脳みそが揺れる。
何を、何が、何で、
「聞いてる?」
ぐらりと回る世界を無理やり固定して改めて目の前の現実と向き合う。
「駄目?」
「ダメに決まってるだろ」とは言えなかった。
大好きな僕の先輩が好きな背が小さくて目の大きい、女の子を体現したような可愛らしい女の子。そんな女の子がどうして僕なんかを好きだと言っているんだろうか。
僕とは違って先輩に選ばれたのに、僕とは違って先輩と付き合うことだって出来るのに、僕とは違うのに、なんで僕なんだ。
「あ、ごめん。聞いてる、びっくり……して」
「いいよ、そうだよね。いきなりだったからびっくりするよね。答え、聞いてもいい?」
僕の腕に彼女の胸についている二つの脂肪の塊が当てられる。想像していたよりもずっと柔らかく温かいそれには何の魅力も感じない。擦り寄ってくる彼女の温かさが気持ち悪くて思わず腕を振り払ってしまう。
突き刺さる鋭い視線、何で、睨みつけたいのはこっちだ。先輩に愛されて、先輩に好かれて、先輩がほしい全てを、僕が欲しい全てを持っているくせに、何でそんな簡単に必要ないものみたいに先輩を捨てられるんだ。
「ごめん、僕……他に好きな人がいるから」
「何それ、えりかの事好きじゃないとかありえない!!あんたなんか嫌い、不快だから二度とえりかの前に現れないで」
彼女の熱が離れて、扉が大きく音を立てて閉められた。
何が起きたのか整理しきれないでぼんやりと部屋の中にいれば先ほど大きな音を立ててしまった扉が二回小さく音を鳴らす。別に僕の部屋でもないし勝手に入ってくるだろうと放置していれば、もう一度小さく二回ノックの音がしたので、諦めてどうぞと口から音を発する。
「えりかに振られた?ごめんね、あの子自分の事が好きな男が嫌いで、自分の事が好きじゃなさそうな男が好きなの」
「……えっと、ごめん分かんない。誰?」
「知らない?えっと、いつもえりかと一緒にいるんだけど」
「知らないです、ごめん」
「謝る必要はないよ、私は春日でいい。君はあの最近えりかに付きまとってる男の後輩、だったよね?」
「え、はい。先輩がすいません、惚れっぽいんですけど振られても諦めないタイプで……多分他に好きな人見つけたら終わると思うんですけど」
えりかちゃんの前は一年同じ女性にアプローチし続けていた、その前は一年と三ヶ月二週間、えりかちゃんに変わってからはまだ一か月。どれくらいで変わるのかは分からないがえりかちゃんにはあと一年くらい頑張ってもらう事になるかもしれない。
そうなるとさっき二度と目の前に現れないで欲しいと頼まれた約束はきっと守れないだろうし、先輩が諦めるまではえりかちゃんの前に度々姿を見せる事になってしまうだろう。
「君はそれでいいの?」
「何が、ですか?」
「先輩の事好きでしょ」
「好き、ですよ。先輩として」
「好きなんでしょ、恋愛対象として」
本当はこの人のことを知っていた。いつもえりかちゃんの横にいて、えりかちゃんだけを見ている、多分えりかちゃんの事が好きな女の人。
名前を知らなかったのは本当で、顔を知らないのは嘘。
この人からは同じ匂いがする。好きで好きで、好きなのに絶対に自分には振り向いてくれない人を愛してしまって、離れる事も出来ずにただ側にいて好きな人が出来てその話を聞かされる、永遠に報われない友人。生涯恋が実らない事が約束されている、永遠の囚人。
「えりかと付き合っちゃえば良かったのに、そうしたらえりかを餌に先輩を誘い出してデートとか……って君はそういうことを考えるタイプじゃないか」
「貴方が僕の何を知ってるんですか」
「先輩が好きで、でも先輩のことを諦めていて、狡くもなれなくて、ただ側にいる事で自分で自分を慰めてる弱虫くんでしょ」
返す言葉もない。まったくもってその通りだ、先輩は僕のことを絶対に好きにはならない。
先輩が好きな柔らかい栗色の毛も、先輩が好きな大きな瞳も、先輩が好きな大きな胸も、先輩が好きな柔らかい体も、先輩が好きな自分よりも小さな身長も、何もかも持たない僕が、先輩に好きになってもらえることはない。どんなに月日が流れたとしても僕は先輩にとっての後輩で、よく懐いているペットのようなものだ。
友愛にしか捉えられない好きはもう言い飽きた。
「だったら、何ですか」
「いや、最初から諦めてるのが気に入らないだけ。貴方は一生そうして側にいるだけの自分を自分で慰めてればいいよ。私は絶対にえりかを手に入れる」
「彼女だって、君に、春日さんに、興味なんてないだろ!ただ連れて歩くのにちょうどいい女友達だ!」
「そうだよ、私は彼女の女を引き立てるために誂えたボーイッシュな可愛らしさに欠けた女。今はそれでいいの、えりかが男に傷つくたびに頼られる唯一の存在でたった一人のえりかの友達なんだから」
「そんなの恋人になんて……」
「私はなる」
「な、んで」
「ねぇ、取引しない?貴方は今からえりかを追いかけてさっきはごめんって地面に頭がめり込むくらい謝って、えりかと付き合うの。それで貴方はえりかを餌に先輩とデートする、私はドタキャンされて怒ったえりかとデートする。えりかが怒って貴方の事が嫌いになる頃には私はえりかを手に入れて見せるし、貴方も同じように先輩を手に入れればいい。どう?」
「どう、って何だよそれ」
「えりかが好きになる男はね、大体私の事が好きなの。だからえりかの事は好きじゃない。でもえりかとは付き合う、えりかが可愛いから。えりかの事は好きじゃないけど、えりかが可愛いからキスはするし、えりかが許すならセックスだってするのよ。えりかの事が好きじゃないくせに」
「な、」
「そんなのって狡いでしょ、だからえりかの事が好きじゃない男に気があるふりをして襲われるような状況を作って、えりかに見せるの。貴方が選んだ男は他の女に手を出すようなクソ野郎だよって教えてあげるの。でも君はえりかの事が好きじゃないし、好きじゃなくてもキスしたりしないしセックスもしないでしょ。だから私は安心してえりかと一緒にいられるし落ち着いてえりかを口説ける。いい話じゃない?」
「やらない、僕は毎日振られる先輩を見てればそれでいいんだ。先輩はえりかちゃんに振られて、それでもめげないで明日も告白して振られる。それが一番いい」
「やっぱり弱虫ね、そんなことしてたらそのうち先輩が他の女に取られちゃうわよ」
「それでもいい、それでも、僕は先輩の側にいる」
「あっそ、せいぜい頑張って。じゃあまた明日ね」
「えっ?」
「先輩は明日もえりかに告白しにくるんでしょ、そして君は先輩についてくる。私はえりかの隣にいるし、それなら明日も会うんじゃない?」
「あっ、そうか、そうだね。うん、また明日」
「個人的には弱虫が映るから二度と会いたくないけど、また明日」
「僕も君みたいな怖い女の人に会いたくないけど、でもまた明日」
さよならの代わりにまたの約束をした彼女には、これから毎日会うことになるのだろう。今までもずっと毎日のように会っていたけれど、これからは毎日彼女に弱虫となじられるのかと思うと気が重い。
「先輩、えりかちゃんのこと嫌いにならないかな」
口をついて出たのは本心だった。
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