左手に飼うものは

意識が浮上して、重いまぶたをゆっくりと上げる。任務が終わってすぐ部屋に帰って寝てしまったんだったか。くぁ、と次から次へと登ってくる眠気を振り払って時計を探した。たしか左手側に置いてあったはずだ。そのまま手だけ動かす。

「あ」

熱を持った柔らかい何かと手の甲がぶつかる。
は?と眉間にシワがよるのがわかる。少し首を傾げたが、すぐに原因がわかった。どうやら、うまく俺の死角に隠れてたらしい。ゆっくりと身体を持ち上げて、不自然に視線が合わないなまえにため息をつく。

「…………『あ』じゃねぇよ。なまえ、オマエ勝手になにしてんだよ」
「ん〜?恵って指綺麗だな〜って」

なんのこと?とヘッタクソな笑顔を口元に浮かべて、さっさと後ろ手に隠したものをアイツのポケットに入れるのを俺は見逃さなかった。あきらかに不審だ。本当にコイツは隠し事が下手すぎる。だが、不思議と怒りはない。いや、別にそこまで不思議ではないか。

「今隠したもん寄越せ」
「やだなぁ恵くんってば〜。誤解です」
「おい」
「……」
「手、出せ」

半ば八つ当たりとのように詰問すると、ガックリと肩を落としたなまえが「うす……」とポケットからブツを出した。この前もこういうことがあってその時は、スマホで寝顔を撮られたんだったか。どうせその口のくだらねぇことだろう、となまえの手のひらをみて、少し驚いた。

「メジャー」

黄色のシンプルな円形のメジャー。これで何を測ってんだよ。ゆっくりとメジャーを拾い上げて、なまえに文句の一つで言ってやろうとした。でも。真っ赤な顔を両手で隠すなまえに、さすがの俺も、なにを目的としていたか察してしまった。俺の耳も一気にカッと熱を持つ。いま、なまえがみていなくてよかった。さすがにこれはダサすぎるだろ。いつもカッコつけられてとは思ってねぇけど、好きな奴には、できれば格好つけられたところだけ見ていてほしいわけで。

「なにもいうまい!!察して!!唆されたの!!五条先生が悪いの!!」

俺が何か言う前にわっ!とまくし立てるなまえの手首を掴む。俺の方に引っ張り上げて、顔を覗き込む。泣きそうに眉は下がっていて色は真っ赤。そのくせに、指先に触れると冷たい。なんらかのアクションを起こしてくるのはいつもいつもなまえの方だ。告白だって俺がしようと思っていたのに、先を越されてしまった。まぁ、今回はその顔で全部どうでも良くなっだけど。女々しい思考に虚しくなってはぁ、と溜息をつく。掴んだなまえの手がぴくりと震える。クソ、やっぱり俺はことごとく毒されている。こんな所作すら愛しいとか。

「あのな、普通逆だろ」

左手と左手を絡める。冷たい指先にはきっと銀色の指輪が似合う。らしくないことを考えているのはわかっているが、でも、そう言わずにはいられない。俺のものよりひとまわり小さくて、青白い薬指の付け根を意味もなくなぞる。

「……め、恵。恥ずかしい」
「勝手に恥ずかしがってろよ」
「そっちだって恥ずかしいんじゃん、ばか…」

俺と逆サイドを向いた火照った横顔は、最初の勢いはもうなかった。細い髪がぱらり、と耳から落ちる。なまえの顔をカーテンのように覆う髪を耳にかけてやると「ばか」と小さくもう一度なまえが呟いて、ふっと微笑む。

「ね、恵。もし私が寝てたら、指のサイズとか測るの?」
「…………………時と場合による」
「なにそれ」
「俺も自分で何をいってるかわかんねぇよ」

すっかり温い左手。血色よく色づく頬と、照明によって淡い栗色に透ける前髪。それから、幸せそうに細められた夕焼けのように色鮮やかな唇がとても綺麗だ。

「ね、恵ならどういうの好き?」
「……普段つけてて邪魔じゃないやつ」

すっかり形勢逆転した、というよりも通常運転に戻ったなまえの問いに、一瞬、本当に言うか迷って、それでも口にした。これで永遠を誓えるほど子供ではない。

「あはは」
「あんだよ」
「んー?私と趣味が同じで嬉しいなぁって」
「オマエはちゃんとしたやつのがいいんじゃねぇの?」
「ちゃんとしたって?」
「ダイヤとかそういう。……ホラ、婚約指輪みたいなのとかはいいのかよ」
「恵って結構こだわるよね」

空いている俺の左手を持ち上げて、なまえがそっと唇を落とす。俺の左手に淡いオレンジとレッドを混ぜたようなキスマークが残る。

「なまえッ、オマエな……」
「あっ、結婚と結構で韻踏んでるとかじゃないからね!そういう寒いやつじゃない!」
「そこじゃねぇし、意味わかんねぇ説明で意味不明に寒くなったわ」

あー、と目をきつく閉じて、思わず天井を仰ぐ。あはは、と声を上げて笑う彼女は愛おしいなんて撤回したくなる。綺麗で見惚れた数分前の俺にこんなことになるんだからやめておけと言いたくなる。どうせ耳を貸さないだろうが。

「私だって寒いよ」
「……暖房の設定、あげるか?」

ささやかな反撃をすると、俺の手を開放したそのままの勢いで背中を叩いてくる。

「意気地なし!ムッツリ!」
「……そっちがその気ならやってやるよ」
「なにを、って、わ」

衝動的に左手の薬指を噛む。白い肌に赤く鬱血した噛み跡が映えている。指輪のダイヤモンドのように自己主張する跡を撫でた。

「恵、イカれてるよやっぱり」

左手を呆れたように見るなまえに「うつせぇ」とだけいって絆創膏を投げた俺の左手の甲にしばらくコーラルオレンジが住み着くのもいいかもしれない。

20.02.29

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