矛盾と踊るわ掌で

「三輪くん、わたしが卒業したらスカーフあげるね」

 はじけそうな蝉の声。ひかる桜のはなびらたち。眠れる木々の朽ちる行方。死んだような指のぬくもり。彼の首ではためく赤いマフラー。三輪くん。結局、キミは最後までわたしのスカーフを見なかったね。でもきっとそれでいい。ううん、それがいいよ。

 アンタが嫌いだ。
 わたしと三輪くんのファーストインプレッションは彼の射殺すかのような視線と拒絶の言葉だった。夜中、夢に見るほどまでに、研ぎ澄まされた言葉。嫌い。きらい。キライ。何度も何度も言葉を咀嚼する。布団の中でまっくろな闇を見つめるときの視界によく似ていた。それに気が付いた瞬間からずっと心臓が痛い。心臓が動く感覚が生々しい。なんていえば伝わるのかわからない。けれど、きっと彼もそうだったのだと、確信した。

「キミはわたしが嫌いみたいだけど、わたしはキミのその目が素敵だと思う。特に私を嫌いっていうときの視線とか」

 基地の廊下ですれ違っただけの彼を捕まえ、そう言ってやれば、三輪くんが「は?」と目を見開いた。その時ばかりは三輪くんとて目を見開いて呆然と立ち尽くしていた。いつものような視線はどこにもない。そうやって私を見上げる彼は子供のようだった。

「そうやってへらへらしているところが嫌いだ、目障りだ、早くどこかへ行ってくれ」

 思いついたことだけをまくしたてて立ち去った彼の背中がいまだに忘れられない。あの日から彼は『キミ』じゃなくて『三輪くん』になってしまった。心臓が彼を呼ぶから致し方ない。毎日のようにわたしは東隊の隊室に足を運んでは、三輪君にちょっかいを出す。三輪くん。名前を呼ぶと満たされたような心地がした。

 嫌いだ。わたしは三輪くんのことがとても気に入っているの。そんなの関係ない、目障りだ、どっかいけ。そんなこといわないでさあ、三輪くん、ランク戦でもしようよ。断る。太刀川さんにぼろ負けじゃん、どうするの?うるさい、今日こそ勝ち越してやる。

 三輪くんはわたしがからかうように見下ろせば、負けじとわたしの目を睨み返す。本当に視線だけで人が殺せそう。そんな三輪くんの手をとって訓練室へ入室した。わたしに手を引かれているという事実に不愉快そうに顔を歪める三輪くん、打って変わって愉快そうに微笑むわたし。

「お、オマエらこれからランク戦やんのか。で、そのあとは?」
「太刀川さんには付き合いませんよ」

 ぬっと出てきた太刀川さんがわたしと三輪くんの肩を組む。

「ええー、そんな硬いこと言うなよー。風間さんも迅もいねえからさ、一回だけ!な、オマエの経験にもなるし俺は相手が捕まる!これ以上いいことってねえじゃん!」
「わたしは三輪くんとすることしか今頭にありません」
「なんか響きやらしーな」

 わたしの足も、三輪くんの呼吸もぴたりと停止する。先に言葉を発したのは三輪くんだった。彼はわたしの手を振りほどいて腰から下がった弧月の持ち手に手を添える。三輪くんの少年らしい横顔と武骨な刀の間には形容しきれないような温度差がある。

「…………コイツとそういう関係にみられるのもアンタと関わるのも疲れたんだが」

 ふたりきりになれたね、簡素な部屋の中でとびきりの笑顔で微笑むと、三輪くんが弧月を、トリガーを、握り締めるのがみえた。これと似たようなセリフなんて、個人ランク戦をするときに言っている。過剰な反応をみせることは多々あるけれどここまで殺気で上塗りされるのは初めてじゃないかな。三輪くんはわたしに背中を向けたまま。
 あーあ、わたしは今日初めて太刀川さんのことを切り刻んでしまいたいと思ったわ。だって、わたしが三輪くんとランク戦をする理由はたった一つしかないのに、それをあの人ったら無茶苦茶にしたんだもの。

「三輪くんはわたしのこと嫌いだもんね」

 ようやく三輪くんが振り返る。三輪くんの弧月が本物の月さながらに綺麗にきらりと光る。わたしと視線がかち合うと、紫がかった瞳が歪んだ。おまえが勝手に俺の感情を決めるな。
 言葉こそないけれど三輪くんの目は親切にもちゃんとわたしに激情を伝達した。わたしも腰から下げた弧月に手を伸ばす。ねえ三輪くん、おわりのおわりまでわたしに付き合ってね?「あともう一回」をおまじないみたいに唱えて、形式だけのラストダンスをあと何十回も繰り返してほしい。

 いつか、キミが必要じゃなくなるまで。
 
 感情任せでとった行動はわかりやすい。踏み込みすぎだなあと分析しながら。三輪くん優勢の構図から転じて、わたしの間合いになる。耳元で掠める剣の音を聞いて、彼の足を蹴り上げる。油断も隙もない。首や心臓部を狙ってすぐに終わらせたいはやまやまだけれど、生憎、それができるほどわたしたちに力量差は存在しない。
 己のペースを崩した方が黒星を決する。わたしたちの暗黙の了解。何十分も三輪くんの隙をつけ狙う。彼は彼でわたしの甘い攻撃をきっちりさばいていく。大きめのステップでカウンターをさけて、背後に回りこむ。無防備な三輪くんの首元へ弧月をふるう。あからさまな手だ、幾度もわたしはこの作戦を三輪くんに挑んでは逆に傷痕をつけられている。でも、今日のは絶対に入る。確信。三輪くんの耳に口を寄せる。一つ下の男の子の頭は僅かにわたしよりも低い。多分5センチもない、それでもわたしは彼より年上だった。ちょっと腰をかがめ、三輪くんの首に弧月を添える。少しの力できっとこの体を壊せるほど、近かった。

 あのね、三輪くん、わたし本部オペレーターになろうとおもうの。

 抵抗はなかった。どうして。三輪くんが続きを言うよりも先に煙幕が広がる。トリオン体に何の問題もないのに、じわりと視界が歪んだから目を閉じた。わたしたちまだまにあうのかな。三輪くんはきっとこの続きをわたしにはしない。そういう子だ。だから、わたしは彼を見るたびに心臓がおかしくなる。ねえ、わたし、三輪くんとはここじゃないどこかで出会いたかった。これ、キミならなんていうだろ。
 目をあけても箱の中にはわたしひとりだった。やまびこも、キミもなにもないまま。

 三輪くんは、わたしが嫌いだという。けれど、わたしをあしらうときも最後はまっすぐわたしを見るのだ。どうして、なんて。わたしのセリフだよ。どうして?どうしてもっとちゃんと拒絶しないの?受け入れて変わってもくれないくせに。
 どうしても離れがたくてわたしは三輪くんのことばかり考えている。夜目が利くようになったって、今の時代なんの役にもたちゃしないって知っているのに。
 ちぐはぐで、ゆがんでいて、普通なら間違いなく不協和音になるのに、不思議と韻律だった。だから離れがたい。彼の特別にはならなくていいし、家族のようにすべて分かり合いたくはない。
キミではないわたしにできることを今でも探している。


「三輪くん三輪くん、アイス食べる?」
「要らない」

 顔を上げることなく断りをいれる三輪くんの前の席に腰を下ろす。声をかけたところですげなく断られてしまうことはわかっていた。だから本部に来る前にアイスは買ってある。ふたつくっついているコーヒ味のアイス。ひっぱるとふたりでひとつだったアイスもあっという間にほどける。あ。ほどけるなんて形容は間違っているんだった。

「わたしアイス食べるの下手だから、残りのひとつは三輪くんにあげる。今日すごく暑いでしょ?」
「いま勉強中だ」
「さっきからチラチラ見えてたんだけど、三輪くんずっと真面目に取り組んでるよね。息抜きも必要だと思うんだれど」
「残飯処理なら誰でもいいだろう」
「ええ、そんなこと言わなくてもよくない?わたしは然るべきひとにあげる義務があると思ってるんだよこれでも。なにしろ、これをほどいたのはわたしだし」
「ほどいた?」

 三輪くんの顔がノートから上がる。視線がかちあって、わたしは言葉に詰まった。アイスの側面についていた水滴がゆっくりと落下する。スカート、染みになっちゃう。なにもいわないわたしに三輪くんが不愉快そうに眉を歪める。
 おい、と気遣う声がする。大丈夫か?という言葉を言おうとしたのだろう、けれど、やっぱり三輪くんの口も硬直してしまった。紫ががった視線だけがわたしの心臓に並々と注がれる。そして、どくり、とうねった。

「……あはは、言い間違えちゃった。とにかく、三輪くんみたいなタイプは頑張りすぎて後でつらくなるタイプだから、適切な休憩入れたほうがいいよ」

 三輪くんの空いている左手にアイスを握らせる。冷たさに視線が揺れて、やっぱりこういうところがいいなと思った。いい、という感情は現代アートさながら鮮やかな色と曲線でざっくりしていた。深く考えたらだめだ、抽象は抽象であるからこそ良い。

 ねえ、三輪くん。
 こころの中で静かに問いかける。この感情ってなんて形容すると思う? 三輪くんなら、なんて名前をつけたい?


「秀次に構うのはいいがあんまりひどくいじめるなよ」

 誰も何も変わらなかった。変わったのはわたしの脳みそだけなのかもしれない。東さんの言葉には首肯だけを返した。なにも私は彼をいじめたいわけじゃない。のどが痛い。心臓に小石が詰まったようにいたくて、ひとりでいると叫びだしそうだった。ううん、もしもいまわたしがトリガーを持っていたら、間違いなく心臓に弧月を突き刺していただろう。

 ひとりで暗い細い路地を曲がるときが一番だめだった。指は冷えて、冷や汗がカッターシャツを濡らす。そうしてまた指先の温度が下がる。典型的な悪循環。痙攣する左手を抑えながら、大通りを目指ざして歩いた。コンビニの白い光がアスファルトに反射している。広い駐車場にはたった一台しか車はない。けれど、絵の具のチューブからそのまま使ったような赤い色をした車。夜の中でマッチのような存在感。あの車は寂しくなさそうに見えて、いいなあ、と言葉が口をついて出た。
 羨望。無意識が発した言葉がわたしの喉がまた悲鳴を上げる。手がのどにかかる、けれどそれを制したのはよく知っている双眼だった。風がわたしたちの前髪をすくった。生ぬるい風はだれの呼吸だろう。

「……三輪くん?」
「自分の体調ぐらい、自分でどうにかしたらどうだ」
「ああ、ちょっと夏バデ気味なの。東さんてみんなに過保護でしょう? いちいち気にしてたら身が持たないよ」
「どうして戦闘員をやめたんだ」
「三輪くん、身長伸びたね」
「質問に答えろ」
「あはは、ごめんね。たいそうな理由なんかないの、三輪くんもわたしも成長するから、あのときに一緒に踊ってほしかったの」

 答えなんかないよ。答えのない根拠のない形骸化した回答。わたしも大人になってるってこと。キミだけはないてもいいよ。嘘つきだって詰って。

「俺たちは会話が成り立たないのに、なぜ東さんはアンタの話を俺にしたと思う?」
「さあ」
「……それならいい。家、どっちだ」
「まさかとは思うけど送ってくれるの? 三輪くんが?」
「疲労でボーダー隊員が救急車で運ばれてみろ、ボーダーなんかあっという間につぶれる」

 三輪くんはわたしの手首をつかんだままだった。あっち、と自由な右手で方向を示すとそのまま手を引いていく。三輪くんの手はちょっと湿っていた。

 それから、わたしたちはあの夏の間、三回ほど一緒にアイスを食べて、アイスを食べた後は三輪くんと一緒に帰った。マンションの前で別れる。けれど、彼はわたしがオートロックのガラスドアの向こうへ行くまで必ずといっていいほどそこに佇んでいた。その時の三輪くんの表情は陰にのまれていつも見えない。紺色のなかに滲んでその輪郭があいまいになるのに、三輪くんは夜のなかに溶けることはなかった。

 三回とも、全部。三輪くんはあれ以上なにも聞かなかった。