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たいそう見覚えのある青年は、こちらの動揺をまるで察しません!みたいな顔して、雨の中さわやかに去っていった。紺色の傘に映えた金髪はその後一度もこちらを振り返ることなく、”仕事”へと向かってしまった。
幸いなことに危機を脱し、さらに幸いなことに行き先の方向もわかった。傘が人並みに紛れてしまうと、お礼を言い損ねたことと自分がするべきことを思い出す。
明日からの、私の生活が安寧であるために。
まずはこの少女を預けてしまわなければ。雨は少し収まってきたが、まだ止む気配にはほど遠い。
気遣われたことを、そしてあるシーンを思い出す。
めちゃくちゃ体調悪いに違いない。この上風邪など、かわいそうにもほどがある。
背負っていた体を一度下ろして、前側に抱え直す。できるだけ傘からはみ出さないように。工藤邸はおそらくそう遠くない、そういう口ぶりだった。
電信柱を見ながら、住所から外れるたびに一本道を変えて、戻る。
さほどかからず、「2-2」表記に見つけた、高級住宅街の中でも目立つ並び二軒。
その片方、阿笠邸には電気がついていた。
チャイムをおそうとして…いや、押して、台詞をなにも用意していないことに気付き頭が真っ白になった。
なんて言う?なんて言ったら玄関を開けて外に出てきてくれる?さすがにカメラの一つくらいついているだろうし、インターホン越しに私の形は見えていると考えるとして、この子を預かってもらうには?
「…い!おーい、どちらさんじゃ!」
少々荒げられた声にハッとする。
「あ、あの」
「何の用かのう」
少し悩んで。
「あの、お、お届け物、です…」
さすがに悪手か?
「…制服も着ない若い女性の配達員さんなんぞ見たことないがのぅ」
だよね!
「え、えっとあの…は、はす向かいの小林のおつかいなんですけど!」
チラ見した名前を拝借する。ごめん。
「回覧板ならお隣が先のはずじゃが」
「ち、ちがくて!マドレーヌ、焼き過ぎちゃったからって!」
我ながらなんでマドレーヌ?と思った。
今度こそ無言が長くて、いよいよ通報を覚悟したとき、ドアが開いた。
「なんじゃ小林さんとこの…娘さんはもう家出とるはずじゃが、お孫さんか?」
先に連絡を、とか良いながら、ふっくらしたおじさんが向かってくる。
門を半分ほどあけて差し出された腕に、問答無用で少女を押しつけた。
「おじさん、従妹をよろしくお願いします!」
は、と口の開いた顔を最後に来た道をダッシュした。
雨はもうだいぶ弱まっていて、小雨の中傘も差さずに大通りに紛れ込んだ私は、傘を忘れたかわいそうなOLに見えただろうか。
これで彼女はひとまず安全だ。
子供の頃に見たアニメのワンシーンを思い出す。バスの中、一人フード姿で小さくなる少女。
助けてくれるヒーローのもとに無事たどり着けたのだから、何も心配することはない。同じような出来事ができれば起こらなければいい、でも一般人では、追手から逃れさせてあげることすらできないだろう。
だからこれでいい。あとはなんとか逃げ延びて、最良のエンディングを迎えられるように祈るばかりだ。
このとき私は、自分をたった一瞬巻き込まれただけのただのモブと認識していたのであるが。
翌日のお昼過ぎ。職場に現れた一人の少年によって、それはあっさりとすり替えられてしまったのである。