御神湯

 終業後、女湯へ向かう千尋を同輩達が手招きで呼び寄せた。二天にある秘密の風呂場へ案内してくれるという。それは客用の湯殿とのことで、上役の耳に入ることを案じた千尋は始め難色を示した。しかし少女達は、精々残り湯をもらうだけのことで、それは皆が承知している、相部屋のよしみで今夜は是非とも千尋にその湯を堪能してもらいたいという。
 いやに乗り気な少女達に促され、千尋は宴会場の奥座敷へと押し込まれた。振り向きざま、ごゆっくり、と鼻先で華美な花鳥図の描かれた襖が閉められる。
「心がきれいなら、湯は澄んだまま。でも汚れがあれば、たちまち濁ってしまうんだってさ。千も入って試してごらんよ」
 そんな少女達の言葉を間に受けた千尋は、早速脱衣所で水干を脱いで、意気揚々湯殿の戸を開けた。乳白色の湯煙を浴びながら、思い切り背伸びをした。にぎやかな女湯とは別天地の静けさだった。鼻歌でも歌い出したくなるような開放感を覚えた瞬間、奥の方から水の滴る音がした。
「──千尋?」
 聞こえるはずのない声に、千尋は首を傾げた。しかし湯煙に目が慣れてくると、湯桁から半身をのぞかせた人影がぼんやりと浮かび上がってくる。
「ああ、驚いた。女神が入ってきたのかと思ったよ」
 相手がかすかに笑う気配を感じ、千尋は旦過たんがの湯に浸かったかのように真っ赤にのぼせ上がった。
「……ど、どうして、ここにいるの?」
「ここは私の部屋に一番近い湯殿だからね。知らなかった?」
 声にならない叫びを上げて蹲る千尋に、彼はあの優しい声で語りかけてくる。
「大丈夫。──湯煙が濃くて、何も見えないよ」


22.4.13



Boule de Neige