Golden Rain Tree



 読みさしの本のページに、はらりと黄色い花が降ってきた。それは挿絵に描かれた女性の髪の毛に落ちてきたので、ちょうどその人が花飾りをつけているように見えた。
 千尋がそっとページをめくろうとすると、突如として手元に濃い影がさしてきた。青天を覆い隠すかのように、頭上にどこからか厚い雲が流れてくる。先程の黄色い花とともにぽつぽつとしたたり落ちるものが、薄紙の上の小さな文字を点々とにじませていった。
 顔を上げて大樹の天蓋をあおぐ千尋の頬に、芳香をまとった金色の雨がしとしとと降りそそいだ。千尋は湿った草の上に自分の本を広げたまま置くと、膝の上で両手を差し出し、空から流れ落ちてくるものを受け止めるようなしぐさをした。
 黄金の雨は彼女の指を伝い、その膝元へと流れていった。その時、千尋は彼女の脚に触れるひやりとした手の感触を感じた。ごく間近で彼女を見つめる視線を感じた。千尋ひとりきりだったはずの木陰に、まるで何時間も前からそうして彼女を見守っていたかのように、静かに微笑む少年の姿があった。
「……ハク?」
 不思議な通り雨が見せる幻のように思われて、千尋は濡れたままの手でその頬に触れてみた。少年はその手のひらが心地よさげに目を閉じて、自分から頬をすり寄せてきた。それはまぎれもなく生身の感触だった。
「ハクなのね?」
 瞳を輝かせながら念を押す千尋に、うん、と安らかな表情のまま竜の少年は頷く。
「でも、どうやって……?」
「たった今、千尋が受け止めてくれただろう?」
「雨? ハク、雨になれるの?」
「なれるさ。水は、変幻自在なものだから」
 ハクの手が千尋の頬を撫で、少し汗ばむ首筋をなぞって、その肩をとらえた。
「千尋は知っている? 雨に姿を変えて、想い人の身へ降りそそいだ神の話を」
「……ううん。知らない」
 千尋が首を振った時、頭の上に降り積もっていたらしい黄色い花がぽろぽろと膝にこぼれ落ちた。ハクはそのひとつを拾って、千尋の耳の上に挿した。挿した後もしきりにその花飾りに触っていた。千尋は耳がくすぐったいような気がした。顔も首も胸も、ハクを感じるところは全て、息苦しさを覚えるほどほてってくるのがわかった。
「知らないのなら、教えてあげる。愛に溺れたある神の──見果てぬ夢の物語を」
 千尋の顔の上には、ハクの微笑みがあった。彼女の心を潤す優しい瞳。けれど、慈雨と呼ぶにはその声はあまりにも乾きすぎていた。その顔が影を落としながら近づいてきた時、千尋は熱に浮かされたような陶酔から、思わず目を閉じた。
 黄金の雨のひとしずくが額の上ではじけて、千尋は自分の身に神の唇が触れたことを知った。


2022.07.02



Boule de Neige