マリヒュ
ふらふらと特に行くあてもなく街中をうろついていればよく見知った顔を見かけた。今は顔を合わせたくないからとその場から離れようとしたが時すでに遅し、手を振りながらこちらへと走ってきているのが見えた。狙いすましたかのようなタイミングに落胆の息を漏らすが現実は変わらない。
「ヒューバート来てたのか、ストラタには今日帰るのか?」
「いえ、明後日までこちらに」
「それなら良かった。いつもみたいにうちに泊まっていけ、鍵は持ってるだろ」
「結構です、今日は宿をとりますから」
「何かあったのか?」
「さぁ、ご自分の胸にでも聞いてみたらどうですか?」
「おい待てヒューバート!」
制止を振り切り、踵を返して今来た道を駆けていく。真昼間から誰とも知れないきれいな女性と、街中で恥ずかしげもなく抱き合っていた男の事なんて知るものか、あの女性とでもどこへでも行けばいい。思えば思うほど、想えば想うほどに心が痛み息が苦しくなる。
僕よりもあの女性の方がお似合いなことくらい見て分かっている、何よりもこの人の気持ちが僕から離れていることが怖い。好きなんて口先だけの言葉で何もかもを許せるほど僕の心は広くはない。
「ヒューバート!」
「何ですか、こんな街中でいきなり大声出さないでください」
「お前がちゃんと話をしたらな。とりあえず来い」
全速力で逃げたつもりではあったがうまく走れていない。夢でも見ているようだ、どんなに走っても全然前に進めずに立ち往生をくらう夢。足がもつれて転びそうになりながらも走っていたが追いつかれ簡単に捕らえてしまう。掴まれた腕を強引に引かれ雪の中を連れられて歩く事になりそれが嫌で抵抗を試みるが努力虚しくされるがままだ。何が悲しくて男二人で雪道を腕なんて引かれて歩く羽目になってしまっているのだろう。
「離してください、自分で歩けます」
「駄目だ」
何ですかもう、と口に出してから最初に喧嘩をふっかけたのが自分だったことを思い出したがそっと水に流しておく。確かに最初に冷たい態度をとったのはこちらだが元はといえばマリクさんが僕の知らない綺麗な女性と街中で抱き合ったりなんてしているからこんなことになったのだ。僕は悪くない。
急に全てが悍ましくなる。きっとマリクさんの何もかもは一つも僕のものにはならないしマリクさんが本当の意味で僕を見てくれることなんて生涯ありえないのだ、僕はロベリアさんの代用品でしかないのに何を勘違いしていたのだろうか。近くにいて秘密を他に言わないならそれだけで誰でも良かったに違いない、ただ旅をしているあいだはその条件にあてはまるのが僕だけだったというだけで旅が終わってしまえばマリクさんならいくらでも選びたい放題だろう。泣くつもりなんてこれっぽっちもないのに涙が溢れてきて慌てて袖で涙を拭った。
「もう僕なんて放っておいて昼に一緒にいた綺麗な人の所に行けばいいじゃないですか、どうせあの人以外にもいろんな女性が貴方を待ってるんでしょう!」
「昼に一緒にいた人?」
「とぼけるなら好きなだけとぼけててください!」
再度掴まれた手を振り払い、宿屋の方向に向かって全力で駆け出した。旅が終わってからはフェンデルで宿をとることがめっきりなくなった為記憶が曖昧だが間違ってはいないはずだ。後ろからマリクさんが追ってきていないのを確認してまた心が悲鳴をあげる。面倒なやつだと嫌われたかのかと思ってしまうと息さえできなくなりそうだ。
宿屋にチェックインして部屋に入るなり手荷物を机の上に投げ出しベットに倒れ込んだ。人間は恋と革命のために生まれてくるのだと前に何かの本で読んだことを今になって思い出す。それなら僕の人生はもう半分も終わってしまった、それも最低な形でだ。その論理でいくと恋に敗れてしまったのだから僕はもう革命の為に生きるしかないのだろうが僕にはまだ起こすべき革命も見えないしきっと恋と一緒に革命だって無惨に敗れて終わってしまうに決まっているのだ。
人にこの気持ちが恋と教えられ、自覚させられたのにその僕に恋を教えた人にこんな形で裏切られることになるなんて思ってもみなかった。泣きたくなんてないのに後から後から涙が溢れて止まらない。
「マリクさんなんて……嫌い……」
嫌いなどと呟いてみたものの嫌いになんてなれないし逆に好きだということを浮き彫りにしてしまい心により一層、刺が食い込む。嫌いになれなくともこの馬鹿みたいに無鉄砲で一方的な感情を消すことができたならこんなに苦しまなくてもすむのに。病気にかかったように自分の感情が制御できずに持て余す。
もう何もかも、消えてしまえばいい。
いつの間にか寝てしまっていたらしく重い目をこすりながら時計を確認してみたが、何時ごろに宿屋に入ったかわからないので何時間寝ていたかははっきりしない。おそらく2・3時間程だろう、しかし泣きつかれて眠るなんてまるで子供のようで嫌になる。
ちょうど夕食時で外から香ってくるいい香りが鼻をつくが今はとても何かを食べる気分にはなれそうにもない。明日またマリクさんと顔を合わせることになる事を思うと今からすでに気が重い。仕事の都合上、明日は会わないというわけにはいかないのが余計に辛い。顔を見なければ、幸せを思い出しさえしなければ、忘れるのは無理でも諦められるはずなのに、それができない。
うじうじ考え込んでいても明日会わなければならないのは変わらないのだから仕方ないと諦める。気分転換に外の空気でも吸おうとドアを開ければ、おそらく座り込みドアにもたれかかっていたのだろう、男が部屋に倒れこんでくる。
「う、わっ!誰ですか!!」
不審者かとつい手が武器に伸びたがその倒れ込んできた人物を確認してそっと手を離した。そこには今一番会いたくなかった人物がいた。
「そんなとこで何やってるんですか」
「やっと出てきてくれたのか」
くるっと向きを変え、部屋のドアを閉めて男を締め出そうとしたが男はそれを難なくかわし、部屋に中に入り込むだけでなくカチャリと軽快な音を立てて鍵までかけてしまった。
「出て行ってください、不法侵入で通報しますよ」
「ヒューバート待て、話を聞け」
「お断りします、出て行ってください」
「ヒューバート!!昼のは誤解だ、あれはただの友人で……」
「へぇあなたはただの友人と街中で抱き合うんですか、そんな事普段僕にはしないくせに」
「あれはただの挨拶だ、それにお前街中で抱きついたら怒るだろうが」
「怒るに決まってるじゃないですか、そうですかあなたはただの友人の事も挨拶で抱けるんですね。そんなに女性がいいなら僕なんか放っておいてほかの方のところへ行ったらどうですか!!どうせ僕なんて旅をしているあいだの代替え品だったんでしょう、あなたなら女性も選びたい放題でいろんな場所にたくさん女性が待ってるんですもんね!」
突き飛ばそうと前に突き出した手は、ただマリクさんの服を掴んだだけで、すがりつくかのように握り締めるだけに終わった。唇を噛み締め必死に涙を堪えながらうつむいていれば男の手がそっと左頬に触れ、肌の上を優しく滑っていく。
「悪かった、代替え品なんかじゃなくオレはお前じゃないとダメなんだ。お前がそう言うならもうお前以外とあんな事はしない、それじゃ駄目か?」
「別に……貴方の好きにすればいいじゃないですか」
「頼むから機嫌をなおしてちゃんと話を聞いてくれ」
「話なら今ちゃんと聞いてますし貴方が誰と何をしたところで僕は怒りも悲しみもしませんが」
「お前がどうして欲しいのかを教えてくれ、俺に出来ることなら何でもする」
「だからあなたの好きにすればいいと言ってるじゃないですか、どうせ他の人にも同じこと言ってるんでしょう」
マリクさんが僅かに眉をひそめた。話の通じないやつだと怒っているのかもしれないが怒るなら怒ればいい、その他大勢に混ぜられて都合のいいやつのまま記憶に埋まるくらいなら嫌われていたほうがまだマシだ。
「ヒューバート、オレはもう自分の気持ちをごまかして本当に愛する人を失いたくないんだ。お前を手放したくない」
お前だけ、貴方だけ、馬鹿の引っかかる常套句だ。なのにどうしてこんなにも心が揺れる(本当は知っていた、知っていて知らないふりをし続けて、いつか本当にわからなくなってしまった)
「貴方は狡いんですよ、そうやって僕の心を乱して何が楽しいんですか」
また泣いてしまいそうだ、涙が枯れるほど泣いたところだというのに。固く握った手が震える、どうして自分の感情なのに自分で制御できないのか分からない。
「ヒューバート」
きつく握り締めた手のひらをゆっくりと解かれ両手ともに奪わる。指先を優しく手のひらで包み込まれ、唇を落とされる。手の甲に口付けながらこちらを覗き込んでくるマリクさんがまるで主人の機嫌を探る大型犬のように見えてきて少し涙が引っ込んだのはありがたい。
「不安にさせたなら悪かった、オレはお前のためにどうすればいい?」
「……もう女の人と挨拶で抱き合うのはやめてください」
「分かった、それだけでいいのか?」
「え?」
心の奥底を見透かすような、あの眼差し。本当は他の女性を褒めて欲しくないしプレゼントだってもらって欲しくないし僕以外の誰かに気を持たせるような態度をとって欲しくない、それにほかの人と必要以上にべたべたと触れ合って欲しくもない。そんな気持ちをすべて見透かした上で言っているのだろうか。
「それさえやめればそれでいいのか?バーでお前の知らない奴とのんでても?」
「それは……良いんじゃないんですか、付き合いもあるでしょうし」
「プライベートで、しかもお前の知らない女とでも?」
「良く……ないです。ってなんでそんなに楽しそうなんですか」
「いやお前にヤキモチ妬かれるくらい愛されてるのかと思うと嬉しくてな」
「……ッ!もうご自由にどうぞ!!」
言っていることがあながち間違ってもいないからこそ余計に腹が立って手を引き身体ごと背ける。
「……でも浮気は許しませんからね」
「お前がいるのにそんなことするわけないだろう」
「今日の昼に女性と抱き合ってたの忘れたんですか」
「だからあれは挨拶だって……」
「一般的な挨拶というのは握手や会釈です!今度見かけたら風穴あけますよ」
「分かった、分かったって」
「あと……その……仕事以外で女性と二人っきりになるのは極力避けてください」
「了解、他に言うことはないのか?」
「いえ、特にありませんけど」
「例えばマリクさん大好きー、とか」
予想外の言葉に脱力感を覚えるが当の本人は意外と楽しそうに目と輝かせている。茶化しているのか本気で言っているのか分かりにくいがおそらく後者だろうから余計にタチが悪い。
「あ り ま せ ん !」
「好きなくせに」
「好きじゃなっ……!いとは言えませんけど」
失敗した。これじゃ暗に好きだと言っているようなものだ、頭の中で感情がぐるぐる回る。このまま全部混ざり合って溶けてしまえばいい、そうすればもう少し頭の中がすっきりするに違いない。
「今はそれで充分だ。まあオレはお前を愛してるがな」
話が逸れ、どこかへと姿を隠していた怒りがまた顔をのぞかせるがもともと喧嘩がしたかったわけではないしもうしないと言っているのだからこれ以上この話を蒸し返すこともないだろうと心の中にだけそっと留めておく。
「もう結構です」
「まだ怒ってるのか?」
「もう怒ってませんよ、ただし次はありませんからね」
「分かってる、悪かったって。俺にはお前だけだ」
「それはもう聞きましたよ、そんなに何度も言われなくても分かってます。」
子供みたいに何度も同じことを言うマリクさんに自然と笑みが溢れる。
「なあ、夕飯は食べたのか?」
「そういえばまだですね」
「今からでもうちに来ないか?あんまり凝ったものは用意できないが何か作るぞ」
「そうですね。じゃあお言葉に甘えてあげますよ」
「何か食べたいものは?」
「特には」
「じゃあ今晩はオムライスで決まりだな」
「そんなにオムライスが食べたかったんですか?」
「いや、でもお前の好物だろ」
「よく覚えてましたねそんな事」
「お前のことだからな、それにお前も料理当番の時良く鯛茶漬け作ってくれてただろ?」
「あ……あれは……楽だからです、別にあなたの好みに合わせたわけじゃありませんから」
「何種類も味を変えて作ってくれたのにか?」
「う……それは……」
「オレのためにやってくれたんじゃないのか?」
まるで捨てられた大型犬だ、そんな目で見ないで欲しい。元々嘘をつくのが得意ではないのにさらに嘘なんてつけなくなってしまう。
「貴方の為じゃないとは言いません……」
「ありがとうな」
頭を撫でられ条件反射で子供扱いしないでくださいと手を払おうとしたがあんまり嬉しそうにするものだからそれさえできなくなる。本当にずるい人だ、嫌いになんてなれるはずがない。こんなにも好きなのにこの気持ちを捨てられるはずがない。僕はきっとこの人に捨てられてもずっと想い続けてしまうのだろうか、そんなことをぼんやりと考えていれば訝しげな目でこちらを覗き込んでくるマリクさんの顔が見え、慌ててそんな思考を振り払う。
「さて行きましょうか」
締められた鍵を開け一人で外へ出ていく。
「どちらまで?」
「僕の恋人がオムライスを作ってくれるらしいのでちょっと家まで」
恋人、なんて何か変な響きだ。だけど嫌ではない。でも気恥ずかしいのは確かで顔が少し暑くなるがあえて気にしないでおく。
「お供しますよ」
普段なら敬語なんて使わないくせに茶化すように敬語で手を差し出してくるマリクさんの手に手を重ねた。こうなればヤケだ、いっそこのまま手なんて繋いで家まで帰ってしまったって構わない。今なら何にも怖くなんてない。
そしてそっと静かに扉は閉められた。
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