白い花



 まっさらなものを汚すことはあまりにも容易い。瞬きの間に、どれほど拭っても消えない染みを残すことができる。
「千尋は、一緒に帰ろうと言うけど──」
 黒い爪が、少女の震える唇を、まるで瑞々しい果物を真っ二つに割るようにして開かせる。涙の浮いた瞳に、変わり果てた魔物の姿が妖しく揺らめいている。
 彼女はかすれた声で誰かの名を口にしたが、化生はそれをあざ笑った。
「その名を呼んだって無駄だよ。私はね、もう帰れないんだ。──こんなに、身も心も汚れてしまったんだから」
 少女の周りには、無残にむしり取られた白椿が反古紙のように散らばっている。その花びらの上に赤い血が点々と飛び散っているのを、もはや過去の名を捨てた化け物は、その人の足元に這い蹲るようにしてうやうやしく口づけた。
「どこにも帰れないけど、そんなことはもうどうでもいいんだ。ほしかったものは、もう手に入ったから」
 黒い爪が、血の跡を点々とたどっていく。逃げ腰になる少女の足首を、神と呼ばれたはずのものはいとも容易く掴まえて、満面の笑みを浮かべながら自分の方へと引き寄せた。

「おかえり、千尋」




2022.2.19




Boule de Neige