マリヒュ
届いていた手紙をパラパラとめくっていく。書いてあるのは大体フェンデルの現状であったりバルキネスクリアスの研究状況であったりと事務的な物ばかりだ。フェンデルからの正式な公開資料と多少異なるのはやはりまだ二国間にわだかまりがあるという事なのだろう。すべて直筆でかかれた手紙の最後のページはいつも白紙で終わる、が今日は違った。それ程小さくはない便箋の真ん中に一言だけ書き添えられていた。
心が、揺れる。
「散々放っておいて今更それですか」
そこには逢いたいと一言だけ癖のある字で記されていた。口では文句を言ってみたけれどお互い暇な訳ではないしそれぞれやるべき事もある、逢えない時間が増えるのは仕方ないし放っておかれたのは向こうも同じ、お互い様だ。
「…仕方ありませんね、たまには目論見に乗って差し上げますよ」
わざわざ逢いたいなんて書いてあるくらいなのだからどうせ予定を空けて待っているのだろう。幸い仕事も急を要する物はないし、明日の予定もはっきりと決まっているわけではないので一日空けていた所で特に問題はない。防寒用にコートを手に取り、そのまま部屋を後にする。ドアの前にいた兵士に外出する旨と帰りは明日になることを伝えて港へ向かう。陽も落ちていない今ならまだ今日のザウェート行きの最終便には間に合うだろう。
早く会いたいと逸る気持ちを押し殺して急いで港へ向かうがどれほど望んでも船は待ってはくれないし、時刻ちょうどには港を出て行ってしまう。思っていたよりも時間に余裕はなかったようで、なんとか船に乗り込めたことに安堵しながら息を整えるために近くの空いている椅子に腰を下ろした。
人がまばらな船内を見渡せばぐずって泣いている子供が目に入り、自然とあの人なら近くに行って子供を泣きやませられるのかもしれないが少なくとも僕にはできそうにもないなんて考えてしまう。こんなときだから、なのかもしれないが思考の端々にマリクさんの姿が見え隠れして自分でも馬鹿らしい。いつの間にこれほどまでに浸食されていたのかなんて考えたくもない、どうせこの先もこればかりは変えられそうにないのだから考えた所で無駄だと思考を切って捨てる。
ただ到着を待つというのも手持ちぶさたで窓から外を見渡せば、予想していたよりも目的地に近づいていたようで既に外には雪がちらついていた。間もなくして船内にザウェード到着のアナウンスが流れ始めたのを聞き、ストラタを出る際に持ってきたコートを羽織ってから船内を後にする。いくら上着を着ているとはいえ外は寒い。
船を降りたところでどこに行くべきか悩み立ち尽くす。目的地、というよりも探している人物がこの街のどこかにいるのかまでは分からないが政府塔の方まで行けば誰かが居場所を知っているだろう、と少しばかり考え無しの思考にのる。事前に待ち合わせをしたわけでもなければ、向こうに行くことを知らせてもいないので多少の不手際はこの際仕方ないだろう。
港から街の方へ向け足を進めれば、途中で見覚えのある服装の男が走ってくるのが目に入る。まさかこんなタイミングで逢えるとは夢にも思っていなかったので疑いをこめて目を凝らしてみるがどうやら間違いではないらしい、なんともタイミングの良い男だ。向こうもこちらに気付いたようで、速度を落とし呑気に手なんてふりながらゆっくり近づいてきた。
「マリクさん?」
「ヒューバート、こちらに来ていたのか?
「今着いた所です、ところで急いでいたようですが何か用事でも?」
「あー…用なら今済んだ。ストラタまで行く気だったんだが用件の方から来てくれたからな」
「用件?」
「お前に逢いたかったんだ」
「それはどうも」
「つれないな。お前こそどうしたんだ、こっちに来る予定が?」
「ありませんよ、どこかの誰かさんが寂しくて泣いているんじゃないかと思いましてね。明日の昼には帰ります」
「素直じゃないな」
「それはお互い様、でしょう」
「そうか?オレは素直だぞ」
「はいはい、そういうことにしておいて差し上げますよ」
「そうだ、もう宿はとってるのか?」
「いえ、今来たばかりなので。それにあなたの家が空いてるでしょう」
「いいのか、狼の家に転がり込んでも」
「いたいけな少女じゃあるまいしそう簡単に取って食われたりしませんよ。それに、狼は僕の方かもしれませんよ?」
「それは確かめてみる必要がありそうだな」
お互い笑いあいながら二人並んで雪のちらつく道を歩いていく。慣れない寒さに肩を竦めればつけていたマフラーを外して首にかけられたが、抵抗しても聞き入れてもらえない事は知っているので大人しく借りておく事にする。いくらコートを着ていようが暖かい気候のストラタに住んでいる身にはこの寒さは堪える。
しかし繋ぐために差し出された手はさすがに遠慮して見なかった事にしておく。男二人で手を繋いで歩いている光景は中々にシュールだし割と目立つものだ。陽も落ちて暗くなっているとはいえ街中を歩くには不適切だろう。交流があると言っても未だ国民同士が打ち解けているとは言い難い状況なのだ、双方にとってマイナスになる可能性がある事をするべきではないだろう。
そう思い、わざとその手を取らずにコートのポケットに突っ込んで暖を取ろうとしたのだが差し出された手は行き場を失って帰る事もなく、むしろポケットの中にまで侵入してきた。予想外の行動に驚きを隠せずに睨みつけてみたがニコニコと笑うばかりで一向に反省しているような様子が見られない。
「マリクさん!」
「手が冷えてな、一緒に入れてくれ」
「自分のポケットがあるでしょう、自分のポケットが」
「お前と一緒の方が良いに決まってるだろう」
「またそんな恥ずかしい事を…」
「オレは全く恥ずかしくないからな」
「…仕方ありませんね」
悪びれる様子もなく堂々と人のポケットの中に手を突っ込んできた男の手の平は、その言葉とは裏腹に随分と温かい。とりあえずいつもそうするように突っぱねてみたが本当は少しでも長く触れ合っていたかった。何せ一カ月ぶりの再会だ、一緒に旅をしていた頃は毎日顔を合わせていただけに一月という期間がやけに長く感じる。その事に旅が終わってからようやく気付くなんて思ってもみなかった。
「ヒューバート」
声に反応して斜め上を見あげればずいぶんと近くに顔があり、そのまま覆いかぶさるように顔をおろされた。唇に残る感触にキスをされたと気付いたが上手く頭が回らない。ようやくの事でここが公道だということを思い出し、慌てて辺りを見渡してみたが幸いな事に人影はなかった。
「心配しなくても誰も見てない」
「見られてなければ良いという問題ではありません」
「じゃあ人前でしてもいいのか?」
「駄目に決まっているでしょう!どうしてそうなったんですか」
「違うのか?」
「違います!」
全く悪びれる様子のない男に苛立っているようなそぶりを見せてはみるが、一切気にされていないようなので諦めてポケットの中で繋いだ手を握りなおしてそっぽを向く。頬をなぜる風が酷く冷たい。
「そんな事言ってないで早く帰りますよ、わざわざこんなところでしなくても家に帰ってからいくらでもできるでしょう」
「家に帰ってからならいくらでもしていいのか?よしそうと決まれば善は急げ、さっさと帰るぞ」
「やる気をだす方向、間違ってませんか?」
「気のせいだ」
急に手を引いてどんどんと歩をすすめる男に必死でついていく。こんなにも急いで行く先が自宅でしかもその理由がキスしたいから、なんて馬鹿げている。馬鹿げてはいるがそんな所が嫌いでない事も認めざるを得ない。どう足掻いたって僕はこの人の事が好きなんだ。
最初はただ引かれるままに走っていただけだったが早足になり、早足が次第に小走りになって終いには走りだしていた。家に着くころには2人とも息が上がり、揃って真っ白な息を忙しく吐き出す羽目になっていた。鍵穴に鍵を差し込む様子を見守りながら呼吸を整える。ガチャリと無駄に仰々しい音の後にドアが開かれ、先に入るよう片手を差し出して促され扉の中へと足を踏み入れる。
勝手知ったる他人の家に上がり込み、何か温かい飲み物でも淹れようとキッチンに足を向けようとしたが、後ろから抱きしめられ動きを阻まれる。いきなり好きだ、と耳元で囁かれたと思えば耳や頭に降ってくるキスの雨に溜め息を漏らす。
「いきなり何するんですか」
「家に着いたらしてもいいんだろう?」
「確かにそんな事も言いましたけどせめてコートくらい脱がせて下さい」
「悪いな、我慢できそうにない。お前が足りてないんだ」
「何ですかそれ」
「逢いたかった」
「…僕もです」
「これでも寂しかったんだぞ」
「寂しかったのが貴方だけだと思わないでください」
「元気だったか?」
「そういうことは普通キスの前に聞くものじゃないんですか」
「じゃあやり直しだ、元気だったか?」
「ええ、変わりなく。マリクさんこそ元気でしたか?」
「ああ、お前が側にいたらもっと元気だっただろうが」
言い終わるなり早急に唇を奪われ呆れた声をあげることさえ許されない。離れていこうとする唇を追いかけ、いささか乱暴に塞いだ。たったこれだけの事をするのにも爪先立ちになって男に縋らないと成しえないのが酷く悔しい。ピンと張った足が痛くなってきたのであきらめて地に足をつけた。当然ながら追いかけた唇からは遠ざかってしまう。目の前で男が優しく笑ったその優しい笑顔に僅かに心拍数があがる。今までならこんな気持ちなど知らずとも生きていけたというのに。けれど嫌ではない、こんな気持ちを味わえるのは幸せだという証拠なのだろう。
「おかえり」
「一緒に帰ってきたじゃないですか」
「それでも、だ。ただいまは?」
「ただいま…帰りました」
「こういう時はただいまだけでいいんだ」
「ただいま」
「おかえり」
「コートを脱いでも?」
「どうぞ」
からかうような笑みをこぼしながら男が手のひらを差し出して行動を促す。コートを脱ぎながら家に上がりこみ、ソファの背にコートを放り出す。
「何か飲みますか?」
「いやそれよりも別のものが欲しい」
「空腹なら何か作りますけど」
「じゃあ頂こう、もっとも料理するのはオレだがな」
「はい?」
急に抱き上げられ、ベッドの上に放り投げられる。どうやら肝心の食材というのが僕のようであっという間にインナーだけの姿にさせられ、そのインナーも半ば脱がされかけている有様だ。こうなってしまってはもう手のつけようがない、諦めて大人しく食べられるのを待つのみだ。
「今夜は寝かせて下さいよ、明日も仕事なんですから」
「保障はしかねる」
どうやら今夜は眠らせてもらえそうにないようだ、明日は急ぎの仕事が舞い込まない事を祈るしかない。
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