ピオジェ+ルーク/秘預言





あいしてる、あいしてる、あいしてる、きみが、たりない





【カナリアの歌った狂想曲】





真っ白なウイルスの塊のような部屋。一般に無菌室などという用向きで称されるその場所には白ばかりが目立つ中、些か不似合いな赤や亜麻色が数点。何とか一命を取り留め、今は穏やかに脈打つ心電図。その凹凸を指でなぞればガラス張りの心臓がきゅっと小さな悲鳴をあげた。唐突に開かれた瞼に慌てつつもナースコールを数回たてつづけにおした。汗ばんだ手に不愉快を擦り付け、彼に呼び掛けようとしたが視線のうろんげなため返事はないだろう・やめた。
「し、失礼します!」
緊張した面持ちの医者がノックも忘れて声を張り上げる。当たり前といえば当たり前だろう。ここで死んだように眠っていたその人はかつての皇帝の懐刀とも呼ばれた男だし、ひどく不似合いな名ではあるが死霊使いなどとも呼ばれていた男だ(死霊使いに関してはある種間違ってもいなかったが)普通に考えれば緊張もするだろう。
「ルーク様におかれましては、本日も「挨拶はいいからジェイドを」
死霊使いなどではなく自分へと向けられていた緊張に苦笑いを浮かべらがら医者を治療へと急かす。
「どうなんだ?」
「多少の栄養失調を除けば特に問題はありません。」
「良かっ、た。」
「しかし本当に宜しいのですか?マルクトの懐刀など。」
「マルクトはもうないんだ、別に構わない。もういい、下がってくれ。」
タチの悪すぎる八つ当たりにも気付かずに、そして自分が何か気に障る事でも言ったのだろうかと思案を重ねつつ医者は慌てて部屋を出ていった。
「ジェイド!」
彼の名前を叫んでいるにも近い音量で放てば彼がぼんやりとした瞳でこちらを向いた。実に2週間ぶりに開かれた瞼はそれでも紅を隠そうと閉じつつ。
「……かは、」
いきなりに喋ったためだろう、随分と掠れてしまっている声に疑問を返せば先ほどのように口を開いた。
「陛下は、どこですか?ピオニーは、」
言葉が出なかった。二週間寝込んでなおそれまで一度も意識が戻らないような重傷を負っておきながらそれでも尚、もういない人間の名を開口一番に呼ぶ彼に真実など告げられる筈もない。勘のいい彼のことだ。ひたすらに止まらない沈黙に真実を汲み取ったのだろう、明らかに悲しみを孕んだ溜め息を一つ吐き出した。
「そう、ですか。やっぱり嘘つきでしたね、ずっと一緒にいてやるなんて言ったくせに、ずっ、と……」
「ジェ、イド?」
「すみません、少しだけ1人にして下さいませんか?それとも死霊使いには死を悼む時間も与えてもらえませんか?」
恐らく本人は普段どうりな笑顔を浮かべようとしたのだろうがいびつに歪んだ笑顔は泣いてしまいそうだった。沈黙だけを残し、席を立てば押し殺したような泣き声だけが部屋に充満していた。後ろ手に扉を閉め、ずるずるとそのまま座り込む。髪を手で乱しながらも1人の男のために涙まで流す彼に苛立ちを覚えた自分を叱咤する。端から分かっていたことなのだ、彼を救う事が結果として彼をひどく傷付ける事くらい。それでも尚、彼に死んで欲しくない・と自らが頼み込んだのだ。
「くそっ!」
苛立ちに任せて手に届いたものを投げた。そうすれば精巧なガラス細工を施されたグラスは、ガシャンと壊れた。所々が蒼に染まったその破片を目で追っていけば見慣れた靴が視界に写る。
「ガイ、」
「ルーク、落ち着け。」
「でも…」
「ルーク、」
咎めるような視線に焼かれる。
「ほら、お前もいい加減に飯くらい食え。」
ほら、とガイが差し出したトレイの上には白い水蒸気を時折漂わせながらなみなみと底を見せず、色とりどりの野菜が占領しているスープに恐らく焼きたてなのだろうパン独特の香り。
「俺は…」
「ルーク、いい加減にしろ。何の為にジェイドを救った?人1人の命を預かったんならもうちょっとしっかりしてろ。」
「五月蠅いっ!……わかんねぇよ。わかんねぇから、だから…だから」
「わからない、が通るのは子供だけなんだ、それさえもわからないならいっそ殺してやれ。」
いつもはそんな言葉を吐き出したりはしないガイの口調に怖じ気付く。
「俺は、ジェイドを死なせたくない。」
だからこそせめてジェイドだけでも死なないように・と取り計らったのだ。
「悪い、八つ当たりだ。忘れてくれ。」
ガイは申し訳なさそうに告げて背中を返し、頭を冷やして来る。とだけ呟き廊下の端へと消えていった。そこに残っていたのはガイが置いて行ったスープとパンの乗せられたトレイだけだった。パンに手を延ばし、口へと運ぶ。それとどうようにスプーンでスープを救い取り口に運ぶ。本来の役割を失い空っぽになった器をトレイの上に戻し、改めてドアに手を掛ける。
「ジェイド、」
かつて死霊使いなどという恐ろしく不似合いな名で呼ばれた男は、ただ静かに涙を流していた。気まずくなり、口に出そうとしていた安っぽい慰みの言葉を胃の中に押し戻した。(陳腐な言葉なんかでは彼の悲しみは癒されることなどないだろう。)ポケットの中の堅い膨らみを思い出し、慌ててポケットに手をやる。
「これ、陛下の。」
手のひらの上に乗せた髪飾り。どんな理由があったのかは知らないが謁見に行こうが、私室に行こうが常に彼がつけていたそれ。託された時は既に本人の血で染まっていた髪飾りを綺麗に洗い流した。戦争なんてくだらなく残酷な出来事はもう終わったのだ。もう彼は血なんて見ないでいい。
「それ、は。」
「ピオニー陛下から預かったんだ、せめてこれだけでも・と」
彼がある程度治っているとはいえまだ絶対安静が言い渡されているはずの身体をやすやすと持ち上げ、頼りない足取りでこちらへと歩を進める。そうして髪飾りを手にした途端文字どうり、崩れ落ちた。
「ジェイド!」
「すみません、ピオニーのとこ、ろに、連れて行ってくださ、い。あるのでしょう?この城内と、は言わずとも、キムラスカに、はピオニーの、首から上、が。」
縋るように自分の服の裾を掴みながら途切れ途切れに吐き出す言葉に孕まれる悲しみ。(結局の処、あのとき見殺しにするのが彼にとって最良の選択であったのかもしれない)
「わかった、けどまだ駄目だ。ジェイドの身体の絶対安静が解かれてから。」
もとからしっかりしている・とは言い難かった身体を抱き上げ、ベットに下ろした。なかなか閉じようとしない瞼の上に手のひらを重ね、半強制的に瞼をおろした。彼が眠りについたのを見届け、部屋を出てからふぅ、とひとつ溜息を零してから愚かしい自分を呪った。彼に見せる、と言ったのだ。それはすなわちピオニーの死の現場を見せる事とそう変わらない行為であり今の彼に対する態度の中ではもっとも底辺に近い位置に分類される行為である。だがそればかりは止めても無駄だろう、それだけ彼はピオニーに依存している。駄目だと言えば勝手に歩き回って見つけようとするだろう、それだけは避けたい。もう一度だけ溜息を零せば『溜息をつくと幸せが逃げますよ』とうそぶいていたかつての彼が瞼の下を通り過ぎた。





彼はきちんと成人した人間なのか疑いたくなるほどふらふらとした頼りない足取りでガラスケースに向かった。そのまえにぺたりと座り込みまた静かに涙を零す。ここのところ彼は泣いてばかりだ。それはピオニーに依存しているゆえに仕方のないことかもしれないがやはり苛々する。どうして自分ではいけないのか・と思ってしまう。
「ピオニー、」
人間とは思えないほど真っ白な手が伸び、ガラスケースの表面を優しく指でなぞった。中にピオニーを閉じ込めているそれの上を目、鼻、口唇、と上から順になぞって行く。
「おはようございます、あさですよ。へいか めをさましてください。」
彼の紡ぐ言之葉、言葉、コトバ。どれも悲しみを孕んでおり、ましてや死人になど届く筈もない言葉。真っ白な手のひらに乗せられた蒼い髪飾りが揺れる。
「わすれものですよ、おかあさまのかたみなのでしょう?」
ふるふると震えながらも彼が髪飾りをガラス越しにピオニーの左耳の辺りに当てた。ちょうど生前にピオニーがその髪飾りをつけていた辺りだ。
「…まえにもいったじゃないですか、これはわたしにはにあわない、と」
彼の両手がどこに力があったのかと疑いたくなるほどぎゅっと強く握られる。
「いっしょ、じゃなかった、んですか?ほんとに、うそば、かり。困った人ですね、」
見ていられなかった。出来ることならここから飛び出してどこか他の場所に行ってしまいたい。でもこれは俺のせいだから、ジェイドを生かした俺の。
「ぴお、にー」
彼の流した滴はどこまでも深く深淵へと沈んでいった。
















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