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緑牛部下設定
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「もう、何処に行ったのかしら!」
ひょんな処で拾った小さな飼い犬は、元々野良犬であった性分故かベルから離れて脱走する事が良くあった。連れて歩いているのは何も可愛さ故だとか、家で待たせるのが可哀想だからとか、そんな理由ではない。
あの犬は立派な軍犬なのだ。それもまだ、厳しい軍犬試験の通ったばかりの。立派に中将として戦うベルのサポートも出来る優秀な軍犬として育てられたものの、未だに課題ありな行動はいかがなものか。食べ物に釣られてついていく事はないが、何か興味があったり好奇心を擽られるとふらりと主人を差し置いて出歩く始末。
名は、豆助(マメスケ)。雄。
「あら?」
本部中飼い犬を探して回るベルの様子はもはや海兵たちの中でも日常茶飯事だったのだが、今日は一点違った。探し回る彼女に一目散に目掛けて、一羽の鴎が白い手紙らしき物を口に咥えてやってきたのだった。軍部内の伝書鴎であり、緊急用連絡にもよく使われる。
【広場横入口、はぐれ犬あり】
力強く、だが正しく丁寧な模範的すぎるその字に圧倒されつつも、物凄く助かる親切な内容がそこにはあって、たった一行なのに直ちに豆助の事だと解った。これで捜す手間が大幅に省けたし、一先ず一件落着ではあるのだが、ベルは何点か疑問を拭えなかった訳であって。
ーーそれにしても。
「これ、いったい誰からなの?」
「クエー」
「……分かったわ。0番君、またあとで」
伝書鴎に差出人を聞いても、彼らはただ首を横に振り、用が終わればさっさと持ち場に戻る。
2年前のマリンフォード頂上戦争の教訓から、万一の部外者侵入を防ぐため極力個人情報の取り扱いを厳重にした経緯がある。確かにこれ程広い軍部ならば何処から侵入されるか、警戒は必要ではあるが……。こんな時は逆に面倒なものである。
取りあえずベルは六式を使って、迷子犬を捕獲しようと先を急いだ。
「あっ、こら!」
手紙の内容は間違いなく事実だった。広場横入口の頑丈に閉められた門の前で、耳を下げ途方に暮れるあれでも一応軍犬が情けない顔で一匹ぽつん。
「マメ!心配したじゃない、勝手にいなくなるなんて!めっ!」
「くぅぅん……」
「?……あれ、あなた一人だったの?」
手紙の主がもしかすればマメの近くにいるのでは、と彼女は踏んで飛んで来たのだが一足遅かったのか。誰一人人の気配もなく、ただがらんと海軍本部広場の地が向こうにまで続いている。手紙の差出人はマメと一緒にいたのだろうか、それとも軍部要塞から垣間見たのかどうか、それすらも定かではない。
怒られた罰の悪さに足にすり寄ってきたマメにもう一度状況を聞くも、犬に聞いたところで誰かも分かる訳ないかと諦め、彼女はそそくさと相方を連れて仕事場に戻った。
念のため、今回家の犬が世話になった事の礼といったい差出人が誰かを、彼女は明らかにする為に普段余り使わないレターセットを一部引き出しから取り出した。羽根ペンは未だしも、レターセットだなんて久しぶりに使った。
【何処の何方か存じ上げませんがありがとうございました。お陰様で無事保護できました。何かお礼をしたいのですが……宜しければ貴方様のお名前を教えて頂けますか?ベル】
恐らく差出人はベルの名前を知っているのだろうが、それも念のために。差出人のような厳かで正しい字を書ける訳でもないのだが、それでも丁寧な字を連ねて先程の伝書鴎に送ってもらうと。
返事はその次の日だった。
【礼には及ばず】
と、ただ一言。名乗りもせず、礼も受け取らずとはなかなか強情な御方でもある。だがこの短い文章と剛筆さで推測できるのは、何となく曲がった事が大嫌いでゴチャゴチャと話す事が無駄だと感じていらっしゃる方なのだろう。恐らく差出人は男性で、女好きでフランクな自分の上司とは正反対な……気難しい御方なのかもしれない。
そしてもうひとつ。すんと、手紙から仄かに薫る煙からして喫煙者みたい、ね。
ふふふ、と自分の探偵ぶりに少し笑ってしまってその手紙は仕事机の一番使わぬ引き出しの中に眠る事になった。長い間海兵をしていると、摩訶不思議な事など幾多もあるものだろう。そんなほっこりとした、出来事だったのだ。
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ーーーしかし、その三日後。
【第三訓練所、怪我あり】
誰が、とも書かれていなくても一目で分かった。名乗らずとも見覚えある字とこの短い言葉だけでつい先日、飼い犬が迷子になった時と同じ。
今度は怪我もしているらしく、一刻も早く大事な飼い犬の元へ足を急ぐ。文は有難いが、どの程度怪我をしたかも序でに教えて頂きたかったと、まぁそんな文句を言った処で飼い主の監視不十分と言われればそれまでなのだが。
「マメ!」
「おー、誰かと思ったら」
訓練所は確か、直属の上司緑牛大将の処だった。その人はぐたりと傷ついた飼い犬を嗤いながらも抱き抱えていて、その他の海兵達も随分絞られたのだろう。飼い犬同様ぐたりとへばっていて、一体どんな訓練をされたのか。
だが、取りあえずマメは訓練疲れと多少の擦り傷のようで良かった。そしてこの状況を鑑みて考慮するに、あの文はこの人ではないかと仮説が立てられる事になり、マメの治療と共にこれまで文の経緯を告白してみることにしたのだが……。
「らはは!面白ぇな。そいつぁ豆太郎が懐いてるんじゃねぇのか?」
「豆助です!どうなんでしょう……相手は私やマメの行動範囲を知ってるって事は、軍部内でしかあり得ないはずなんですけどね……」
チラリと貴方では?と視線を配るも、当の本人はなんの事やらと笑っていてどうも黒ではなさそうだ。でも確かに、あの字は緑牛大将のやる気のない字ではない。喫煙はするけれども。
私の居所は鴎に捜させるとして、何故マメの居所を差出人は知っているのか。マメはその差出人に懐いているとしたら……緑牛大将ならあり得る話だと踏んで話したが、この人でもないとすると。
ーーあぁ、皆目見当もつかない。
若干頭を抱えた私を、隣で楽観的に笑うこの人が正直憎い。
「恥ずかしがり屋なんだろ。そんであんたに興味があんのさ。でなけりゃそこら辺にいそうなそのワンコの事で、いちいち相手にするかよ」
この人はすぐそうやって、男女の事だったり色恋沙汰をアダルティックに冗談半分で交えるんだから。この手紙の差出人はマメの事純粋に心配してくれてる、犬好きで素敵な男性かもしれないっていうのに。
「まさか……大将だったりしませんよね?」
「だぁっ、俺はそんな性分じゃねぇよ面倒くせぇ!らはは!案外名乗らねェのも物凄い下っ端か、はたまた……いや、あの人はねェか」
意味深ににやりと笑って、「それじゃあ俺はこの辺で」と残してそそくさと帰っていった。大将の“あの人”発言が気掛かりではあったが、この際自分の事は自分で辿り着くしか方法はないようだった。それにしても、2回連続こうも名乗らず飼い犬を見られていると思うと、少し……ぞくっとするのも仕方ないと思う。
【重ね重ねお助け頂きありがとうございました。よく脱走してしまうペットでして……あの、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいで、些かお礼をさせて頂きたいと存じ上げます。勝手ながら、今夜広場横入口にてお待ちしております。ベル】
勿論純粋なお礼を言いたい気持ち。そして、差出人は誰なのかを早く解明したい気持ち。
こうなったら自分の目で確かめるべきだと少し気合いを入れて、海風が気持ちよく波の音しか聞こえない程の静けさの中、その人物を心待ちにしてみる事にしたのだが。
来てくれたのは、私に三度目の文を届けにきたあの伝書鴎の0番君であった。
【暫し文の遣り取りを願いたい】
「っ、まぁ……!」
あの女好きな大将が言う通りだと解釈をしてよいのだろうか。しかし、でなければ文の遣り取りだなんてわざわざ……。
かぁぁっと紅くなっているだろう。この顔を大将に見られなくて良かった。たった十三文字だけで心を落とされるとは、私はなんて安い女なの。
「……」
だけど少し、興味が出てきたのは本音。
この手紙の差出人は相変わらず名乗りたがらないし姿も見せてくれない。だけど何だか秘密のベールに包まれている感じで、どんな人なんだろう、私より階級は上か下なのか、歳上なのか歳下なのか、どうして私と文の遣り取りしたいのか、何処かでお逢いしたのかどうか……。
隠されれば隠される程、人間はその正体を暴きたいと思うのは万人の性だと思う。この御方に至っては、隠さないと立場的に困るのかもしれないし、はたまた私の反応を遠目で今も見ているかもしれない。自分に自信がないのかもしれない。
憶測はあくまで憶測なのだけれど、私の中ではとても犬好きでシャイで素敵な男性だという勝手なイメージが既に出来上がっていた。
だから文の遣り取りも、まだ差し障りのないお話でもしようかしらと。
【私で良ければ勿論、構いません。忙しくて返信が遅くなる事もありますが、なるべく早くお返ししたいと思います。ところで、犬はお好きですか?私は大好きです】
【嫌いではない】
【それは良かったです。お家で飼われてたりしますか?】
【飼ってはいない、飼い方も知らない】
【そうなんですね。犬の種類にも寄りますが……】
返信は1日置きだったので、話がそう早く進む事はなかったが、少しずつ文が長く返って来る事に嬉しさを隠せなかった。最初は私からの質問が多かったが、段々と向こうからも私に対する質問がきてくれて。
【月が綺麗な夜にお会いしてみたいです。勿論、マメもご一緒に】
【仕事が一段落したら連絡する。食事はいかがか。好物を知りたい、……犬も】
ふふふ、とその手紙に軽いキスを落としたり寝る前にもう一度見返したり。どんな疲れた仕事でも見慣れた伝書鴎が来るとどこか疲れも吹っ飛んでしまうほどに溺れていた。
この御方にいつか逢えるのを、心底楽しみにしていながら。まるで恋する乙女とはこの事だと擽ったい気持ちも不思議と悪い気分にはならなかった。
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そんなある日の事。
緑牛大将が元帥室へご報告との事で、私もそれに同行させて頂く事になった。元帥室と言えば当然、我々海軍の大黒柱、サカズキ元帥殿が待ち構えていらっしゃる。はっきり言って、海軍本部内で行きたくない場所一位を取れるまさに元凶のような御方。私も例に漏れず苦手な部類のお人でもある。
泣く子も黙る程の厳格な御方で、マメも脅えて部屋にも入れないので廊下で待っているのがいつもの事だった。それはそう、私でさえ直接お話する事など恐れ多くて出来ないもの。
「マメ、ここで待ってて。Sit」
「わん!」
緑牛大将に続いて、恐る恐る元帥室に入室してみれば目の前に大きな机とその主に、右側のソファにはもう1人の海軍大将、“黄猿”が座っていた。緑牛大将は元帥殿の机の近くまで、下っ端である私は極力扉近くで待機するのが習わしでもある。
それにしても今日も元帥殿は、どうも大将に対してご立腹であった。それもそう、三大将の中で一番怠け癖というか女好きの面倒臭がりなこの人はある意味、問題児でもあったからである。
「何を呑気に出航を延ばしちょるんじゃあ!海軍本部の信頼がかかっちょるんじゃぞ!?早よう行かんか!」
「まぁまぁそう怒んなさんなよ。急がば回れって言うだろう?サカズキさん」
「ええから一刻も早よう行け!今すぐにじゃ!」
どうやら、今日本部出航予定を大将が無理矢理明日に先延ばしした事でご立腹だと。怒られて当然だが、本人は今夜可愛いおねーちゃんとデートだからだと、面の皮を何枚被っているか分からぬくらいいけしゃあしゃあとあの顔面凶器に物申している。そしてくどくどと説教三昧。
どれだけ命知らずなんだろうか、この人。
そう思ったのは何度めか、溜め息すら吐くのも慣れたなぁと宙を仰いでいたその時だった。今頃元帥殿のお声に脅えて体すら縮ませているはずのマメが、一目散に元帥殿の机へ向かって走っていくと誰が予想できようか。
「わん!わん!」
「マメ、どうし……えっ!」
一瞬の出来事、まさかマメが元帥室に近付いていく事すら予想だにしなかったので勿論出遅れた。一体何をする気だと呆気に取られていると、マメは緑牛大将すら颯爽と追い越して元帥殿の机に飛び乗ると、何と元帥殿の腹近くにまで近寄り、そこに遠慮もなく頬擦りをし始めたのである。
う、そ……!
一気に頭から血の気が引くとはこの事かと、これで私の人生三回ぐらいは終わったと本気で思ったのもこれが初めてだった。
「おどれの予定なんぞ知るかぁ!とっとと……ん!?」
「な……!」
「お、豆太郎じゃねェか」
豆太郎、いや豆助ことマメは主人である私以外に物凄く警戒心と忠誠心は強いはず。というよりその訓練を経たはずのエキスパート、軍犬なのだ。
比較的一緒に過ごす事の多い緑牛大将ですら自分から頬擦りする事なんてほぼないのに、何故突然元帥殿に……!?
驚愕と混乱で未だ動けていなかったが、元帥殿がマメの動きに気付いて眉を細められてようやっと。私も早く動かなければマメの命が危ないと、反射的に体が助けに走ったのである。
も、燃やしたりしませんよね!?
「わんわん!わん!へっへっ!」
「ほうら、そのワンちゃんだってサカズキさんから離れたくねェように、俺も綺麗なおねーちゃんが離れたくねェって……おおっと」
いい加減にしろと憤怒が飛んでくるが如く、少量のマグマが飛んできたので流石に大将も出過ぎた口を引っ込めつつ。
此方は此方で元帥殿がマメの首根っこを捕まえ離そうとするも、なかなか離れぬマメを引き離すが為に、まさか元帥殿のお机にまで出向くとは思わなかった。端から見れば何というシュールな場面なんだろう、後ろのソファで「あはは、面白いねェ〜」と呑気なお声も聞こえたり聞こえなかったりする。そして一瞬だけ、擽った香りが鼻に残った。
「も、申し訳ございません!元帥殿!ご迷惑を……!こら、離れなさいマメ!」
「……そのポチも連れていけ!」
「くぅぅん〜!」
怖かった!
以前から元帥室を恐れていたがもう二度と元帥室など来ないと誓いながら、廊下を猛ダッシュして階段の踊り場までかけ降りた。緑牛大将を置いていってしまったけれど、今はそれどころではない。
はぁ、はぁ……と生きた心地のしない荒呼吸の一方、元帥殿から余程離れたくなかったのだろう、私に抱かれたマメは来た道を切なそうに見据えてくぅん……と未だに啼いている。
そして暫く心を落ち着かせてから、私の中で実はずっと疑問だった事が今、本物の確信に変わったの。
「まさか……あの人だったの?マメ」
「わうん?」
「……はー……嘘でしょ?」
一気に脱力して壁に寄っ掛かって座り込んでしまった。
間違いないや、マメの反応。
元帥殿は慎重にマメの事をポチと呼んでいたが、あのマメの元帥殿に異常に懐く態度、そして私も元帥殿に近付いた時に擽った一瞬の香り。要塞の最上階に位置する元帥室からなら、海軍本部全体を見渡せるからマメの迷子も一目で分かる。1日置きでしか返信出来ない程の多忙さ、私とマメの関係性を知り、名前も名乗らず、礼もいらず、直接会ってもくれないその理由もやっと全ての辻褄が合ったのである。
絶対に間違いない。あの文通の差出人はサカズキ元帥だったんだ。
そう言えば中将昇格をした際に、昇格の書状にあの見覚えある剛筆で正しく丁寧な字が書かれていたような気がする。
「はぁぁ……そんなぁ」
とても犬好きでシャイで素敵な男性だという勝手なイメージが一瞬でなし崩された。
これから私はどうすれば。暫く途方に暮れて脱力していると、通りすがった他の中将たちから奇妙な目付きで見られているがそれすらどうでも良かった。
まさかあんな、とんでもない御方との恋文だったなんて。
「サカズキさん。あんた、犬嫌いじゃなかったっけ……?」
「喧しいわ!貴様も早よう、行け!」
文で繋がる。
(想いを字に乗せて伝えましょう)
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