押し花問答

 先生はおそらく、私が足しげく診療所に通い詰める理由を御存知であったのでしょう。私が通院の口実に仕立て上げた仮病、又その下心をいち早く見抜いていながら、懇切丁寧に応対してくださった御厚情には、とても報いることなどできそうにもありません。
 あれは通院を始めて一月ほども経った頃でしょうか。日増しに抑えがたくなっていく感情をかかえ、思い余った私は、一世一代の大勝負に打って出る覚悟を決めたのでした。
「これを、菜花さんに──」
 私の手は情けなくもかすかに震えておりました。──突然水を向けられたあの人はきょとんとした目で、私を、私が差し出した白封筒を、それから私の正面に座っておられる先生をご覧になりました。
 診察室は水を打ったような静けさにつつまれていました。その空気に耐えつつ、私はつとめて紳士然として笑顔を取り繕いました。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。庭の朝顔が綺麗に咲いたものですから、是非とも押し花にして御覧に入れたいと思った次第です」
「朝顔の押し花ですか? うわあ、懐かしい!」
 あの人はぱっと顔を輝かせて、幼い頃に朝顔を育てたことがあるのだと語ってくださりました。大輪の花にも勝るその可憐な笑顔に、私は夢見心地になりながら相槌を打っておりました。
 私はその日、押し花を文字なき恋文として、あの人に思いの丈を打ち明けるつもりでおりました。白封筒の底にひっそりと封入した朝顔の種は、あの人と共に小さな恋の花を育ててみたいという、ささやかな願いの証でした。
「見て。この朝顔、摩緒のマントの色みたい」
 ──けれど、その思いと願いが土の中から芽を吹くことは、決して有り得ないのだと思い知りました。あの人が先生に近づき、嬉しそうに押し花を開いて見せたその瞬間に。
 先生は押し花をご覧になると、今度はその薄紙越しに、私の目をじっと観察なさるのでした。
 まるで精巧なレントゲン機器で心の奥底まで見透かされているかのようで、けれども憐れみと同情をたたえた思慮深いその瞳から、私は逃げるように顔を背けてしまいました。
 ──あれきり、先生の診療所へは伺っておりません。
 風の噂によれば、夏になると、五行町では青や紫の朝顔を咲かせた鉢が、方々の軒下に出されるのだとか。
 それらがあの押し花の朝顔から生じた種の末裔であるかどうか──今となってはもう、知るすべもありません。


令和三年九月十九日 拍手御礼


Boule de Neige