてことだ。

「実際、今、現在で、冷えている君にはなにも言われたくないな」

大人しく着てくれ、とパーカーのジッパーを引き上げられて、目の前がブラックアウトする。視界いっぱいに広がる布に驚く。あははと夏油が笑ってきて諸手をあげて降参した。それがどうやら夏油の笑いのツボにクリティカルヒットしたらしく、あはははという声がさらに大きくなる。

「笑ってないでどうにかして!」

もういいよ、と拗ねたように口の中でつぶやいて、指先の感覚だけでジッパーをつかもうとする。指にコツンと当たるけれど、それ以上にはどうにもならない。諦めてしまいたくなるけれど、これだと海へいくとかもうそれ以前の話だ。

はぁ、と大きく溜息をついて大人しく手を元の位置へ戻す。袖に腕が通っていないので、腕がむき出しになって寒かった。腕をさするっていると、夏油に突然ジッパーを下げられる。

「ちょ、夏油」
「あーあ、笑ったなぁ。じゃあ駅へいこうか」
「わたしで遊ばないでよ」
「なまえだって私で遊んだりしてたろう?これでおあいこだ」

そのまま腕を掴まれてさらに激しいネオンの方へ進み出す。夏油のペースに足を揃えてあるくと足がもつれそうで「夏油」と名前を呼んだ。



春の海は想像よりもどこか寒そうで、青いというよりもグレーが広がっている。早朝なのも合わせて、わたしたち以外にはぴったりとした水着を身に纏ったサーファーがほんの少しいるぐらい。けれど、朝日に照らされて白くさざめく波はきれいだった。履き潰したスニーカーを脱いで、そのままトレンカを足首まで上げる。この海にくるのもいつぶりだろうかと、砂の感覚に頬が緩んだ。

「海は何年ぶりかな」
「私も高専に入ってからは随分久しいよ」

足首までさぁっと波がすぎる。冷たい、と呟く声は昨夜のわたしとは別人のように跳ねていた。わたしの数歩後ろ歩く夏油と目が合う。夏油の垂れた前髪が海風に揺れて、波と同じようにきらきらと光っていく。朝日によって夏油の黒い髪は茶色を通り越して金色に瞬いている、月のように。

「さすがに海に足をつけるにはまだ早いかな」

指先だけちょん、と渚のあたりをつついてみる。爪の表面だけだから感覚はよくわからない。うーん、と唸るわたしに夏油が「転ぶなよ」と声をかけた。夏油の言う通りここで転んだら大惨事だ。

「でも、海はどうだろうね。最近昼間は暖かいが、まだ夜が開けたばかりだから冷たいんじゃないか? 」
「試してみる? 」

足首まで上げたトレンカを膝のあたりまでぐい、と引き上げて夏油に目配せ。白いカッターシャツに紺色のパーカーを羽織って、プリーツスカートをきているのわたしと違って夏油は全身黒。彼もくしゃりとスラックスを膝までたたんで、わたしににっと歯を見せた。全身が黒いのに、夏油が輝いて見える。さっきまでの自分の考え方にナンセンス!なんて叫びたくもなる。月みたいなんて嘘だよ、陽だまりにみえるね。

深夜をそのまま引きずった澄んだ黒の言葉は、より純度の高い朝日にやられて、わたしの口元で溶ける。

「うっわ、つめた」
「あははこりゃだめだね」
「足先の感覚なくなりそうじゃない?」

ねぇ、と夏油を振り返る。夏油の細められた瞳の中で、真夏の海ではしゃいでいるかのような子供の笑顔が見えた。鏡のように、わたしがこちらに笑いかけている。ゆっくりと指を伸ばす。鏡ではないから、わたしの指先はそのまま夏油に捕まる。

「上着を着ておいて正解だったな」
「……その節はどうもありがとうございます、もう離してよ」
「残念ながら答えはノーだ」
「どうして?」
「離したらどこかへ行ってしまいそうだから」
「わたしって、そんな砂みたいにみえる?」
「砂ならいいよ。代わりならごまんとある。万で足りれば幸運なほうだろう」

なにが言いたいのかわからなくて、そのまま夏油の顔を見つめる。切れ長の目。五条の隣にいると小柄にみえるけれど、わたしよりも頭一つとちょっと高い位置にある、頭。金色に揺れながら瞬く前髪。分かっているようで、わからない人。夏油はわたしを『最大の理解者』なんて評するけれど、やっぱりわたしにこれは不釣り合いじゃないだろうか。

「わたしは」

言葉は見つかっていないけれど、とにかく、夏油の真意を知りたくて「わたしは」と繰り返す。わたしはさ、夏油。足首を超えて、ふくらはぎに小さな波がぶつかる。いつのまにか、スニーカーを投げ捨てた場所から遠くへ来ている。なにを言いたいか迷子になっているわたしの羽織ったパーカーのポケットでけたたましい音がなる。

「夏油、電話だ。どうしよ、えっ、と」
「落ち着いてくれ。落ち着いたらでいいから、携帯を渡してくれればいい」

頷いて、小さく息を吐く。またぴかぴか画面を点滅させながら音を鳴らすスライド式の携帯を右ポケットに手を突っ込んで取り出して、夏油の手のひらに置く。

「もしもし、悟かい? どうした」

夏油はわたしの手首を掴んだままだ。べつによくもなければ悪くもない。分かっているけれど、なにも言えずに夏油を見上げる。

「なまえ? ああ、もちろん、一緒にいるよ。朝の海ってまだ冷たいんだな、驚いたよ」

「はぁ? 」と五条の大声がスピーカー越しに漏れる。どれだけ大きな声を上げているんだろう、とわたしの目もすっと細くなる。五条、硝子。そのあまりにも耳に馴染んだ名前はわたしを現実に戻していく。

「どこって……。言ったじゃないか、ついさっき。海だよ、九十九里浜」

今度は五条の声はわたしには聞こえてはこなかったけど、彼がどんな顔をしているのかはわかる。サングラスを鼻の頭までずり下ろしたのもそのままで、目をギンッと見開いているのだ。

「いつ帰るか?それは、まだ決めていないよ。気が済んだら帰ろうと思っている」

じゃあな、と一方的にも、夏油が通話を終わらせてしまう。無言で見上げるわたしに「だいぶ遠くまで来たね」と微笑む夏油に、砂浜に帰ろうと、袖を引いた。



白く湯気を上げるコーヒーを両手に、右の腕にはコンビニの袋を下げて、わたしは左右を見渡す。わたしのスニーカーはすっかり色を変え、今にも解けそうな靴紐が歩くたびにゆらゆらと揺れる。

「お待たせ、夏油。こんなとこで待ってなくてもよかったのに」
「いや、ここで充分だ。ありがとう、金は足りたかい?」
「あはは、そのぐらいはあったよ」

夏油の隣に腰を下ろす。夏油の片手にコーヒーを渡して、あ、と私はコンビニの袋をごそごそと漁る。朝ごはんがわりになるだろうと見繕ってきたおにぎりを膝の上に並べる。夏油がこちらに身を乗り出す。割と海ではしゃいだからお腹がすいていてもおかしくはない。

「おかか、昆布、ツナマヨ、鮭。結構買ったね」
「なんか見たら楽しくなっちゃってね」

ちょっと恥ずかしいな、と浮かれて選んだようなおにぎりの数に耳が熱くなる。夏油の視線から逃れるみたいに空を仰ぐ。
空に枝をまっすぐ伸ばす桜の枝が視界いっぱいに広がる。薄いピンクのベールを羽織ったかのような枝に目を細める。ああ、もうそこまで春が来ている。春からは少し距離は感じるけれど、来ることは確からしい。
海のさざめく音がわたしと夏油の間に染み込んでいく。夏油との間にある沈黙は嫌いになれない。春がきて桜も咲き、いつか近い将来には花も散って春が去る。けれど、また。

「もう少しで咲きそうだな。ああ、高専の近くにある公園の桜が綺麗だって知っているかい? 」
「そうなの? 意外と高専近くって見てないかも」

高専に通うようになってから、硝子と一緒に新宿とか原宿の繁華街には遊びに行ったり、服やら雑貨の買い物に出かけたりしたけれど、意外と近くのことの方が知らないままだ。もうここに来て三年目に入ろうとしているのに。
手元で湯気を上げるコーヒーにふう、と息をかける。まだ舌をやけどしてしまいそうなぐらいの温度かな、と思いつつ小さくコーヒーを啜る。

「じゃあ、今度。行こうか」

ゆっくりと隣を見る。ぽかんと、ただ目を見開いているわたしが夏油の瞳のなかに映っていて、そんなわたしを見てにっと笑う。コーヒーを持っていない方のわたしの左手の小指に指が絡まる。
言わなきゃいけないことも聞きたいと思ったこともあるのに、何からどう手をつければいいのかがわからない。わからないよ、夏油。

「ふたりで行こう。約束だ」
「……約束だね」

ゆびきりげんまん。そう、似合わない言葉を夏油が呟く。ゆびきりなんてしなくてもいいのに。わたしのそんな気持ちを知らないままで、夏油は針1000本を引き合いに出してくるから、わたしは大きな手のひらをぎゅっと握る。細い、でも男らしく骨張った、その小指に頼るようなか弱い女の子じゃないの。

「やっぱり夏油はわたしのことわかってないのかも」
「……やっぱりってなんだい?」

困ったように眉根を下げる夏油をそのままに、わたしはコーヒーを啜る。さっきよりも温度は下がっていて、わたしの舌にちょうどいい温度になっている。夏油はわたしをよく知らない。その事実はわたしの心の隙間を作るような気がして、わたしは夏油の手を握る力を込める。

「それをいうならなまえもだよ」

手は離せないのに、「わたしたちお互いに独り善がりってことかな」と首をすくめる。「そうだね」とすげなく返される。否定して欲しかった。見たくもないのに白い波が走っていくのが向こうに見える。やっぱり、手を離すことはできない。

「私は手を繋ぐなら、ここまで絡んだ方が好みなんだ」

ぴったり。指と指が絡まる。隙間風なんかは入らないぐらい、ううん、むしろ針一本すらも入り込む隙はない。温かな温もりが嫌でも伝わってくるから、わたしはもう、ずるいとうわごとのように繰り返す。ずるいよ。

「わたしもね、針1000本で満足できる可憐なオンナノコじゃないよ」
「全く、なまえは物騒だな」

ふわり、とわたしと夏油の髪を風が撫でていく。ちょっとしょっぱい海風。

「ねぇ夏油」
「……なんだい?」

わたしが思うよりも、春ってもうすぐそこにあるみたい。

20.03.01
企画「クリティの蜜涙」提出

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